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清隆学園の二学期  作者: 池田 和美
12/18

幕間・⑧

 大藤(だいとう)智加(ともます)鬱屈(うっくつ)していた。

 間取りや周囲の環境なんていう条件なしに、その家賃の安さから入居しているアパートの一室に彼はいた。

 トイレに立ったついでに、錆びてろくに姿見として役に立つ部分が少なくなった鏡を覗き込んでみた。

 冴えない男がそこにいた。

 自分の死んだ魚と同じような目から逃れて、いつもの席に着いた。そこには彼の心を癒してくれるデスクトップパソコンが待っていた。

 周囲を見回せば、広くない部屋を埋め尽くすように置かれた大量のコンビニ袋から腐臭が上がっていた。

 六畳一間。トイレに附属したシャワーはあるが、そういえば今年に入ってから使用した記憶が無かった。

 カーテンを引きっぱなしにしている窓を振り返ると、外からの光は一切無かった。

 画面の向こうには、架空の帝国が広がっていた。ネットゲームというやつだ。架空世界の住人となり、そこでモンスターを狩ったり、クエストをクリアして素材を集めたりできた。集めた素材は自分のレベルにあった加工をして、こうして商売をしたりして楽しむようになっている。彼の分身たる青年商人も、帝都の大通りで露店を開いている最中だった。本人がこうして席を離れても、客が来なければ何もすることがないので、困ることはなかった。また現在席を離れているというエモーションを出しておけば、慣れたプレイヤーならば勝手に彼のキャラクターから買い物だけをして去ってくれるはずであった。

 手放しでもいい状態でも彼が席に着いていたのは、画面下で他のプレイヤーと交わすチャットを楽しむためだった。

(あれ?)

 いつもと同じように、彼の分身は大通りにしゃがみ込んで店番を続けていた。

 だが、そのいつも見慣れたはずの、その画面が今は違って見えた。

 普段ならば可愛くデフォルメされた少年少女たちが行き交うように見える大通りが、今は色のついた点の塊にしか見えなかった。

 自分が参加しなくても周囲で交わされる会話が流れていた。

《こんな時間に、オマイラやることはないのか》

《オレは身も心も捧げているの》

《ネオチ乙》

《『髑髏』ってなんて読むの?》

《ドクロ》

《どくろ》

《どくろべー》

《おしおきだべえ》

《コピペばっかり使ってるから国語力が無くなる。ゆとりか? オマイゆとりだろ》

 繁華街にしゃがみ込んでいても、耳から入ってくるような雑談。

 それがなんとも不快に感じられてきた。たまらず彼はゲームを終了させる命令を送り、そしてデスクトップの電源も落とした。

(こうして俺が抜けても、ゲームの世界じゃ誰も困らないんだよな)

 熱を持ったまま暗くなった画面に、さきほど鏡を覗き込んだ時よりもはっきりと、自分の顔が映っていた。

(現実でも同じか…)

 大藤智加は絶望感に包まれた。

 同居している者はいない。両親はともに健在で、東北地方のある村で半農半漁の生活をしているはずだ。

 田舎は閉鎖的な空間だった。

 プライベートなど辞書に載っている言葉以上の意味など無い世界である。隣の家の台所事情まで筒抜けな世界であった。

 そんな世界で、母親は彼を大学進学させようと猛勉強させた。

 いい大学には、まずいい高校から。そのため無理をして進学塾に通わされた。

 高校生活はそれなりだった。だが母親の命令ばかり聞かされる生活に嫌気が差した彼は、大学進学を自らの意思でやめることとし、上京して就職することにした。

 地元で進学校として有名なところの出身という看板は、東京ではただの高卒に成り下がった。

 時間給でこき使われる生活。実家で大学受験のために目の色が変わった母親に命令される生活と、何も変わるところが無かった。

 最初の会社は二年ともたなかった。

 実家に帰るという選択肢や、再び大学受験に挑むという選択肢もあった。だが東京にある、全ての快楽に充実しているという生活が、その選択をさせる気概を奪った。

 彼の場合は呑む打つ買うのどれでもなく、ずるずるとネットゲームにハマっていった。

 世界中ドコででも回線を繋げれば楽しめるゲームなのだから、実家でもできたはずである。しかし東京は企業が事業に使用するために回線の環境が地方よりも恵まれていた。というのは言い訳で、何より典型的な教育ママだった母親のそばでは、気の済むまでゲームが楽しめないという事の方が大きかった。

 世の中、遊んで暮らせるのならば戦争なんて起きない。そうできれば誰も飢えないからだ。

 それが世界一物価の高い東京ならばなおのことだ。大藤智加の貯金残高はアッという間に瘦せ細った。

 食事を抜くぐらいのことは、ある程度我慢できるつもりだったが、ゲームをするにもお金がかかった。回線使用料に電気代。いくらオンボロだとはいえアパートの家賃。

 そういった後ろ向きの理由で、就職したのは部品組み立て工場だった。

 毎日毎日同じ部品を同じ場所に差し込んでいく作業。

(こんな簡単な作業、ロボットにでもさせろよ)

 智加自身がそんな感想を抱くような仕事であった。もちろんそれで高給が貰えるわけでもなかった。だが収入を絶たれてしまっては、ゲームができなくなるのだ。

 二年後。工場は海外との価格競争に敗れて閉鎖された。

 ロボットを導入するよりも発展途上国の労働者を雇う方が経費節減になるという現実。

 さすがに資金の余裕が全く無くなったので、彼は渋々と実家に帰ることにした。

 大人になった智加にはもう言う事が無いのか、それとも諦めたのか、実家は優しく迎えてくれた。

 車の免許を取り、家の仕事の手伝いをするようにした。

 だいぶ昔の調子が出てきたので、その年の同窓会に出席することにした。

 高校で同級生だった男が、大学卒業後に一流企業に就職し、今度アメリカ支社への栄転が決まっていた。

 地元に錦を飾って帰ってきた彼と、敗北者の自分。狭い村社会では二人を遠慮なく比較して、有る事無い事噂した。

 母親に何か言われる前に、智加は再び上京した。

 今度就職したのは運送会社だった。

 実家で取得した運転免許が役に立った。

 そこは小さな会社だった。だが、もう帰る場所を失った彼には、身の丈に合った生活ができそうだった。

 ささやかな趣味として、実家に居た間は封印していたネットゲームも再開した。

 昼は軽トラックの運転、夜はネットゲーム。そんな生活も、終わりがやってきた。レアアイテム目当てのイベント開けに、寝不足のままハンドルを握った。

 朝という時間帯も、智加の反応速度を鈍らせた。

 路地裏から飛び出してきた小学生。

 その子は一命を取り留めた。だが命の代わりに片足を失った。

 東京でも小さな会社は、地方のように地元密着型の経営をしていた。そうでないと全国展開している大手に、価格やサービスの面で太刀打ちできないからだ。

 事故の翌日から内勤にされた彼の肩が叩かれたのは、今から数えて半年ぐらい前だった。

 焦りのような物が腹の底から湧いてきた。サイフを開き残高を確認した。

 高額紙幣がそれでも数枚残っていた。その札と並んで一枚の紙が入っていた。その札をATMから引き出した時に、一緒に突っ込んでいた明細書であった。そこには取り扱い金額と、口座残高が載っていた。

 ろくでもない数字だった。

 破綻が迫っていることが認識できた。冬の冷気とソレが同化して、シンシンと身体に染み込んできた。

(ここで選択肢は三つだ)

 智加は暗い画面に映った自分の顔に語り掛けるようにして思考した。

(新しい就職先を探すか?)

 まだ二十代半ばの自分ならば再就職の可能性が残されていた。だが新しい職場を得るというのは、仕事を一から覚える事を意味した。下手をすると自分より年下の大学出に、顎でこき使われる立場になるかもしれなかった。また職場の人間関係を構築するのだって、人付き合いが苦手な彼にとって苦痛だった。

(そもそもリアルで友だちが多ければ、ネットゲームにこれほどのめり込むことは無かった)

 自分の事なのに、どこか他人事のように分析してしまった。

(第二は、家に帰るか)

 両親ともにまだ健在だし、家の手伝いだって嫌なわけではない。

 だが同窓生の中では、小学校から一緒に居た同士で結婚し、子供までもうけているカップルがいるぐらいなのだ。そんな所へ逃げ帰ったとしても、以前と変わらない惨めな立場しか待っていないだろう。

(そもそも、そんな惨めな立ち位置が我慢できたなら、東京へ出てこなかった)

 ふと智加は首を巡らせた。

 彼の視界に、使わなくて久しい台所が入った。

 油汚れがこびれ着いた流し、その棚扉には包丁差しが設けてあるはずだ。そこには万能包丁が一振り収められているはずだ。

(死のう)

 あっけなく第三の選択肢を選ぶことにした。脳内のどこかに残っている理性が、生存本能からブレーキをかけた。

(まてまて。なんで俺が死ななきゃならない)

 脳がその心の声に耳を傾けた。

(俺は高卒で地方から出てきて、東京で頑張っただけじゃないか。それなのにうまく行かないのは、東京が悪いからじゃないのか)

 自分でも責任転嫁だと理解できる思考だったが、その単純さ故に智加の脳には染み込みやすい考えだった。

(死ぬのは仕方ない)

 自分の思考に頷く。

「どうせ、いつかは死ぬんだからな」

 久しぶりに漏らした独り言は、あまりにも声帯を使っていなかったため、とても擦れていた。

(だったら一人で死ぬのは悔しいじゃないか)

「悔しい?」

(こんなところまで追いつめた東京に、一矢報いようじゃないか)

「報いる? 復讐か?」

(そうだ。死ぬにしても、一人でも多く道連れを抱えて死んでやろうじゃないか)

 暗い画面の中で、男の瞳がギラギラとし始めていた。

「いやいや、死ぬんだったら一人だ。誰も迷惑をかけないようにだろ」

 心の中の良識がブレーキをかけ、首を横に振った。

(それで一人で死んだとしても、どうせお前は地獄行きだぜ)

「なぜ」

(もう、お前はガキの足を一本轢き潰しちまってんだからよ)

「…」

 運送会社で握っていたハンドルの感覚が掌に蘇ってきた。

 左側にあった隙間のような狭い路地。そこから飛び出してきたランドセル。床を踏み抜くように踏んだブレーキペダル。そしてドンという衝撃。

 知らず知らずのうちに瞑っていた瞼を開くと、相変わらず暗い画面にショボイ男が映っていた。

 本当にショボイ。

 画面の向こうに広がっていた架空世界で出会う天界の住人とは、かけ離れた姿をしていた。

「天国は無理だな」

 一度決心をしてしまうと、行動にためらいが無いのが彼の良いところであり悪いところだった。

 ただの引っ込み思案だったら一生実家で暮らしていたはずだ。二回も上京を経験したし、就職も三回した。それならば四回目の職探しにエネルギーを向ければよかったのだが、そうはできなかった。

 彼は鬱屈していたのだ。

 大量殺人を決心して、まず彼がやったことは、電気温水器の電源を入れる事だった。

 お湯を沸かしてシャワーを使用可能にするためだ。そして身体を清め、久しぶりに外で人に会えるような服を着こんだ。

 何も今生の別れに、せめて綺麗な身体で死にたいと思ったわけでは無い。次のステップに行くためには、汚い恰好では問題があったからだ。

 朝になるまで待って、次に向かったのはレンタカーであった。

 その店の中で、自分の免許で乗れる最大のトラックをレンタルした。ここで借りる事ができなければ、計画は頓挫することとなる。その可能性を少しでも減らすために、小奇麗な恰好になったのだ。

 拍子抜けするほど、あっさりとトラックのキーが手に入った。店員は「何に使うんですか?」と世間話のついでのように確認してきたが、引っ越しだと簡単な答えで納得した。

 これでなけなしの金を消費することになったが、もう先の事を考えなくていいから、気楽に払いを済ませた。

 もちろんバッグには台所の包丁を忍ばせていた。

 運転席に座ると、あの時の感覚が戻ってきた。あれを今度は故意に行うのだ。

 向かうのは、この町の中心部にある駅だ。

 カレンダーからして、今日の午後から駅前の大通りは歩行者天国になるはずである。

 下見として、まだ車両通行止めになる前の道路を走り抜けてみた。

 週末なので学生服姿が多かった。あいつらを殺しまくれば、少なくともセンセーショナルな事件として人々に記憶されるだろう。

 一旦、通行量の少ない道へ回り、時間を潰した。

(トラックで一〇人。それから包丁で何人いけるかな)

 もちろん最期は警察に包囲されるだろう。

(拳銃で撃たれて死ぬ方がいいのかな? それとも切腹した方が楽かな?)

 自分の死の瞬間を想像すると、酒を吞んだように昂揚(こうよう)してきた。

「よし」

 ダッシュボードのデジタル時計が、歩行者天国が始まる時間を示していた。

「いっちょ暴れるか」

 智加はトラックのギアを入れた。


 ↓


 ↓


 そして歩行者天国には、藤原由美子とそのご一行(ゆかいななかまたち)がいた。


幕間8・おしまい


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