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[二日目]
健くんはさっきから、窓の外の木漏れ日を眺めて、ずっと物思いに耽っていました。
教室ではクラスメイトがはしゃぎ回っているのに、それでも一人で思案していました。
昨日見た夢は一体、何だったのでしょう?
あの黄色い粘土みたいな物体。別に黄色が好きな訳でも無いし、黄色で思い浮かぶ人なんて……
『キーンコーンカーンコーン』
チャイムが鳴りました。登校時間終了の合図です。皆せわしない動作で席に座りました。先生は、まだ来ていません。
何気無く隣の席に目をやると、由芽ちゃんはまだ居ませんでした。今日はお休みでしょうか。
すると、ガラガラッと音がして、教室の扉が開きました。健くんは先生が来たのかと思い、少し姿勢を正しましたが、違いました。由芽ちゃんです。
「由芽ちゃん、おはよー」
「遅刻だよー」
皆が口々に話し掛けるのに、由芽ちゃんは微笑しながら「おはよう」と返しました。そして、健くんの隣で黄色いランドセルを降ろし、朝の用意を済ませて椅子に腰掛けました。
それはごく普通の動作でしたが、由芽ちゃんがすると優雅で、見惚れてしまう程美しいのです。そして、また健くんにあの横顔を見せてくれます。
「……どうかした?」
健くんの熱視線に気付いたのか、由芽ちゃんが話しかけてくれました。
「え、あの、えっと」
健くんは焦りました。元々、人との会話は苦手です。天使の由芽ちゃんが相手では、尚更やりにくくて当然でしょう。
「もしかして、遅刻した子が珍しい?」
「いや、そうじゃないんだけど、なんて言うか」
「でもさ、ここの子達、皆学校来るの早いもんね」
「う、うん」
「やっぱり早起きなのかなぁ。健くんは、早起き?」
健くん。確かにそう呼びました。名前を憶えてくれたのです。健くんは嬉しくなりました。
「どっちかって言ったら、早起きかも」
「何時位に起きるの?」
「五時半」
「えっ、はやーい! 凄いなぁ、健くん。私なんて、八時くらいまで絶対に目を覚まさないの」
「い、いいんじゃないかな、って思う、僕」
「健くん優しいねぇ。でも早起きはしなくちゃいけないよー。それに今日もギリギリアウト、遅刻しちゃったしさ。私、次から頑張ろうっと」
そう言って、由芽ちゃんはにっこりと笑いました。今度も、かわいい笑顔です。健くんもつられて頬を緩めました。
またガラガラッと音がしました。今度こそ先生です。
「日直号令」
「きりーつっ!」
ちょっぴり新鮮な一日の始まりです。
あっという間に時間は過ぎていきました。気付けば、もう放課後です。
昨日由芽ちゃんは、荷物の片付けで忙しいのか、すぐに下校しましたが、今日は時間がある様で、辺りをキョロキョロ見回しています。一緒に帰る人を探しているのでしょうか。
ふと、由芽ちゃんは健くんに目を向けました。こちらに歩み寄ってきます。
もしかして、一緒に帰りたいのでしょうか? 由芽ちゃんと肩を並べて帰れるなんて、そんなに嬉しい事が? 胸の鼓動が期待で高鳴ります。
「ねぇ、ちょっと由芽ちゃん」
その時、由芽ちゃんの後ろから誰かが来ました。睫毛が長い吊り目のその女の子は、大寺有奈ちゃんです。
「一緒に帰ろうよ、ね、決まり。二人だけで帰るんだからね」
「え……う、うん」
心優しい由芽ちゃんの事です。有奈ちゃんの半ば強制的な口調に、断りたくても断れなかったのでしょう。
有奈ちゃんに纏わる黒い噂は、クラスどころか、学年中に広まっています。おせっかいに始まって、我が儘、乱暴、ナルシスト、いじめに近い悪戯をした……その殆どが、本当の事です。
転校して間も無い由芽ちゃんも、有奈ちゃんの噂は一度位耳にしていたでしょうに。可哀想です。だからと言って、健くんがどうする事も出来ません。
健くんは仕方無く、今日も独り寂しく家路につきました。
[二夜目]
健くんは布団に包まって、ぼんやりと夢の事を考えていました。
あの黄色い人の様な物体。黄色で思い付く人と言えば、そう、由芽ちゃんだったのです。由芽ちゃんは黄色いカチューシャとランドセルを持っていましたから。
とすれば、あのふにゃふにゃした物は、由芽ちゃんだったのでしょうか。でも、あの気味の悪い物と由芽ちゃんとでは、似ても似つきません。
正体不明の物が出て来る夢は、見たい様な見たくない様な、不思議な気持ちです。
「なかのゆめのなか」
またあの声です。室内には勿論誰もいません。二日連続で聞こえるなんて変です。健くんは、『なかのゆめのなか』について、少し考察してみました。
声の特徴について言うと、少し高めで、舌足らずな口調でした。声の主は子供である可能性が高そうです。はっきりと聞き取れたけれど、様子からして大きな声を出しているのでは無く、近くにいる感じ。夢との関連性は無いでしょう。では、言葉の意味は?『なかのゆめのなか』という文は、意味無く単語を連ねただけの様に思えます。『ゆめのなかのゆめ』ならまだ分かるのですが……
はっきりとまとめきれないまま、寝付きの良い健くんは、またすやすやと眠りに落ちました。
[なかのゆめのなか に]
そこは昨日と同じ、真っ白な部屋でした。これは夢なのでしょう。健くんは素早く、前回黄色い物が存在していた位置に目をやりました。が、何もありません。
部屋にはドアが一つ。健くんがドアに向かうと、やはり後方からカタッと何かが落ちてくる様な音がします。健くんは、あのくねくねした面白い物をもう一度見てみたいという衝動を抑え、ドアを開けました。ここで振り返れば、また昨日見た夢と同じ事が繰り返されるだけだからです。
ドアの向こうには、沢山の赤いハート形物体が浮いていました。健くんはその部屋に足を踏み入れます。この空間にはドアがもう一つあります。
それにしても、ここは気味の悪い所です。健くんだってハートが嫌いな訳ではありませんが、こんなにおびただしい程の数があると吐き気がしてしまいます。早く脱出しなければと健くんは焦りました。
すると、ハート形物体の内の一つが突然、マッハレベルのスピードで目の前に飛んできました。健くんの心臓が跳ね上がります。ハート型はどんどん顔面にに接近してきます。今にも健くんの低い鼻先にぶつかりそうです。
健くんは逃げようとして首を後ろに捻りましたが、そこには例の黄色いのが変態の様に肩で息をして、こちらを見つめていたのです。黄色いのは腕を伸ばし、健くんの背中をドンと押しました。ハート形と衝突してしまいます。健くんは短い悲鳴を上げました。
次の瞬間、健くんはハートの中に溶け込んでいました。見えるもの全てが真っ赤です。とても暖かくて、何故か、少し良い気分でした。
「……あなたが、ほしい」
そんな声が聞こえた気がしました。




