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極刑  作者: 沢田和早
9/23

偽善

 

 その週の土曜日、俺は予定通り特別出勤で労働場に赴いた。

 命じられた業務は、工場内で行動可能な全範囲の清掃。経費節減のため、照明は全て落とした状態である。薄暗い工場内の清掃は、ひどく陰気で、日常の作業の方がマシに思えるくらいだった。

 次の日曜日は晴天だった。俺は飯を炊いて朝の握り飯を食った後、外に出た。晴れている日には出来るだけ多くの燃料を集めておく必要がある。墓場にはもう、めぼしい燃料は落ちていなかった。どうやらこれからは少し遠くまで足を延ばさねばならなくなりそうだ。

 一度に集められる量には限界がある。袋には意味がなかった。傘と同じだ。極刑囚が袋を持って歩いていれば、間違いなく一般人に奪い取られるだけなのだから。


 その日、俺はこれまで歩いたことのない線を選んだ。毎日の行き帰りに拾っている労働場への線上には、ほとんど何も落ちていないのは明らかだ。俺は枝や紙のゴミを上着の内側やポケットに入れながら、ひたすら線を歩いた。


「おい」


 誰かがそう言って背後から俺の肩を叩いた。無視出来なかった。聞き覚えのある声だった。振り向くと同時に体全体に激痛が走った。監禁装置のスイッチが入ったのだ。


「何してんだよ、こんな所で」


 俺は線上に崩れ落ちながら、声の主を見上げた。遺族代表の男だ。右手をポケットに入れている。そこで監禁装置のリモコンを操作しているようだ。


「どうしてオレがわざわざこんな所まで出向いて来たか、わかってんだろ、言ってみろよ」


 痙攣する俺の体は横向きに倒れた。右腕を男の足が踏みつける。


「お前、今週休んだだろ。なんで休むんだ。休むなって言っただろ、このキョッケイが」


 男はそう言って俺の背中を蹴り始めた。俺の上着の中から拾った木の枝が転がり出る。男の嘲笑が聞こえてくる。


「ふん、ゴミ集めか、生意気な。米なんかなあ、生で齧りゃあいいんだよ。キョッケイのくせに贅沢な」


 男は監禁装置を作動させたまま俺を蹴り続けた。俺は背中を丸めて苦痛に耐えた。


「おい、お前。自分がどれだけしか稼いでねえか分かってんのか。お前の稼ぎだけじゃとても足りねえんだよ。それで償ってるつもりなのか、ええ、このクズ。なんとか言え、おら」


 俺は黙っていた。極刑囚に言い訳はない。権利を持たない生き物に言い訳などあるはずがない。俺は口を閉ざしていた。何も言わずに俺の肉体に与えられる苦しみを傍観していた。やがて監禁装置のスイッチが切れた。


「いいか、これからは絶対に休むなよ。休んだらその分、オレの実入りが減るんだからな。今度さぼったらただじゃおかねえぞ」


 男はそう言い捨てると行ってしまった。監禁装置による苦痛と、男に蹴られた痛みはまだ体に残っている。俺はすぐには立てなかった。線の上で体を丸めたまま、痛みが和らぐのを待った。

 通り過ぎていく通行人に二、三度蹴られた後、ようやく立ち上がることが出来た。散らばっている枝や紙クズを拾い集める。線から遠くまで散らばってしまった物もあったが、与えられるであろう痛みに耐えて取りに行く程の元気はなかった。全て拾い終わると、俺は再び歩き始めた。


「あ、あの」


 また声だ。これも聞き覚えのある声。振り向くと昨日の男、俺の小屋まで来て戯言を吐いていったあの男が立っていた。手には枝や紙くずを持っている。


「あれがあなたの遺族代表ですか。装置を作動させたまま蹴り続けるなんて、ひどいことをしますね。大丈夫ですか。あ、これ拾っておきました」


 その言葉に俺は凍りついた。見ていたのだ、この男は。俺があの男に甚振られるのを見ていたのだ。見ていて何もしなかったのだ。何もせずに俺が苦しみ、のたうつ姿を眺め続け、事が終わってから、ようやく姿を現したのだ。親切そうな顔と声を装った役者の姿で。

 その時、俺の中で何かが弾けた。言いようのない憎悪が俺の中に目覚めた。肉体へのどんな暴力も、精神へのどんな罵倒も俺の心を目覚めさせることはなかった。しかし、この言葉、この男の言葉だけは、これまで忘れていた感情を俺の中に呼び起こすのに充分な力を持っていた。


『偽善者め』


 だが、それは俺の心の中のつぶやきに過ぎなかった。考えるまでもなく、これは明らかに当局からの制裁の対象になる語句だ。口に出した途端、俺の監禁装置のスイッチが入るのは分かり切っている。これだけ感情が揺さぶられている時でもなお、俺の極刑囚としての理性の力は俺の感情を確実に制御していた。

 俺は男の顔を凝視した。おどおどして自信のない瞳。わずかに震えている口。俺の視線を遮るように差し出された両手。俺は背中を向けて歩き出した。この男の顔を二度と見たくないと思った。


「あ、あの、怒っているのですか」

 男は付いて来る。俺は無視した。

「ごめんなさい、あの、助けられなくて」


 俺は男の言葉には耳を貸さなかった。無言でゴミを拾い続けた。男も口を閉ざした。

 そうして歩いているうちに、波立っていた俺の感情は、いつものように静かなさざ波へと収束していった。諦めの海の中へ沈み込む俺の感情、同時に、この男の偽善と怯懦が、ごく有り触れた当たり前のものに思われてきた。

 誰でもそうだ。俺もそうだった。よその国で何人殺されようが、飢え死にしようが、苦しもうが、俺たちは助けになど行かなかった。安全な場所に居て金を出すだけだった。金を貰えるだけ有難いと思え、心の中でそんな傲慢なセリフを吐き、己の偽善を恥ずかしげもなく晒しながら。


 この男もまた、俺にありがとうと言って欲しいのだろうか。精一杯のことをしている自分を褒めて欲しいと、俺に願っているのだろうか……真っ平御免だ。親切なら気付かれないようにやってくれ。親切にしている自分を押し売りするような真似はやめてくれ。

 しかし俺の希望を声にすることは出来ない。極刑囚には相応しくない言葉と判断され、苦痛が与えられる恐れがある。いつもと同じだ。無言、それこそが最良の策なのだ。

 俺は黙って歩く。男は付いてくる。俺の不快は消えそうになかった。男の存在を頭の中から追い払い、ただひたすら燃料になりそうな物を集めることだけに意識を集中した。

 長い一日になりそうだった。



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