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極刑  作者: 沢田和早
8/23

待ち伏せ


 ガサリ


 小屋の外の物音で目が覚めた。すでに明るくなっている。昼頃だろうか。時刻は分からないが、労働場ではとっくに作業を開始しているはずだ。


「欠勤、だな」


 この時間から労働場に向かっても勤務時間はほとんどない。今日は休もう。次の休日に特別出勤させてもらえばいい。

 極刑囚の労働の義務を満たすために、労働場の休日にも働くことを認める、特別出勤の制度があった。労働を休んだ日から一週間以内に申し出れば許可される。

 仕事の内容は労働場によってまちまちだ。俺の場合はラインが止まっているので、ほとんど清掃だった。無論、賃金は貰えない。労働の義務を満たすための完全なるただ働きだ。特別出勤によって、毎月の支給額を維持することは出来ない。

 次の面会日に荒れ狂う遺族代表の男の姿が目に浮かぶ。だが、二週間皆勤を続けたところで、別の理由で暴行されるのは目に見えている。それならば、無用な努力はしない方がいい。


 古新聞紙の中で身を起こす。まだ熱っぽいが昨日よりは気分がいい。今日一日眠っていれば回復するだろう。

 起きた後にするのはいつもなら飯の準備だ。だが、今日は飯を炊く気にはなれなかった。それよりも日が照っているうちに服をなんとかしたかった。

 昨日着ていた服は上から下まで濡れてしまっていた。土間に吊るしてあるが、まだ乾いてはいないだろう。外に干した方が早く乾く。

 フラフラする足取りで紐から服を下ろすと、生乾きの下着を身に着けた。素っ裸で戸外に出ることは厳に禁じられている。破れば即座に監禁装置が作動する。俺は下着を身に着けると、残りの服を持って小屋の戸を開けた。


「こんにちは」


 そこには昨日の男が立っていた。俺は少なからず驚いた。が、関係ない出来事だ。男を無視して小屋の南側へ行き、軒下に張ってある紐に俺の服を吊るした。


「出勤されないのでどうしたのかと思いました。どうやら風邪のようですね。昨日ひどく雨に濡れていましたから」


 俺は服を干してしまうと、軒下の土の上に腰を下ろした。日がほとんど入らぬ湿った小屋の中より、ここの日なたの方が暖かい。

 俺が腰を下ろすのを見て、その男も俺の隣に座った。


「よかったら、どうぞ」


 そう言って男が置いた紙の上には握り飯が乗っていた。俺は一気に俺の空腹を感じた。だが……俺は疑わし気に男を見た。男は笑った。


「大丈夫、毒など入っていません。具もありません。恐らくあなたがいつも食べている物とほとんど変わらないはずです」


 男の言葉通り、それは白米ではなく玄米の握り飯だった。手に取って二つに割る。中には何も入っていない。顔に近づけて匂いを嗅ぐ。玄米の香りと塩。俺はそれを口に入れた。


「水もあります。良ければどうぞ」


 男は水筒からコップに水を入れ、俺に差し出した。それを飲む。いつもの水。いつもの塩、いつもの玄米。いつもと同じであることが俺には有難かった。

 普段食べていない、そして二度と食べられない食物を口にすれば、その味を忘れ去るまで、長い苦しみに苛まれる。犯罪はそうした時に起こり易い。この男はそれを知っていて、敢えていつもの俺の食物を持参したのだ。俺は水を飲み終わるとコップを男に返した。礼は言わなかった。


「強いですね」

 男がため息をつくように言った。俺は黙っていた。

「あなたは自分の生き方に疑問を感じないのですか」

 俺は答えなかった。男は勝手に話を続ける。


「私は平凡なサラリーマンです。あなたに比べれば余程幸福な人生と言えるでしょう。けれども私には確たる生き方がないのです。肩書きは会社員。それはつまり会社を辞めてしまえば、もう何者でもないことを意味しています。あなたには極刑囚という、しっかりとした生き方があり、その人生を迷うことなく生きている。そして世間の誰もが、あなたが極刑囚であることを認めています。そこには何の不安もありません。けれども私には無いのですよ。家庭にも会社にも私は自分自身を持っていないのです。まるで根無し草のように自分が何者か分からない。自分の人生も決められない。今の仕事が本当に自分の担うべき役割なのかも分からないのです」


「だが、自由だ」


 ふっと、誰に言うでもなく、そんな言葉が俺の口から出た。一般人の戯言など聞きたくもなかったが、反抗的な言葉も態度も俺には禁じられている。激高した言葉で拒否したり、高圧的な態度で男に臨めば、間違いなく首の監禁装置が作動し、俺の体は苦痛にのたうつことになる。当たり障りのない返答か、もしくは無言が最良の選択だ。

 そして、こんな下らない戯言を聞かされるのもまた、俺に加えられる暴力、極刑の罰のひとつなのだ。男に対して俺がつぶやいた言葉、それは俺の精一杯の反抗だった。


「私が自由ですって? いえ、それは違います」

 男はまだ話し足りないようだ。

「確かにあなたは不自由です。その最たるものは白銀の線でしょう。あなたはそれに縛られて、そこから離れられません。けれども私も同じです。今の生活に、今の社会に縛られて生きています。表向きは自由です。私を縛るものから逃れることも自由です。でも出来ないのです。戒めを解かれた自由より、常識に縛られた安心の方が、私にとっては幸福なのです。これが本当に自由と言えるでしょうか。私の不自由さとあなたの不自由さと、一体どれほどの違いがあるでしょうか」


 男はそこで深いため息をついた。俺は黙って目の前の大木の枝に取り付けられた監視カメラのレンズを眺めていた。


「あなたたちは体を縛られている、でも心は縛られていない。私たちは体を縛られていない、でも心は縛られている。どちらも不自由であることに違いはないのです」


 俺は立ち上がると小屋の入り口に向かった。男が慌てて立ち上がる。


「ま、待ってください。またこうしてお話をしても……」


 男が言い終わる前に俺は小屋の中へ入った。当局の取り決めにより、ここは俺以外、たとえ遺族代表でさえ立ち入ることの叶わぬ空間なのだ。

 俺は無言で戸を閉めると、そこに立っていた。やがて男の立ち去る足音。禁を犯してまでここに入る勇気はないようだ。


「なるほどな。確かに縛られている、俺も、あの男も」


 誰に言うともなく、俺はそうつぶやいた。



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