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極刑  作者: 沢田和早
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労働

 

 ありふれた地方の中小企業、製造部の組立てライン作業、それが俺の労働場だ。

 一般人の中で労働してこそ極刑の意味がある。そして労働は食うことと同じ重みを持って極刑囚に圧し掛かる。一定期間の実労働日数が規定数に達しなければ、極刑囚は殺される。どんな理由も許されない。遺族代表が要望しても、決して変更されない絶対の義務である。

 働かざる者生きるべからず、それが俺たちに与えられた掟なのだ。


 タイムカードを押して工場へ入る。中は暗く、油くさい。まだ始業前だ。

 道具入れの中から雑巾を取り出すと、いつものように床を拭く。俺の動ける白銀の線の範囲内だけだ。それは業務命令として極刑囚の俺に課せられている。無論、始業前なのでこの労働に対する賃金は支払われない。極刑囚には労基法も適用されないのだ。俺は四つん這いになって床を拭き続けた。


 ドスッ!


 いきなり尻を蹴られた。額が床に打ち付けられる。手で額を撫でて怪我がないか確認したのち、俺はまた床を拭き始める。


「なんだ、来ていたのか。今日は休むと思ったぜ」


 蹴ったのが誰かは分かっている。最近入社したばかりの男だ。

 俺がここに来た当初は、どの一般人もこの男と同じ態度だった。俺に対してはどんな暴力も罵詈雑言も許されている。が、皆、飽きてしまったのか、俺にちょっかいを出す者は次第に少なくなった。今では新人のこの男だけだ。


「昨日は面会日だろ。体は傷だらけなんじゃねえか。この極悪人!」


 男はそう言うと、俺の背中を思い切り平手打ちした。昨日の傷の痛みがぶり返し、俺は呻き声をあげて身を捩った。だが決して言い返しはしない。極刑囚の悪態は禁じられている。ここにも監視カメラは至る所に取り付けられているのだ。


「ははは、休みたくても休めないもんなあ、キョッケイさんは。お気の毒」


 男はそう言うと行ってしまった。俺も立ち上がった。そろそろ始業時間だ。

 工場の中に作業員が入って来る。挨拶などない。ほぼ全員が無視である。もっともその方が気が楽だ。


 ラインが動き出す。勤務中は作業以外の行動や無駄話をする余裕がないので、俺に構う人間はいない。各自、自分の作業だけで手一杯なのだ。

 俺の仕事は単純だ。重い組立て済み部品を釜に入れて与圧検査。異常なしなら取り出して次の工程へ回す。ただそれだけの作業だ。

 釜に手を挟んで怪我をしようが、腕をもぎ取られようが、会社には何の補償義務も無いし責任も問われない。ゆえに、俺に担当させる作業が、どれほど危険でも過酷でも構わないのだが、やはり体面があるのだろう。休息が与えられないことを除けば、俺の作業は一般人の作業と同じだ。あるいはこの時間は、俺にとって最も安全な時間と言えるのかも知れない。


 ウゥー!


 昼の休憩だ。ラインは止まる。一般人は一斉に食堂に向かうが、俺は道具入れに行く。今度はバケツを取り出す。組立て作業中に床に落ちた部品の回収、それが昼休み中の俺に与えられた仕事だ。

 作業台の奥に落ちている部品は、床に這いつくばらないと拾えない。

 一箇所、不自然なほど奥に部品が落ちている場所があった。今朝、俺の尻を蹴った男の担当箇所だ。その部品の前には白い潤滑油も撒かれている。

 俺は道具入れに引き返すと雑巾を手にとって作業台の下に潜り込んだ。撒かれている油を拭き、部品を引き寄せる。その時、俺の足が何かに濡れる感触があった。


「ああ、悪い悪い」


 床に這いつくばったまま後ろを振り向くと、あの男がこちらを覗き込んでいた。床に潤滑油の缶が転がっている。


「缶が足に引っ掛かって油がこぼれちまった。拭いとけよ、キョッケイ」


 俺のズボンは床にこぼれた潤滑油で白く濡れていた。俺は向きを変えると雑巾で油を拭いたが、すでに濡れている雑巾にとっては無駄な作業だった。

 仕方なく濡れたままの床を這って作業台の外に出た。男はもういなかった。俺の体は上から下まで油まみれになってしまっていた。

 バケツに集めた部品を、それぞれ指定の箱に入れ、雑巾を絞って床の油を拭いた。何も感じなかった。いつものことだからだ。


 部品拾いが済むとトイレに行く。線が引かれているトイレは一箇所しかないので極刑囚専用のトイレになっている。小さい。大の便器が一つ据え付けられているだけだ。

 壁には落書きだらけ。内容に興味はない。興味がない文字はただの線の集合にしか過ぎない。それがたとえ俺を貶めるような言葉だったとしても。

 俺はトイレで用を足すと顔と手を洗い、懐の握り飯を取り出した。先ほど床に這いつくばった為に平たく崩れている。トイレの洗面台の前に立ったまま、固くなった握り飯にかぶりつく。水は水道の蛇口に口を付けて飲む。これが俺の昼飯だ。


 この労働場で線が引かれているのはライン作業台前、道具入れ、トイレ。立ち入りを許されているのはこの三ヶ所だけ。不便はない。そこ以外は行く必要は無いし、行く義務も無いのだ。

 握り飯を食べ終わると俺はライン前に戻った。ラインはまだ動いてはいない。俺はその場に座り込んで、午後の仕事が始まるのを待つ。ひとときの休み時間。近くの休憩所の会話が聞こえてくる。


「しかし、この不況の時代にキョッケイだもんな」

「会社にとっちゃ、その方がいいのさ。極刑囚の雇用は補助金の対象だからな」

「俺の知り合いは働き口がないって悲鳴をあげているんだぜ。あんなキョッケイ雇うくらいなら、普通の人間雇えっての」

「だから、会社はキョッケイの方がメリットが大きいんだから仕方ないんだって。最低賃金以下らしいぜ、あいつの給料」

「そうそう、それであいつを管理する遺族が怒ってきたらしいんだ。給料が安過ぎるってな。で、会社も少し上げたらしいが、まだ不満みたいで時々文句を言うらしい。支給義務のない残業手当も渋々払い始めているみたいだしな」

「それでも一般人を雇うより安くつくからな。保険も手当も必要ないんだから」

「労基法適用外人間、いや人間じゃない、キョッケイだ。ははは」

「結局、あいつが死ぬまではこのままか」

「ああ、以前働いていたキョッケイは、一ヶ月持たずに死刑囚になって殺されちまったよな。普通、数週間で出勤しなくなるもんだが、あいつはかなりしぶとい」

「よっぽど生きていたい、おっと……」


 その時、作業開始五分前の予鈴が鳴った。休憩していた一般人もライン台の所定の位置に立つ。


「しかし、なあ、お前の遺族、相当のワルみたいだな」

 隣の一般人がそう言った。

「その顔の傷も昨日そいつにやられたんだろ。会社にもガアガア言ってくるし。逆にお前はクソ真面目に出勤だ。こんなパターンは初めてだぜ」


 やがてラインが動き始めた。全員が作業を開始する。無駄口を叩く余裕もよそ見をする暇もない。雑念すらも締め出して黙々と働く彼らはラインの下僕だ。マシンの一部となり成り果てた一般人は、もはや俺と同様に人であることを捨てている。彼らの作業服が俺の囚人服とダブって見えた。



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