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極刑  作者: 沢田和早
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「うわああー」


 叫び声はどこか遠くから聞こえてくるようだった。

 最初に感じたのは鈍痛。頭が重い。

 俺の体は床に転がっているようだ。起き上がろうとしても力が入らない。右手には何かを握っている。


「何だ、これは。何が起こったんだ」


 男の声だ。

 強い力で体が引き起こされる。恐らく声の主が両手で俺の上半身を起こしたのだろう。

 僅かに目を開ける。眩しい。


「おい、あんたがやったのか」


 俺は声の主を見る。見知らぬ男だ。

 そして目の前の光景を見る。赤い。

 床も壁も家具も、部屋の全てが赤い。

 倒れている人、人。それも赤い。

 そして俺が握るナイフもまた赤く染まっている。血だ。


「やめろ!」


 男の叫び声と同時に、手に衝撃を感じた。握ったナイフが飛ばされた。

 今度は背中に衝撃。俺は床に転がされた。男の体が伸し掛かって強い力で押さえつける。


「俺がやった、この俺が……」


 俺の口から出たその言葉は俺の言葉ではなかった。俺とは違う別の意志が、俺の口を介して喋らせている言葉だった。

 俺は天井を見上げた。ありふれた蛍光灯の白光に目が眩みそうだった。




「……夢か」


 目が覚めた時には既に夜は明けていた。時刻は分からない。小屋には時計がないのだ。

 体を横たえたまま夢を反芻する。これまでに何度も見た夢。決して忘却を許さない夢。

 それは俺をこの境遇に落とし込んだ幕開けだった。

 人が死んでいた。その場に俺がいた。その光景を他人に見られた。

 たったそれだけのことで、俺は極刑囚という演劇の舞台に立たされたのだ。

 幕が開いた以上、ずぶの素人とて演技をせずには済まされない。台本も演出家も持たずに、俺は今日まで極刑の舞台を演じている。

 幕が閉じるまで休演は認められない。他人が幕を閉じてくれるか、自分の手で幕を閉じるか、その選択権だけは残されている。


 取り留めもない夢想に浸っているうちに、ぼんやりとした頭に明瞭さが戻って来た。体が目覚めるにつれ傷の痛みも増してくる。いつも通りの朝だ。

 俺は起き上がると、飯を炊くために土間に下りた。一日分を一度に炊くのだ。

 昨晩仕込んでおいたアルミの鍋に木の板で蓋をし、その上に重しの石を乗せた。

 次は火だ。木の板と木の棒と弓で作った自作の火起こしを使う。弓を使って棒と板を擦り合わせる。

 やがて煙が立ち始め、摩擦点に置いた紙ゴミが燃え始めると、かまどの下の枯草に火を移す。

 毎朝の日課。生きていくために決して欠かせない仕事だ。


 他の極刑囚がどのように飯を調達しているのか俺は知らない。

 あるいは直ぐに食べられる形で食料を支給されている極刑囚もいるのかも知れない。それは俺には分からなかった。

 仮に分かったとしても仕方のないことだ。俺の刑罰を決めるのは、ただ俺の遺族代表の意志のみなのだから。そして決められた刑罰を、俺は無条件で受け入れて生き続けるしかないのだから。

 注意深く鍋の様子を伺いながら、かまどに木切れや枝葉をくべる。

 やがてあぶくが消えチリチリ言い出したところで火をひく。あとは蒸らすだけだ。

 俺は立ち上がって一つだけある窓から外を見た。サーチライトの照明はもう消えている。

 窓の外には大木が一本、朝日を浴びて立っている。晴れだ。


 俺は戸を開けて外に出た。今使っただけの燃料を補給する必要がある。

 雨の日の収集物は乾かすのが厄介なので、晴れている日に極力多くの燃料を拾っておかなくてはならない。

 墓地を歩きながら枝や葉を拾う。草を抜く。燃えそうなゴミを拾う。手の届く木から枝を折り取る。

 しかしもちろん墓地の中にも白銀の線は引かれている。今はもう白銀の線を中心にした幅二メートルの範囲内は草もゴミもない美しい地面になっている。

 間もなくこの墓地の中では、俺の手の届く範囲の燃料はなくなってしまうに違いない。だからと言って困りはしない。線はこの国の端から端まで引かれているのだ。

 人々の美化意識と公衆道徳に変化がない限り、そして大量生産、大量消費の経済構造が変わらない限り、燃料――ゴミが枯渇する心配は無用だ。それを取りに行けるかどうかは別問題ではあるが。


 帰って来て小屋の中に入り、今朝の収穫をかまどの前に置く。ただし生木や草は乾燥させないと燃えないので、小屋の外に積んでおく。

 作業が終わると、今度は水甕とボロボロのタオルを持って外に出た。向かうのは公衆便所。そこで用を足す。

 その後、桶置き場へ行き、そこにある水道で、手、顔、足を洗い、甕に水を入れる。

 衛生には細心の注意を払う必要がある。この国の医師には、人権を持たない極刑囚を診察する義務はないのだ。極刑囚を見捨てても罪には問われない。病気もケガもそれを治癒させるのはただ自分の力のみだ。

 だが、この国が唯一俺たちに恵んでくれるモノがある。土間の柱に打ち付けられた郵便ポストの中にそれはある。


 小屋に帰って来た俺は、そこから紙箱を取り出した。紙箱の中にはいくつかのセロハンの袋。ひとつの袋には錠剤が三粒入っている。国から月に一度、支給されるのだ。

 一日一袋摂取せよと命令されているその錠剤がどんなものか俺は知らない。推測だが、ビタミン剤か栄養補助剤のようなものだと思っている。

 俺の食事は米だけだ。間違いなく栄養に偏りがある。それはカメラによって監視センターも把握しているはずだ。

 極刑が生かし続ける刑ならば、食事は重要だ。極刑囚の偏食を是正するための錠剤を調合し、送り付けていると考えてもおかしくはない。


 俺は鍋の蓋を除け、袋から取り出した錠剤を蓋の上に置いた。タオルで手を濡らし塩を擦りこむ。食事の支度だ。

 湯気を上げている飯を掴んで握る。握り飯は朝二個、昼三個、夜二個。その中の三個に、袋の錠剤をひとつずつ具として埋め込む。これが一日に口にする俺の食物の全て。

 握り終わると、昼と夜の握り飯を脇に置いて、朝の握り飯を食う。

 飯を炊いた鍋に水と塩を入れて、内側にへばり付いている飯粒を擦ると、白濁した液体が出来る。それは俺の水以外の唯一の飲料、と同時に唯一の嗜好品。飲料とは全て嗜好品だ。水分を摂るだけなら水で充分なのだから。

 墓地で拾った細長い布きれで昼の握り飯を包み、上着をまくってしっかりと腹にくくりつけた。

 食料を一般人に奪われるのはかなりの痛手だ。上着の下に隠していることが悟られないように、細心の注意を払う必要がある。

 準備を終えて小屋を出た。小屋の前には白銀の線。この線はこれから俺を労働場へと導いてくれる。




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