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極刑  作者: 沢田和早
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 秋の日暮れはあっという間だ。夕陽が弱くなり始めている。

 白銀の線は特別の塗料を使用しているので、暗闇でも見失うことはないが、急ぐ必要はある。

 闇の持つ、人の残酷性を増幅させる力、それはあの男の仕打ちと同様、俺にとって忌まわしい代物には違いないのだ。闇の中では普段大人しい人間ほど、残虐な暴君に豹変する。

 だが、追い立てられる心とは裏腹に、俺の歩みは遅かった。急ぎ足でも四時間かかる道のりを、五キロの米袋を担いで休まず歩き通すには、余りにも体が痛めつけられ過ぎていた。

 俺は線の上に何度も米の袋を置いた。つかの間の休息。

 こうしてこの線の上で夜を明かしたとしても、処罰の対象にはならない。夜の闇の中で俺の体がさらに痛めつけられ、俺の二週間分の食料が持ち去られる、ただそれだけのことだ、それだけのこと。

 誰も何の罪にも問われない、それだけのこと……

 極刑囚への暴行も窃盗も罪にはならない。殺人、それだけが一般人に科せられた極刑囚への罪なのだ。


「……またか」


 あの視線。最近頻繁に感じるこの気配。誰かが俺を見ている。

 俺は暮れかけた街並みを見回しながら、この気配の正体を探し出そうとした。

 だが、何も見つからない。

 あるいはこれも極刑を生きる俺の、疲弊した精神が作り出した幻覚なのだろうか。

 俺は米を抱え上げると、再び線の上を歩き始める。この線の先には俺の家があるのだから。



 やがて墓地が見えてきた。広大な墓場。その一角に立つ小屋の前で線は途切れている。俺の家だ。

 遠くから照射される監視用サーチライトに照らされて、墓地の闇の中に不自然に浮かび上がる俺の家。

 生きるために不可欠な食が与えられない極刑囚にも、衣と住だけは国から与えられる。

 衣は俺の体を監禁し、住は俺の安息を監禁する。

 この小屋の外にも内にも監視カメラは取り付けられている。俺たち極刑囚にはプライバシーは存在しない。プライバシーのない所に安息はあり得ない。


 俺は小屋の戸を開けて中に入った。土間と板の間だけの粗末な空間。

 そしてたった一つだけある窓からは眩しい光が差し込んでいる。サーチライトの照明だ。

 照らし出された土間の三和土たたきに米袋を置くと、俺はそこに転がっている鍋を掴んだ。隅に置かれている水甕に近付き、水をすくって飲む。

 小屋に水道はない。ガスも電気もない。水は墓地内に設置されている公共の水道から汲んでくる。トイレも同様に墓地内の公衆便所を使っている。

 風呂は……最後に風呂に入ったのはいつだったろう。たった一枚あるボロ雑巾のようなタオルで体を拭くだけだ。やがて冬になればそれも億劫になるだろう。

 今日は遺族代表の男が水を掛けてずぶ濡れにしてくれた。体を拭くのはやめておこう。午後の太陽のおかげで服はすっかり乾いている。


 鍋の水を飲み干して、靴を脱いだ。囚人服と共に支給された靴も、今は破れ、底には穴が開いている。靴下はないので両足ともすっかり固くなってしまった。

 板の間に上がり、疲れ切った体を横たえた。張り詰めていた気が緩むと同時に、大きな疲労感が覆い被さってくる。

 朝も昼も握り飯だけで済ませた俺の胃は、食物を要求しているはずなのだが、それを上回る倦怠感が俺を襲い、指一本動かすのも億劫だ。

 俺はぼんやりとした目で小屋の中を眺めた。板の間の隅には拾ってきた古新聞紙が散らばっている。

 俺の寝床だ。

 そこには朝食の残りの握り飯が、ボロ布に包まれて転がっている。

 土間には水甕とかまど。かまどの前は燃料にする木切れ、枯枝、枯葉、枯草、紙ゴミの山。自作の粗末な火起こし。唯一の調理道具である底の凹んだアルミ鍋。蓋代わりの板。石。残りがほとんどない米と塩の袋。

 壁には監視カメラ、そこから張った一本の紐には、支給されている替えの上着とズボン、下着、擦り切れたタオルがぶら下がっている。全てボロボロだ。


「まるで雑巾だな、何もかも」


 不足があればそれを補うのは遺族代表だ。だが、あの男にそんな期待はかけられない。

 俺たち極刑囚に課せられた罰の重さは、法を犯した罪の大きさではなく、残された遺族の憎しみの深さに比例する。遺族の憎しみが深いほど、俺たちに与えられる罰も重くなる。

 しかし、罰の重さ、それは何だろう。俺たちが受ける肉体的、精神的苦しみが大きければ、罰が重いと言えるのだろうか。

 

 ゴトン


 小屋の壁に何かが当たる音がした。誰かが石でも投げたのだろう、俺は気にしなかった。

 見た目は粗末だが、この小屋は極めて頑丈な造りをしている。

 囚人を収容する牢獄が堅固であるのは当然だ。囚人は常に牢獄を破ろうとするので、それに耐えられる堅牢さが必要である。

 しかしこの小屋の頑丈さは極刑囚を保護するためのものだ。一般人の襲撃を防御するために、極刑小屋には様々な仕掛けが施されており、それは世間の常識となっている。

 その常識の真偽のほどは分からぬが、ここに入り込もうとした一般人は、これまで一人もいなかった。生かし続けるのが極刑の意義ならば、当然の措置と言える。

 この小屋の近くで暴行を受けたこともない。時々、まるで度胸試しのように小石が飛んで来るくらいのものだ。この小屋には一般人を怯えさせる何かがあるのだ。

 そう、極刑囚にとっての真の牢獄は、小屋の中ではなく外にある。常に暴行と屈辱を受け続ける牢獄。そこから逃れる術は死か、もしくはこの小屋の中へ入り込むしかない。

 その意味でこの小屋の中では極刑囚は死んでいる。死んでいる囚人に束縛は無意味、ゆえに、ここには白銀の線は引かれていない。何処へでも行ける空間。そして極刑囚以外は決して足を踏み入れることの出来ない空間。それがここだ。


 俺は腹這いになると古新聞紙の塊へ向かった。そこに転がっている握り飯を掴むと口に入れた。バサバサの玄米飯。まるで泥団子を咀嚼するように口を動かして胃へと送りこむ。そこには何の喜びもない。料理を味わう…そんな言葉はもうずっと昔に忘れてしまった。

 塩と米。俺が口に出来る食物は、基本的にはこれだけだ。食事はただ生きる為に必要な行為の一つに過ぎない。それは呼吸と同レベルの生物の義務なのだ。

 握り飯を食べ、凹んだアルミ鍋で水を飲む。それから明日の食料となる玄米を鍋に放り込む。精米に比べて水の吸収が遅いので、長時間水に浸しておく必要があるのだ。

 食物の摂取と準備が終われば、あとは眠るしかない。俺は雑然とした古新聞紙の中へ潜り込んだ。空腹が満たされると同時に猛烈な睡魔が襲いかかってくる。

 俺は古新聞紙の中で身を丸めた。体中の痛みが薄れていく。鎮痛と鎮静を与えてくれる眠り。それは罰の重さに関わらず、生き物に平等に与えられた安らぎ。




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