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極刑  作者: 沢田和早
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遺族

 

 その線はある家の前で終わっていた。俺の遺族代表の家だ。

 俺は玄関の前に立つと、インターホンのボタンを押した。男が出て来た。手にはスマホに似た携帯装置を持っている。俺の首に貼り付けられた監禁装置を制御するリモコンだ。


「遅いぞ」


 男の言葉と同時に俺の体に激痛が走った。男が監禁装置の与痛スイッチを入れたのだ。俺は玄関の前にうずくまると、全身を襲う苦痛に耐えた。


「おら、立て」


 男が俺の背中を蹴った。筋肉の硬直が緩んだ。男が装置のスイッチを切ったのだ。俺はふらつきながら立ち上がった。


「はいれ」


 男に従って俺は玄関の中に入った。後ろ手で戸を閉めると、男が足を払った。俺は玄関の土間に尻餅をついた。


「謝れ」

 男が言った。俺はそこに座ったまま何も言わなかった。

「謝れ」

 男は立て掛けてあった竹刀を持つと、俺の顔を横殴りにした。俺は何も言わなかった。

「謝れ、あやまれ、あやまれ」


 同じ言葉を吐きながら男は何度も俺を殴った。俺は何も言わなかった。座っていた。


「強情な奴だな、お前は。ずっとそうだ。裁判の時も、判決の時も、刑が確定しても、お前は一言も謝らなかった」


 男は竹刀を置くと、足で俺を蹴った。


「反省なんかしていないんだろう。自分は悪くないと今でも思っているんだろう。だから謝らないんだ。ええ、そうなんだろ、何とか言え、このキョッケイが」


 男の固い革靴の踵が俺の手の平にめり込んだ。俺は低い呻き声を出した。


「おい、服を脱げ」


 男の命令に従って、俺は服を脱いで上半身裸になった。

 腹、胸、背中に無数に残る痣と傷痕はまだ治りきってはいない。


「よかったと思っているんだろう。死刑にならなくてラッキーだったと思っているんだろう。ふん、そうはいくかい」


 監禁装置のスイッチが入った。俺の体は再び痙攣した。俺は両手で体を抱いて痛みに耐えた。


「どうだ、苦しいだろう、痛いだろう。だがな、お前がオレたち一家に与えた苦しみはそんなもんじゃないんだぞ、分かってのか、ええ、この殺人鬼、人でなし、クズ野郎」


 愉悦に満ち始めた男の声。甚振られる俺に快感を覚えているかのように、侮蔑の言葉を浴びせてくる。


「殺したんだぞ、お前は。何の罪もないオレの子供を、妻を、両親を、殺したんだ。どんなに痛かったか分かるか、苦しかったか分かるか。今のお前の苦しみなんかなあ、それに比べれば軽すぎるんだよ」


 男はもう一度竹刀を持つと、俺の体を叩き始めた。監禁装置のスイッチは入ったままだ。


「お前のおかげで、オレの人生はめちゃくちゃだ。仕事も、家族も、幸せも、何もかも失くしちまったんだ。オレだけじゃない、オレの家族の人生も幸せもお前は奪い取ったんだ。おい、返してくれ、オレたちの人生を、オレたちの幸せを。いったい、どうやって償ってくれるんだ。どう責任を取るつもりなんだ」


 男の振り下ろす竹刀には殺意が感じられた。合法的に俺を殺害出来る唯一の男。今日こそ殺されるのかも知れない、そんな考えが俺の頭をよぎった。


「死ね。死んで詫びろ。この野郎、この野郎」


 次第に痛みが感じられなくなってきた。

 俺は俺自身の体を、首からぶら下がった大きな皮袋のように感じ始めていた。皮袋を一杯に満たした水は、破れ目から漏れ始めている。この水が流れ尽くした時、俺の苦しみは終わるのだ。

 意識が朦朧としてきた。体を抱く両腕から力が抜けていくのが分かった。




「おい、起きろ」


 男の声がした。俺は目を開けた。全身がずぶ濡れになっている。


「殺しゃしねえよ」


 俺は目の前の男を見上げた。薄っすらと笑いを浮かべた男の足元にはバケツが転がっている。玄関は水びたしだった。バケツで何回も水を浴びせられたのだろう。

 俺は顔だけを上に向けて、起きようとはしなかった。


「殺しゃしねえよ」


 男はもう一度、同じ言葉を吐き捨てた。男自身、その言葉を憎んででもいるかの様に。


「お前は俺の大切な金蔓なんだからな、おい、立て」


 俺は痛む体をさすりながら立ちあがった。男がズボンのポケットから紙切れを取り出した。


「何だよ、これ。今月の金は先月よりも減っているじゃないか。ああ」


 それは俺の給与明細だった。

 俺たち極刑囚の収入は、全て遺族代表の手に渡る。個人で所有出来るものは必ず遺族代表の手を通して支給される。

 無論、現金なぞ貰えない。生活に必要最低限なものだけ、いや、生活ではない。この男が俺に与えるのは生存に必要なものだけ、つまり食糧だけだ。


「先月も言っただろう、もっと稼げって。税金も保険料も差っ引かれないのに、何で基本給より少ねえんだよ、ああ」


 男は手に持った紙切れを俺の顔目掛けて投げつけた。俺は黙っていた。男は俺を睨み付けている。しかし、もう暴力を振るうつもりはないようだ。これ以上痛めつけては明日の仕事に影響が出る、そう判断しているのだろう。


「いいか、今月はもっと稼げ。残業も進んでやるんだ。欠勤は絶対にするなよ。これ以上収入が少なくなったら、食料の支給を減らすからな。分かったか」


 俺は黙って頷いた。男の顔に満足そうな笑みが浮かんだ。


「よし。おい、今回の食料だ。持って行け」


 俺の前でドサリと音がした。米だ。五キロの米袋。もちろん精米ではない、玄米だ。だが、その方が有難い。脚気の心配をせずに済む。

 俺は両手でそれを抱えると肩に担いだ。眩暈がして足がふらつく。だがこれだけは持ち帰らなくてはならない。二週間分の俺の食料なのだから。

 肩に乗せた米袋の重みに、痛めつけられた鎖骨が悲鳴を上げる。俺は向きを変えると外に出ようとした。袋が肩の傷に擦れて焼けつくように疼く。


「塩はまだあるんだろ」


 後ろから男の声がした。俺は答えずに玄関の戸を開けると、外に出た。

 足元には白銀の線。俺はそれを見た。それだけを見ていればいいのだ。他のものは見る必要はない。

 俺は再び歩き始めた。男の声はもうしなかった。


「……塩はまだあるか」


 俺はつぶやいた。男の最後の言葉。

 たとえ無いと答えたとしても、その答えに相応しい対応をしてくれる保証はない。男に与える気がなければ、あろうがなかろうが支給されないのだ。どんな返答にも意味がないのなら、無言が最良の返答だ。

 午後の太陽の光が眩しい。これならずぶ濡れの囚人服も、帰り着くころには乾いているだろう。俺は黙って歩き続けた。




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