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極刑  作者: 沢田和早
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裏切り

「遅かったな、奴隷君。待ちくたびれたよ」


 女の後ろで声がした。扉を開けて入って来たのは遺族代表の男だ。その後ろには白衣の男もいる。

 騙された、やはりこの女は嘘をついていたのだ。

 落胆はしなかった。俺は自分でも驚くほど、この現状を冷静に受け止めていた。

 信じたかったのは事実だ。女の言葉は全て真実であると思いたかった。旅の終わりに待っているのは希望であることを願っていた。

 だが、それは逆に言えば、心の奥底では常に疑惑が渦巻いていたことの証明でもあった。疑っていたからこそ信じたかったのだ。こうなることを予想していながら、それを黙認し続けていたのだ。俺の口から呻くように言葉が漏れた。


「また騙されたわけか。俺を犯人に仕立て上げ、俺を死に追いやる。姑息な悪党め」

「ほざけ。悪いのは騙す方じゃない。騙される方が悪いんだよ。言ったろう、お人好しのマヌケ」


 考えるより先に体が動いた。俺は女を突き飛ばし男に突進した。その時、首が強く締め付けられた。同時に激しい痛み。


「うぐっ!」


 懐かしささえ感じる苦痛だった。女が首に嵌めたのは極刑囚用の監禁装置。俺は床に倒れ苦しみに身悶えた。


「ははは、皮膚に貼り付いていなくても効果があるようだな。よく出来た拷問器具だ」


 男の手にはリモコン。万事休すだ。これでは逃れようがない。唯一の救いは装置が与える苦痛が弱いことだ。包帯の上から嵌められているせいだろう。少しなら体も動かせるし、声も出る。


「なぜ、こんな所へ連れてきた」

「おや、話せるのか。なあに、ここが臓器の取引場所なんでな。バラして持ってくるのも、バラさずに持ってくるのも同じことだろう。しかもこの中は電波が完全に遮断されている。地上じゃそんな場所はどこにもありゃしない。建物の中にいても監禁装置を作動させれば、たちまち当局に居場所を知られちまう。そりゃマズイだろ。お前を殺すのはお咎めなしだが、臓器売買はヤバイからな。裏取引には格好の場所ってわけだ」


 男は饒舌だった。思い通りに事が運んで機嫌が良いのだろう。油断させれば隙が生まれるかも知れない。俺は質問を続ける。


「なら、お前自身が動けばいいだろう」

「それが出来ねえんだよ。お前の脱獄は百%オレの責任だからな。警察が出頭を求めてきやがったんだ。馬鹿正直に顔を出せば、遺族代表を解任されるのは目に見えてる。そうなったらお前との縁が切れちまうからな。今やオレも追われる身なんだよ」


 だから女を使ったのか。どこまでも卑劣な男だ。


「その女は、何者だ」


 女の顔に不快の色が浮かんだ。知られたくない、そう言いたそうな表情だった。が、それは反って、男の加虐性を増大させたようだ。薄気味悪くにやけながら男が答える。


「知りたいよな。知らないままじゃ死んでも死にきれないよな。いいぜ、冥途の土産に教えてやるよ。この女だよ。こいつが殺ったんだ。真犯人はオレじゃない、RH-もオレじゃない、この女だ」


 男の言葉に耳を疑った。俺の想像を凌駕した言葉。男に騙されているのではないか。確かめたい。俺は女を見上げて言った。


「嘘だったのか。君が言ったこと、みんな嘘だったのか」


 女は顔を背けると男の方へ歩いて行った。何の弁解もしない。俺は悟った、本当なのだと。


「騙される奴は何度でも騙される。何度でもカモにされる。愚かだな。いいか、この女は最初からオレの仲間。オレの指示でお前を尾け、助け、ここに連れて来たんだ。モールでは焦ったよ。指示通り動いているか確認するだけだったのに、お前に見つかっちまったからな。疑いを解くためにキャンプ場で一芝居打ったが、ひどい目に遭っちまった。この女、手加減を知らねえからな」

「では、靴の発信機は」

「そんなもの必要ねえよ。行く先は分かってんだから。お前を信用させるための小道具さ」


 ひどい悪夢を見ているようだった。あの時、男を締め殺そうとしたあの時、俺は女に明確な殺意を感じていた。だが、あれも嘘だったのか。あの鬼気迫る形相さえも嘘だったのか、何もかも茶番、手の平の上で転がされていたに過ぎなかったのか。


「この女もお前に死んで欲しいんだよ。再審請求なんかされちまったら、間違いなく有罪になるからな。と言って自分では殺せない。だが、オレなら合法的に殺せる。だから協力した。分かっただろ。お前がここで大人しく死んでくれれば、全てが丸く収まるんだよ。おっと、無駄話が長くなったな。時刻が迫っている。おい、やってくれ。今度は首輪を外せとは言わねえだろう」


 白衣の男がカバンを持って俺に近付いて来た。作動し続ける監禁装置によって、体は言うこと聞かない。それでも俺は諦めなかった。最後の最後まで抵抗する、その意志はまだ残っている。

 白衣の男は俺のそばで立ち止まると、俺を見下ろしたまま言った。


「わかった、外せとは言わない。だが、麻酔はいいだろう。前回と違って体の自由が若干残っている。動かれては綺麗にバラせない」

「ちっ、仕方ねえな。安いのを使ってくれ」


 白衣の男は身をかがめ、カバンから注射器とアンプル取り出した。ゆっくりと薬液が吸い上げられていく。あれを打たれたら終わりだ。俺は右手を握りしめ、拳に力を込めた。顔が近付いてきた。


「ただの睡眠導入剤だ。君はしばらく静かにしていろ」


 耳元で穏やかに、そして明確に囁かれた白衣の男の声。俺の右手から力が抜けた。こいつも嘘をついている。しかもあの男たちとは真逆の嘘を。

 右腕に軽い痛み。袖をまくりあげられた腕に注射針が刺さり、薬液が注入されていく。遠くで眺めていた男が満足そうに声を上げた。


「ふっ、これで終わったな。お疲れさん」


 この男には珍しい心遣いだ。俺に向けられたねぎらいの言葉……いや、それは俺に向けられたのではなかった。女にだった。女の左腹に男のナイフが深々と突き立てられていた。


「きさま、何を」


 思わず立ち上がろうとして、白衣の男に制せられた。女は腹を押さえて膝から床に落ちた。両手に紐を――キャンプ場で男の首を絞めた、あの時の紐を握ったまま……

 白衣の男が立ち上がり、男に向き直った。


「説明してくれないか。なぜ彼女を殺そうとする。極刑囚を殺しても罪にはならないが、その女を殺せば罪になる」


 白衣の男の冷静な口調。この男も俺同様、全てを知っているわけではないようだ。


「お前には関係ねえよ。正当防衛だ。オレは首を絞められた、やむを得ずこの女を刺した、それだけのことさ。見ろ、首には跡も残っている」


 男はシャツの襟をめくって見せた。赤い索状痕が火傷のように走っている。キャビンで絞められた時に付いたものだ。まるで免罪符のように自分の首を見せびらかしながら、男は女の頭を蹴った。


「その紐はなんだよ。分かってんだよ。あいつが死んだらオレを殺すつもりだったんだろ。このオレを騙せるとでも思っていたのかよ。残念だったな。お前の考えることくらいお見通しだぜ、このアバズレが」


 力なく床に転がる女。白衣の男はカバンを持って女に近付こうとした。男が声を荒げる。


「おい、何をするつもりだ」

「手当てだ。医者として見過ごせない」

「関係ないって言っただろ。余計なことをするんじゃねえ。お前も刺してやろうか。いいから早くバラせよ」


 白衣の男は立ったまま動かなかった。何もしようとしなかった。何もせず、時間が経過することだけを待っているようだった。


「先生さんよ、オレを甘く見るな。安くはなるが、バラさずにそのまま引き渡したっていいんだぜ。そうなったら差額分は請求するからな」


 それでも白衣の男は動かなかった。睨み合ったまま対峙している。二人を縛り付ける静かな緊張。

 やがて、一触即発な空気に耐えきれなくなったのか、遺族代表の男が叫んだ。


「もういい! オレがやる。おい、メスをよこ、グッ……」


 男の動きが止まった。それと同時に時間も進むのを止めたような気がした。


 それから起こったことは、まるで夢の中の出来事のようだった。


 ナイフの一閃……男の首筋から吹き出す鮮血……力なく倒れる男の体……その後ろから現れた決死の形相の女……床に崩れ落ちる女の体……走り寄る白衣の男……


 余りにも現実離れしたシーンがひとつひとつ、コマ送りの映画のように俺の前に展開された。


 カシャ!


 金属音。首の戒めが解ける。白衣の男がリモコンを操作して、首輪を外してくれたのだ。苦痛から解放された俺は、今度は眠気を感じ始めた。どうやら打たれたのは本当に睡眠導入剤だったようだ。白衣の男の声が聞こえてくる。


「駄目だな。一刀で頸動脈を切断か……看護師とか言っていたな、いい腕だ」

 白衣の男は倒れた男から離れると、今度は女を診た。

「こちらも重症だな」


 カバンを引き寄せ女の手当てを始める白衣の男を、俺は黙って見ていた。こいつは何者なんだ。敵とも味方とも知れぬこの男に、一種の不気味ささえ感じる。


「応急処置はした。が、出血がひどい。早く輸血しないと死ぬ」


 そう言って男が立ち上がった時、金属の扉が僅かに開いた。隙間から誰かが覗いている。


「大丈夫だ、入れ」


 白衣の男の指示で別の男が中に入って来た。しばらく二人で話し合っていたが、やがて白衣の男はカバンを持ち、部屋から出て行こうとする。俺は慌てて呼び止めた。


「待て、お前は何者だ。なぜ俺を助けた。あの男とはどんな関係だ」

「ただの医者だ。それに君たちに興味はない。私の目的はこの男の属する組織の壊滅。取引場所に君を行かせるように進言したのも私だ。命を助ける気もなかった。本当にただの極刑囚なら迷わずバラして臓器を取り出していただろう。遺族代表の命令ならば、私が手を下しても罪にはならないからな。が、無実の者を殺すのはさすがに忍びなくてな。結果として助けてしまった、それだけのことだ」

「この女も、お前たちの仲間だったのか」

「いいや、関係ない。私怨だけで動いていたんだろう。おかげでこの場所も簡単に特定出来た。ただ、男が死んだのは想定外だった。これで組織の壊滅は難しくなった。今回は臓器売買のグループを摘発出来ただけでよしとしよう。君はいい働きをしてくれた。この十ヶ月近く、本当によく頑張ってくれた。再審請求するがいい。すぐに開始されて自由の身になれる」


 いい働きをした、だと。十ヶ月近く頑張った、だと……

 新たな疑惑が湧き上がってきた。俺を騙していたのは、もっと大きな何かだったのではないか。俺もあの男もこの女も、ただその何かの目論見通りに、動かされていただけなのではないか。


「では、報道管制を敷いていたのは、いや、今、あの事件の新証拠を出してきたのさえも、まさか……」

「答える義務はない。君の好きなように解釈すればいい。外に出たら救急車を呼んでやる。眠って待っていろ。そろそろ薬も効いてくるだろう」


 白衣の男はそう言い捨てて出て行った。俺はふらふらしながら、床に倒れている女に近付いた。

 右手の近くには男を斬ったナイフが落ちていた。それは初めてこの女と会った時、トイレの前で俺が落とした医療用メスに違いなかった。あの時のナイフをまだ持っていたのだ。

 記憶が蘇る。女の横をすり抜けようとして、首筋に手刀を打ち込まれた、あの出来事が、ずっと遠くの昔のことのように思われた。

 急に懐かしさが込み上げてきた。俺を騙し、裏切った女。あの男に俺を殺させようとした女。そして今は真っ青な顔をして、俺の前に無力な姿を晒している女。

 俺の心の中には、怒りも憎しみも湧いてこなかった。出来ればもう一度、この女と一緒に同じ時を過ごしたい、そんな想いだけが俺の心を占めていた。



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