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極刑  作者: 沢田和早
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 俺は歩いていた。

 俯いて歩くのはもう癖になっている。

 足元には一本の線。その線の上を歩く。その線だけを見て歩く。

 その線から決して離れないように俺は歩いている。

 俺の前にどこまでも続く線。俺の存在が認められているのは、この線の上だけだ。

 この線から外れることは俺には許されないのだ。


 俺が歩いている歩道の上には、俺の足の他にも多くの足が動いている。

 前方から来る足の大部分は俺の足を避け、線を踏まずに通り過ぎて行く。

 後ろから歩いて追い抜く足はない。俺は出来る限りの早足で歩いていた。

 走りでもしない限り追い抜けはしない。目的地まで歩いて行くしかない俺には急ぐ必要があったのだ。

 

 誰かの足が前方の線の上に立っている。その足の前で俺は立ち止まった。

 そのまま、その足が線の上からどいてくれるのを待った。

 だが、その足は線の上に立ったままだった。

 俺は右足を線の横に踏み出すと、その足を回り込んで先へ行こうとした。


 ゴキッ !

 

 左頬で鈍い音がした。殴られたのだ。

 バランスを失った俺は右側に倒れた。

 倒れた俺をさらに右側へ動かそうと線の上の足が体を蹴る。

 その蹴りに逆らって、倒れたままの体を左側へ這わせる。一刻も早く線上へ戻りたいのだ。


「 生意気なんだよ、キョッケイが」


 激しい蹴りが左腹に入った。

 俺の体は右へ転がり、線から大きく離れた。同時に首の装置が作動した。


「 うぐっ 」


 俺は呻いた。

 体中の筋肉が硬直した。全身が痺れてケイレンしている。俺の体はもう指一本動かすことも出来なくなった。

 大きく開いた口からはよだれも垂れ始めている。


「 ざまあみろ」


 足は去っていった。しばらくして装置が切れた。

 体はまだ痺れていたが、俺は線に向かって這い出した。

 装置のインターバルは十秒だ。それまでに線上に戻らなければ、装置が再び作動する。

 俺は虫のように歩道を這い、元の線上に戻った。

 装置の再作動はなかったが、すぐには立てなかった。そのまま俺は歩道に寝そべっていた。


 線の上で倒れている俺の横をたくさんの足が通り過ぎていく。

 中には足先で突っついて行く者もいる。だがほとんどの足は無視だ。


「 いつものことだ」


 俺はつぶやいた。これまで何度同じ目に遭っただろう。



 俺たち極刑囚はこの線から離れることは出来ない。

 自分の意志でも他人の強制でも、その理由に関わらず、線の左右一メートルの範囲を逸脱すれば、首に貼り付けられたリング状の装置が作動し、俺たちの体に苦痛を与えるのだ。

 俺は顔を上げて線を見た。線は続いている。

 繁華街の歩道にも、地下鉄の階段にも、スーパーにも、公衆トイレにも。

 だがそれは必ず人通りの多い場所だ。何かの目的がない限り、裏通りや住宅街にこの線はない。

 俺たちの姿は常に衆目に晒されていなければならないのだ。


 俺たちの姿。背中に大きく「極刑囚」と書かれた囚人服と、額に刻まれた「極」の文字。

 同じ文字は背中の皮膚にも刻まれているから、服を脱いでも無駄だ。

 そして犬の首輪のように頸部に貼り付けられた囚人監禁装置。

 この装置から発せられる電波により、俺たちの現在位置は常に捕捉されている。装置を無理に外そうとすれば、起爆装置が作動して頸動脈が破裂する。

 最初に街に出る時、そう説明された。

 それが本当かどうか確かめる勇気は今もない。

 こうして俺たち極刑囚は、法の名の下に人間社会の中に設置されたこの線の上に、確実に監禁されているのだ。

 線から離れた時に作動する装置の苦痛と恐怖は、しかし最初の数回だけだった。

 それを何度も味わった今では、少なくとも恐怖感はかなり薄れている。この苦痛にもっと慣れてしまえば、この線上から離れる勇気が湧くだろうか。


 痛みがだいぶ和らいだ。俺は立ち上がって周りを見た。

 小さなカメラがある。無数にある。

 それは電信柱に、ビルの壁に、改札口に、交通標識に、俺たち極刑囚を監視する高性能マイク付きのカメラが、この線に沿って延々と取り付けられている。

 このカメラは俺たちの装置が発する電波に反応して、俺たちの姿と声だけを執拗に追跡する。

 たとえ装置の苦痛に打ち勝って線上から逃れたとしても、俺たちの姿と声はこのカメラによって、中央の囚人監視センターに送られている。

 センターには俺たち一人一人に貼り付けられている監禁装置の制御システムがあり、線上から逃げようとする俺たちに、さらに長く、さらに大きな苦痛を自由に与えることが出来る。

 その苦痛にも耐えてカメラの撮影範囲から逃げおおせたとしても、装置から発せられる電波によって俺たちの居場所は確実に補足され、いざとなれば首輪の起爆装置を作動させ、俺たちを瞬時に殺すことも囚人監視センターには可能なのだ。


 そして、それは逃亡を図ろうとした場合だけではない。

 たとえ線上にいたとしても、

 一般人に危害を加えようとした時、

 一般人に暴言を吐いた時、

 その他、極刑囚に相応しくない行為や言葉を俺たちが表した時、

 センターは直ちに監禁装置を作動させ、俺たちに苦痛を与える。


 どんな行為どんな言葉が処罰の対象になるのか、それは完全にセンターの独断であり、その判断に対する抗議は許されない。

 ゆえに俺たちは一般人に対して無抵抗となり、無口になる。


「だが、死にはしない」


 極刑囚を殺害したものは死刑になる。

 この一文のおかげで、俺たちに与えられる一般人からの暴力は、決して致命傷にはならない。俺たちを監視するカメラが、一般人の暴力を抑制するはずだ。カメラは俺たちの姿も捉えているが、俺たちに暴力を振るう一般人の姿も撮影しているのだ。

 俺たちに頻繁に絡む一般人にはセンターから注意が与えられる。同じ一般人から何度も暴行を加えられた経験がないことから、俺はそう考えていた。

 俺たちを監視するカメラは、同時にまた、俺たちの命を守ってもいるのだ。


「むっ」


 俺は後ろを振り向いた。感じたのだ。誰かの視線。カメラのものではない生きている者の気配。

 それは最近頻繁に俺を捕える感覚だ。

 周りを見回す。だがそこにはいつも通りの休日の繁華街があるだけだった。大部分の一般人は俺を避けて歩いて行く。


「本当にいるのか」


 二十四時間極刑囚を見守る監視員が、極刑囚一人一人に割り当てられている、そんな話を以前に聞いたことがある。

 しかしあくまで噂だった。

 俺たちを精神的に追い詰める為に作り出された、ただの脅しなのかも知れない。


 俺は歩き始めた。

 目的地までは遠いが道に迷うことはない。

 俺の前には線がある。分岐点は数えるほどしかないから、それに沿って歩いて行けば間違いはない。

 もし線から外れても苦痛を以ってそれを教えてくれる。

 俺には思考も判断も必要ない。自由を奪われた俺に責任はなかった。

 俺の責任は全てこの線が背負ってくれているのだから。




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