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極刑  作者: 沢田和早
19/23

疑惑

「どう思うんだ、あの男。どうしてあんな所にいたと思う?」


 訊かずにはいられなかった。俺には見当もつかない。女がどう考えているのかを知りたかった。


「そんなの、私に分かるはずがないでしょう。ただの偶然とか、いつも買物しているモールだったとか」


 偶然……便利な言葉だ。どのような事象もその二文字で説明がつく。

 冷静に考えてみる。俺たちは二時間近く走っていた。その範囲内で立ち寄りそうな店は十軒以上はあるだろう。しかも俺が車の外にいたのは、せいぜい十分程度だ。たとえあの男の馴染みのモールだったとしても、偶然で片づけるには無理がありすぎる。


「そんな神懸かり的な偶然、あるはずがない」

「そうね。宝くじの一等が当たるよりもあり得ないかもね。じゃあ、こう考えたらどう。このモールの監視カメラに、たまたま私たちが映ってしまった。警察がそれを察知してあの男に知らせた。男は喜んでここにやって来た」


 その仮説も無理だ。男の家から車で二時間かかる場所なのだ。俺たちがここに着いてから連絡したのでは、絶対に間に合わない。少なくとも、俺たちが到着する前から、同じ方向に車を走らせていなければ、会うことは不可能だ。

 それに警察が察知したのなら、まず警察がここに来るはずだ。だが、それらしい人物はいなかった。俺を追いかけたのは、奴ひとりだけだったのだ。


「別に理由なんかいいじゃない。捕まったわけじゃないんだから」


 女はさして気にしていないようだった。その無関心な態度が、俺の懐疑心をさらに強くする。まさか、この女、本当は男の側の人間なのではないか。それなら男があそこにいた説明はつく。この女が連絡したのだ。

 しかしそうなると、それ以外の説明がつかない。もし女が男の協力者なら、あの場で俺を引き渡したはずだ。それをせず、なぜこうして逃げ続けているのか。男の側の人間が逃亡幇助の罪を犯してまで、他人の俺を助ける必要がどこにある。

 むしろ、あの男への復讐のために俺と協力していると考えた方が説得力がある。女が男の側の人間であると考えるのは無理がある。

 どちらの仮定にも瑕疵がある。結論は出ない。だが、この女を完全に信用出来ない以上、このまま最後まで付いて行くのは危険すぎる。どこかで別れるべきだ。

 俺の目的は弁護士と会い、男に居場所を知られる前に再審請求の手続きを済ませること。それが可能なら女の助力は必要ない。問題はそれをどう可能にして、いつ別れるかだ。俺は後部座席に座ったまま、考えを巡らせた。


「私を疑っているの?」


 いきなり仕掛けてきた女のあからさまな問いに、俺は答えられなかった。無言で返事をする。


「あなたから見ればそう考えるのが一番自然でしょうね。でも、それは私だって同じことよ。もしかしたら、あなた自身がお芝居をして、私やあなたの担当弁護士を騙そうとしている、そのためにあの男と組んで連絡を取り合っている、そう考えることも出来るのよ」

「俺を疑っているのか」

「私から見れば、そう考えるのが一番自然だってことよ」


 言われてみればそうかも知れない。この女も俺と同様、あの男とは敵対関係にあるのだ。あの男と女が手を組んでいると俺が考えるのなら、俺とあの男が手を組んでいると女も考えるだろう。

 これ以上の推論は無駄だ。手掛かりが少なすぎる。とにかくこれからは女が怪しい素振りを見せないか、注意深く様子をチェックすることにしよう。


 

 それから俺たちは走り続けた。途中、カーラジオでニュースを聞いたが、不思議なことに俺の脱獄の事実は全く報道されていなかった。極刑囚脱走なんて初めてのケースだから、あっちも対処に苦慮しているんじゃない、と女は愉快そうに言った。真相は分からないが、報道管制が敷かれているのは間違いないようだ。こちらとしては有難い。

 女も俺も余計な無駄口は叩かなかった。お互い腹を探りあっているような感じだった。

 日も暮れて、女に疲れが見え始めた頃、運転を代わろうかと申し出たが拒否された。女も俺を完全に信用しているわけではないようだ。俺は助手席には戻らず、後部座席に座ったまま、ぼんやり窓の外を眺めているしかなかった。


 数回の休憩を挟んで走り続けていた車が止まった。


「ここで少し仮眠をとるわ」


 女はそう言うと車を降りた。もう深夜を過ぎている。さすがに疲れたのだろう。俺も外に出ると大きく伸びをした。座りっぱなしで体がすっかり硬くなっている。


「キャビンがあるわね」


 広い草地には粗末な木造の小屋が数棟、月明かりを浴びて並んで建っている。どうやらキャンプ場のようだ。それも相当年季の入ったものらしい、小屋が廃屋に見える。あるいはもう営業していないのかも知れない。

 女がキャビンに近付いた。戸が開く。施錠もされていないようだ。


「ちょうどいいわ、使わせてもらいましょう」

 女は戻ってくると、トランクから毛布とバスタオルを取り出した。

「あなたもキャビンで寝るでしょ」


 こんな時の女は男よりも度胸がいい。さすがに躊躇したが、手足を伸ばして寝られる誘惑には勝てなかった。

 バスタオルを受け取って女と一緒にキャビンに向かう。外側はひどい荒れようだった。壁も扉も汚れ、一部は腐食して剥がれ落ちている。どうやら本当に利用されないまま、長期間放置されているようだ。


「あら、中は案外綺麗ね」


 女の懐中電灯で照らされた内部は、思ったほど傷んではいなかった。六畳ほどの板間に窓があるだけの簡素な造り。それでも極刑小屋に比べれば遥かに快適だ。俺たちは横になった。


「悪いわね、バスタオルで。毛布は一枚しかないのよ。寒くない」

「いや、大丈夫だ」


 昨日まで新聞紙に埋もれて眠っていたのだ。今の俺にとってバスタオルは羽毛布団に匹敵する心地よさだった。

 体が重い。手も足も動かすのが億劫になってくる。だが、体の気怠さとは裏腹に俺の頭は冴え返っていた。隣に横たわる女の匂いが鼻孔をくすぐる。久しく忘れていた感覚だ。意識の外に追い出そうとしても、一向に出て行ってくれる気配はなかった。気分を変えようと、俺は口を開いた。


「知っていたらでいいんだが、教えてくれないか。見つかった新証拠とはどんなものだ。弁護士から何か聞いていないか」


 新聞には詳しく書かれていなかった。どのような証拠がどうして今頃出てきたのか、再審が認められるほど信用に足るものなのか、出来れば知っておきたかった。

 俺の問いに女はすぐに返答した。


「血よ。ナイフに付着していた血」

「血? そんなものを今まで見落としていたというのか」

「いいえ。検察は把握していた。ナイフから検出された微量なRH-型の血液。被害者にそんな血液型の人物はいなかった。そして、その血液型の容疑者には全てアリバイがあった。だから検察は握り潰したのよ、その証拠を。自分たちのストーリーに矛盾が生じないように闇に葬ったのよ。あの現場に、あなたでも被害者でもない、別の第三者が存在していたという事実をね」


 ナイフ、血……俺は思い出した。頭に衝撃を受けて倒れ、何かを右手に握らされた時、俺はそれを振ったのだ。手ごたえがあった。では、その血はあの時に付いたものなのか。


「あなたの担当弁護士は、あのナイフについてずっと証拠開示を求めてきた。今回どうしてその事実が明るみに出たのか、私は知らない。でも、彼の努力のおかげであることは間違いないわ。少しは感謝するのね」


 事件の概要が見えてきた。俺を襲ってナイフを握らせたのはあの男。その時、男は俺の振るったナイフでどこかを怪我したのだ。その直後に、異変を察知して隣の住人が駆けつけたので、ナイフから証拠を消す暇がなかったのだろう。


「では、あの男の血液型がRH-」

「そうなるわね。再審が開始されれば間違いなく有罪になる。それを阻止するにはあなたを殺すしかない。しかも今ならそれを合法的に行える」


 逃げ切るしかない。なんとしてもあの男に自分の罪を償わせたい。


 俺は目を閉じた。ざわめきが聞こえる。風に吹かれて近くの木々が揺れているのだ。それは墓地の小屋にいた時も聞こえていた音だった。極刑小屋の夜、一人で聞く木々の音は俺を一層孤独にするばかりだった。

 だが、今、それは子守唄のように優しく俺を包んでいた。誰かと一緒に聞いている、ただそれだけで俺の心にこれほどの安らぎを与えてくれるのだ。その音に身を任せているうちに眠気が押し寄せてきた。深海に沈むように俺は眠りに落ちていった。



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