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極刑  作者: 沢田和早
14/23

 

 朝、窓から外を見ると、男の死体はなくなっていた。この小屋の周囲は監視カメラで終始見張られている。ぶら下がっていた男も直ちに発見されて、当局に回収されたのだろう。

 もし、あの男が新聞に書かれた重要参考人だとしたら、今回の自殺が今後の成り行きにどう影響するのか俺には分からない。このままの生活が続くのか、新たな展開があるのか……

 だが、十か月近く続いて来たこの生活が、今日、明日でいきなり変わることなどないだろう。最優先すべきは俺自身を生かし続けることだ。俺は土間に下りて今日の飯の支度をした。


 昼の握り飯を懐に入れて、外に出た。昨日言われた通り、遺族代表の男の家へ向かうためだ。米はほとんど底を突いていた。今日貰えなけば、明日から絶食して働かねばならなくなる。仕事第一のあの男がそんな真似をさせるとは思えない。ただ、昨日の尋常ではない男の態度が、俺に危惧を感じさせていた。

 早歩きで片道四時間の道のりは長い。いつものように残り約五キロの地点にある公民館で昼食にする。散水用の蛇口から水を飲み、持参した握り飯を齧った。

 珍しく俺にちょっかいを出す者はいない。人はいる。俺の存在にも気付いている。だが誰も彼も素知らぬ振りをしている。これもあの「文字の羅列」の効果なのだろう。明らかに以前の俺とは違う俺として、俺は彼らに認識されているのだ。

 いつになくのんびりと飯を済ませた俺は、少なからぬ優越感に浸りながら、線に沿って歩き出した。


 男の家に着くと、俺はインターホンのボタンを押した。昨日とは違ってすぐにドアが開いた。俺は中に入り後ろ手でドアを閉めた。


「こいつだ」


 男が言った。俺にではなく、男の隣に立っている別の男にだ。面会日に他人が同席するのは初めてだった。

 何者だろう。医者のような白衣を着ている。この男を呼んだのは、恐らく「文字の羅列」の効果なのだろうが、その目的がわからない。


「お前、もう知ってるんだろう」

 今度は俺に向けた言葉だった。俺は無言で頷いた。

「なら、話が早い」


 いきなり俺の監禁装置が作動した。男がリモコンのスイッチを入れたのだ。首から全身に広がる苦痛に襲われた俺は、身悶えながらその場に崩れ落ちた。


「おい、そっちを持て」


 二人の男が俺の体を抱え上げた。靴も脱がさずに家へ上がり、リビングに連れ込まれる。床にはブルーシートが敷かれていた。その上に転がされる。


「な、なに、を……」


 苦痛に耐えて声を絞り出す。無駄だと分かっていながら、訊かずにはいられなかった。

 男は俺の両手と両足を紐で縛っている。彼らの目的の達成が、俺にとって最悪の結果になることは、もはや疑う余地はない。


「お前の利用価値はなくなったんだよ」


 男は監禁装置を作動させたまま話し始めた。


「いい金蔓だった。いい奴隷だった。いい慰み物だった。だが、それも今日で終わりだ。どうせ再審請求するんだろう。極刑囚という身分を捨てるんだろう。いや、いいんだ。お前の代わりに新しい極刑囚が来るんならな。だがそいつは死んじまった。さっき知らせが来たよ。首吊りだってな。これでオレに貢いでくれる者はいなくなっちまった。じゃあ、最後にお前の体を貢いでくれよ。極刑囚をやめる前に、お前の持ち物を全て置いて行ってくれよ。知っているはずだ。遺族代表は自由に極刑囚を殺せるんだ。それも望み通りの方法でな」


 男が白衣を着た男に合図した。カバンから刃物を取り出す。手術用のメスだ。


「裏のルートで臓器売買の契約を取り付けてある。刑が決まった時から手配しておいたんだ。ただで死なれちゃ勿体無いしな。お前だって自分の体を焼いて灰にしちまうより、他人の為に役立たせた方が嬉しいだろう。大丈夫だ。頭から足まで使える部分は全て使ってやる。お前はよく頑張ったよ。思った以上に死を長引かせて、オレに貢いでくれた。その苦行も今日で終わりにしてやるよ。おい、やってくれ」


 全てが分かった。この男のやりそうな事だ。たとえ「文字の羅列」がなくとも、俺の最期は初めから決められていたのだ。俺が死への誘惑に抗しきれなくなった時、男は即座にこの最終通告を言い渡すつもりだったのだろう。


「や、やめ、ろ……」


 監禁装置作動中は片言の発声すらも難行だ。にも関わらず、俺は声を発していた。この言葉に男は驚いた顔した。この男に歯向かう態度を見せたのはこれが初めてだった。


「はっ、一人前に命が惜しいのか。キョッケイのくせに」


 男が俺の頭を踏んだ。俺自身も俺の言葉に驚いていた。諦められなかったのだ。以前の俺なら自分の死さえも容易に受け入れて、男の言葉に従っていただろう。

 だが、こうして実際に自分の死が間近に迫った今、それは俺の虚栄に過ぎなかったことがようやく分かった。一般人からの暴行も罵倒も、死から守られていると約束されているからこそ、無抵抗に受け入れられたのだ。給料目当てのこの男が俺を殺すはずがないと思っていたからこそ、反抗もせず、されるに任せていたのだ。

 死に対して無関心でいられたのは、死に対して無関係でいられたからだ。俺は俺自身を欺いていた。生に執着する動物としての本能は、俺の中にもまだ残っていたのだ。


「おい、何をグズグズしてるんだ。とっとと始めろよ」

「首輪を外してくれ。爆薬が仕掛けられているのだろう。摘出中に暴発でもしたらこちらも怪我をする」


 白衣の男が答えた。やはり医者のようだ。もっとも正規の医師資格を持っているとは断言できない。こんな企てに手を貸す以上、堅気の人間とは思えなかった。


「おいおい、リモコンで爆発停止に設定しておけば、大丈夫だって言っただろう」

「いや、仕組みがわからない以上、手元に危険物を置いて作業はしたくない。それに、リモコンで操作出来るのなら、お前に私の命を預けているのと同じになる。外してくれ」

「やれやれ、インテリはこれだから困る」


 苦痛が消えた。男が与痛機能を止めたのだ。大きく息を吐いてしびれたままの体を両手で抱かえる。


「解除スイッチは、これか」


 金具の外れる音がして首の締め付けがなくなった。心地よい解放感が喉から首全体に伝わる。同時に、これまで俺を締め付けていた極刑囚としての自責からも、解放されていくような気がした。

 別の俺が生まれようとしていた。いや、生まれるのではない。無理に押し込めて埋もれてしまっていた本来の俺が、今、再び俺の元へ戻って来ようとしているのだ。乾いた大地に雨が染み込んでいくように、揺るぎない自信が満ちてくるのを俺は感じた。



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