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極刑  作者: 沢田和早
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ゴミ

 やがて俺の歩みが止まる時がやって来た。白銀の線が途切れていたのだ、と言うより、道それ自体がなくなっていた。

 崖だ。前方にはガードレールも柵もない、進めば落下するむき出しの空間が立ち塞がっていた。

 立ち止まった俺の背後から男の声がする。


「この線はここで行き止まりです」


 俺は崖の端まで行って下を覗き込んだ。そこはゴミ捨て場だった。相当な高さがある。下手に飛び降りたりしたら命に関わるほどの。


「ここには、初めて来たのですか」

 男はさらに話す。俺は引き返したかったが、振り向いて男の顔を見るのも嫌だった。

「ここはね、極刑囚のために用意された場所なのですよ」


 俺は男に背を向けたまま崖の端に座った。男の顔を見るのは嫌だが男の話には興味があった。


「白銀の線には必ず意味があります。無意味な場所へ導くような線は一本も引かれてはいません。ここは極刑囚が自殺をするための場所です」


 男は昨日のように、俺の隣に腰を下ろそうとはしなかった。顔も見たくないという俺の気持ちを察しているのだ。俺の後ろに立ったままで話をしている。


「これまで数人の極刑囚がここから飛び降りました。ご存じのとおり、首の監禁装置を壊せば、自爆装置が作動して簡単に死ねます。ただ協力者も道具もなく、極刑囚一人だけであの頑丈な首輪を壊すのは、非常に困難かつ大変な痛みを伴います。首吊りも比較的容易ですが、行ける場所と入手出来る道具に制約のある極刑囚には、少々厄介な手段になります。となれば、一番手軽な死に方は飛び降りしかありますまい。極刑囚の自殺の権利を守るために、ここは当局によって、わざわざ用意された場所なのですよ」


 俺は下を覗き込んだ。ここから飛び降りれば、死体はゴミ捨て場に転がることになる。ただのゴミになれとの暗示だろうか。ゴミのような人生の極刑囚にはお似合いの終着地点だ。


「簡単に死刑囚になれるのに……」


 俺はつぶやいた。極刑囚に課せられた労働の義務、あるいは遺族との面会の義務を怠れば、自動的に死刑囚に格下げされ、二週間以内に刑は執行される。自ら命を絶つ必要があるのだろうか。


「あなたは不思議に思うでしょうね。強烈な生への意志を持つあなたなら」


 まるで俺の心の内を見透かしたような口振りだった。いや、見透かしているのだ。俺が腹を立てているのも、男の顔を見るのが嫌でこうして背を向けているのも、自ら命を絶つ極刑囚を愚かに思っていることも。

 男の話は続く。


「人間とは弱いものですよ。死は誰にでも訪れます。どんなに若くても、健康でも、極刑囚でなくても、どんな生物の上にも平等にやって来ます。ですから、自ら命を絶つ人間は本来不思議なのですよ。そんなことをしなくてもいつかは死ぬのですから。でもそれが人間なのです。確実に死はやって来るのに自らそれを早めてしまう。それが二週間先でも五十年先でも同じなのです。死を約束されている一般人が自殺するのと同じく、確実に殺される手段を持っている極刑囚も自殺する、それだけのことですよ。しかしそこには強さもあります。私にはない強さがね」


 男はそれだけ言うと黙ってしまった。俺は崖の下のゴミ捨て場を眺めていた。

 極刑囚になってから、俺は一般人には興味を持たなかった。路上で俺に暴力を振るう奴らにも、毎日会う労働場の一般人にも、あの遺族代表の男にさえ、俺は何の興味も抱かなかった。

 しかし、今、この男には興味を覚えずにはいられなかった。何者なのだ。なぜ俺にこんな話をする。会社員というのは嘘で、本当は以前耳にした、極刑囚一人一人に割当てられた監視員なのではないか。だとしたら目的は何だ?

 ――死か。

 死んで欲しいのか俺に。ここから飛び降りて欲しいのか。異例の長さで刑に服している俺が不満なのか。他の極刑囚のように、さっさと刑の服役を終了して欲しいのか。


「どうしてです、どうしてあなたそんなに強い?」

 男の言葉が震えていた。

「これだけの屈辱に耐えながら、どうして、生きることにしがみ付いていられるのです。死んだ方が楽なのではないですか。私はいつもそう思っています。けれども私にはその勇気がない。自分で自分を殺す勇気がないのです。極刑囚ならば自分で自分を殺さずとも義務を放棄するだけで簡単に死ねます。国が殺してくれるのです。そう、だから私も、せめて死刑囚になれればと考えたこともありました。死刑囚になれば自殺しなくても死ねるでしょう。でもその勇気もないのです。一般人として自殺する勇気もなく、死刑囚になる勇気もない。あなたは軽蔑するでしょうが、それが私たち凡人の生き方なのですよ。でも、あなたは凡人ではない。どんな屈辱もあなたに死への欲望を植え付けない。あなたは常に生きることを望んでいる。どうしてです。どうしてなのです。死ぬのが恐いからですか。私と同じように死にたいと思いながら、それでもただ単に勇気がなくて死ねないだけなのですか」


 俺は男の方を振り向いた。弱々しい怯えた目がこちらを怖々と見上げている。俺は男の顔を睨み付けると、黙って男の横をすり抜けた。帰ろう。木切れや紙くずもこれだけ集まれば充分だ。


「一家四人惨殺事件。否認し続けた容疑者に極刑……」


 先程までとは違う、低い、しかし挑戦的な声が背後から聞こえた。あるいはこの男も遺族の関係者なのだろうか。


「あなたは最初から最後まで自分を弁護し続けましたね。取調べ中も公判中も、一度も罪を認めようとしなかった。理由は何ですか。素直に認め、謝罪の言葉を口にすれば極刑は免れたのに……どうしてそうしなかったのですか」


 男はまだ付いてくる。俺は無視して歩き続けた。


「やはり、あなたも死にたかったのではないのですか。自分では死ねないので国に殺してもらおうと思ったのではないのですか。それなのに死ねない。まだ生きている。やはりあなたは私と同じく本当はただの弱虫……」


 俺は立ち止まった。男に背を向けたままで、これまで何度も口にしながら、弁護士と俺の両親以外、誰一人真剣に聞こうとはしなかった言葉を放った。


「俺は無実だ」


 それだけを言って再び歩き出した。男はもう付いては来なかった。監禁装置のスイッチも入らなかった。



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