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犬の過去

 魔獣。

 一般的な認識では「魔術が使える獣」とされる。

 魔気に蝕まれ、世界の常識から外れてしまった獣。不可能を可能にする獣。

 少しでも魔学を学んだ者ならば異を唱えるだろうが、今はこの定義に従い話を進めよう。

 話の本筋に関係ない議論など、暇な魔術師どもに任せておけばよい。


   ◇◆◇


 深い溜息を吐き、男が言う。

「悪い、ここから先は俺に訊かせてくれ」

 女は無言で頷き、少女は小首を傾げる。

 役者は三人。

 一人は仔犬で一人は赤鹿、残す一人は駄犬で魔獣。

 さあ、割とどうでもいい話に、ひとまずの区切りを付けようではないか。


 とは言った物の、パピーは思案する。はたしてどこからどう訊けばいいものか。

「あー……お前が魔獣ってことは確かなんだな?」

 出てきたのは会話を止めないための、単なる繋ぎの言葉。

「もちろんです! さすがパピー様! 何という慧眼でしょう!」

「いや、てめえが言ったことだよな!?」

 怒鳴ってから我に返る。まずい、いつものパターンだ、と。真面目に話そうとしてもビーズのペースに引き摺られ、はぐらかされ、最終的にどうでもよくなって話を放り出してしまうのだ。

 気を引き締め直してパピーは考える。今は何を問うべきか。問題はどこにあるのか、を。

「お前は魔獣だと言う。だが俺の知る限り、この島に居る獣はサリスだけだが」

 決定的な問いが思い浮かばない。まどろこしいと思いながらも、確認作業の様な問い掛けが続く。

「そうなんですか?」

 返ってきたのは肯定でも否定でもない、空惚けた答え。


 サリスは孤独な獣だ。この島に、たった一匹だけの獣である。

 元々、マグナの島に獣はいなかった。マグナは若い島だ。三百年程前に、一夜にして海洋上に現れた火山島である。陸地からは離れており、獣が泳いで渡ってくるのも難しい。人間が入植した後で僅かに家畜が持ち込まれたが、森には依然として獣は居ないはずである。――サリスを除いて。

 サリスは狼である。狼は肉食の獣である。肉食の獣は、獣の居ない森では生きられない。

 だから十二年前のあの日、ジョアンナはサリスを森から連れ出し、パピーに預けた。森では生きられない獣を、人の手で生かした。

 ……その後、別れがあった。

 森に消えた後のサリスの行方は知れない。魔獣となったサリスは、魔気を糧に生きることも可能だろう。だから二人はサリスを彼女の意志を尊重し、連れ戻すことはしなかった。いつか戻ってくるだろう。そう信じていた。

 その願いが、二人の目を曇らせていたのだろうか。

 ビーズが現れた時――彼女が己を「犬」だと述べた時に、二人はサリスが人の姿となって戻ってきたのだと信じた。

 実際、人の姿を取る魔獣は多い。現にビーズは人の姿をしているが魔獣だと言う。

 話を戻そう。

 ビーズは魔獣である。ビーズはサリスではないと言う。しかしこの島にはサリス以外に獣は居ないはずだ。ならば彼女は何だ。

「……お前はどこから来た?」

 パピーの問いは、核心に近付きつつある。

「森から来ました。産まれた時からずっと、この森で暮らしていました」

「いくつになる?」

「十歳です! 大人の女性です! 犬基準では! わふん!」

 その答えを聞いて、パピーは疲れた様な大きな溜息を吐いた。その横で、ジョアンナも苦笑をしている。

「お前は……サリスの子か?」

 ようやく辿り着いた問い。随分と回り道をしたものだとパピーも苦笑を浮かべる。

「ええ、私のお母様はサリスです!」

 元気に答えるビーズは、とても誇らしげだった。


 ビーズはサリスの娘。

 それで数々の疑問に納得が付く。ビーズが二人の前に現れたことも。彼女が魔獣であることも。ジョアンナがサリスに語った言葉を知っていたことも。

 答えを噛み締めていたパピーだったが、不意に真面目な顔になる。

 今ならば、十年間抱え続けていた悩みに答えが得られる。

 パピーの変化に気付いたのだろう。ビーズが小首を傾げる。恐らくその動作も、彼女から受け継いだものなのだろう。

「……サリスは、元気にしてるか?」

「ええ、お母様は元気ですよ。今も森のどこかで遊んでると思います」

 堪えきれず、パピーは両目を覆った。

 左手は傷痕に触れる。サリスに刻まれた深い傷痕。理由も分からず奪われた左目。だがパピーにはサリスに対する恨みなど無い。

「…………生きてて良かった」

 ずっと恐れていた。魔獣となったサリスが、そう簡単に死ぬわけがない。それでも十年は長い。幾度となく不安に苛まれた。サリスはどうしているだろうか。寂しくて泣いていないだろうか。怪我や病気に苦しんではいないだろうか。自分の知らぬ場所で、命を落としていないだろうか……そんな心配は、どうやら杞憂だった様だ。

「畜生……サリスめ。元気なら元気って、もっと早く言いに来やがれ」

 震える声。覆われた両目。残された右目には、喜びと安堵の涙が滲んでいた。

 優しく肩が叩かれる。

 幼い頃、泣き虫だった自分に、年上の少女がよくそうしてくれていた。格好悪いなと思いつつ、パピーはその心地よいリズムに身を委ねる。

 仲睦まじい二人の様子を、ビーズは微笑みながら見守っていた。


「あー……それにしても驚きだな。まさかサリスが子供を産んでただなんて」

 ようやく心の整理が付き、顔を上げるパピー。気恥ずかしさを誤魔化す様に、ぶっきらぼうに喋る。右目が赤くなっていることには、誰も触れない。

「ええ。けれど魔獣なら相手が居なくても子供くらい作れるわよね」

 苦笑しながら答えるジョアンナ。その苦笑はパピーにではなく、魔術師として、その答えに思い至らなかった自身に対するものだ。

 魔獣は力を持っている。

 旧世界の檻を飛び越えて、己の心を具現化する力を。

 孤独な獣――そういった哀れみの心が、真実から遠ざかった原因であろうとジョアンナは自嘲気味に分析する。

 ところが、これまで黙っていたビーズが不思議そうに小首が傾げる。

 いつでも状況を掻き乱すのは、この駄犬の役割である。


「何を言ってるんですか? 男と女が交尾をしなければ、子供は産まれませんよ?」


 お前こそ何を言ってるんだ? 二人の目がそう訴えかける。

 しかしビーズは視線を意に介さず、言葉を続ける。

「子作りはそういうものだとお母様に教えて下さったのは、ジョアンナ様ですよね?」

 正しい。

 かつてジョアンナはサリスに語った。“つがい”を得ることの出来ない孤独な獣に対して、残酷な言葉だったとは思う。だが、きちんと教えておくことがサリスを飼うことを決めた自分達の義務であったとジョアンナは信じている。……もっとも、今は話がおかしな方向に転がりそうで、困惑をしているのだが。

「待て。待て待てビーズ」

 思わず話に割り込むパピー。

「はい待ちます! お手でもおかわりでも、ちんちんだってやります! ありませんけど!」

「だから待てや、この馬鹿犬!」

「きゃう~ん♪ パピー様からの久々の馬鹿犬ちょうだいいたしました! 漏れちゃいます、わふん!」

 つくづく空気を読まないビーズを無視して、パピーは疑問をぶつける。

「お前なんて言った? 男と女が交尾しなければって……」

「ええ、そう言いましたよ? 交尾しなければ私が産まれるはずないじゃないですか」

「いやだから何だよそれ。男と女っておかしいだろ? この島のどこに雄がいる?」

 幾度となく繰り返してきた前提条件。

 この島にはサリス以外の獣は居ない――いや、今はビーズも居るのだが――その前提が崩れるならば、話は更にややこしくなりそうで……

 戸惑うパピー。混乱するジョアンナ。

 二人を置き去りにして、ビーズは笑いながら場を掻き乱す。

「またまたご冗談を。パピー様が居るじゃないですか」

「いや、確かに俺は男だが……」

「それとも……」

 言い淀んだビーズの顔に陰りが浮かぶ。

 途端にパピーは予感する。ああ、来るぞ来るぞ、と。ビーズが来てから何度もあった、この悪い予感。得てして、それは当たるもので。

「やっぱり私のことは『認知』してくれませんか?」

 有り得ない言葉に、パピーの頭が真っ白になる。


「けれどパピー様だって、あれほど激しくお母様と交尾されたのに……」


 パピーが驚きの声を上げるよりも早く、ジョアンナの拳が振るわれた。

 そうしてパピーの意識もまた、真っ白に染まる――

12.10.22 誤字のみ修正

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