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犬の散歩(街にて)

『仔犬が犬を飼い始めた』

 近頃、街ではそんな噂が流れている。

 耳にした人間は大抵、二度笑う。

 一度目はもちろん、そんな噂を聞いた時。

 二度目は、噂が真実であったと目の当たりにした時だ。


  ◇◆◇


 賑わう大通りの中にあってなお、二人の姿は人目を引いた。

 前を歩く長身の男と、その後ろをパタパタと追い掛ける小柄な少女。

 彼等こそ平和なこの街に話題と娯楽を振りまく、噂の渦中の二人組である。

 もっとも、渦に巻き込まれた方は堪った物ではない。

 ……少なくとも、男はそう思っている。


「お散歩楽しいですね、パピー様!」

 少女は満面の笑顔で語りかける。

「散歩じゃねえよ馬鹿。仕事中だ馬鹿。付いてくるな馬鹿」

 渋面の男は振り返りもせず答える。


 男は二十歳前後だろうか。見上げるような長身に、赤茶けた短髪。背には植物を編んで作った大きな箱を背負っている。

 何より男を特徴付けているのは、その顔にあった。

 獣に襲われたとしか思えぬ、四条の深い爪痕。

 左目を切り裂いて走るそれは、男の顔を左右不揃いの歪な物にしていた。これで柔和な顔付きであれば、まだ印象も違ったのだろうが、鋭角的な顔立ちと目付きの悪さが相まって、見事な悪人面の出来上がりである。

 しかし街の人間は慣れたものである。いっそ馴れ馴れしいと言ってしまってもよい。通りを歩く男に、誰もが親しげに声を掛け、時には気さくに軽口を叩く。

「ようパピー、飼い犬の散歩は大変だな」

 休憩中の料理屋の親父が、にやにやと笑いながら言う。ここ数日の間に、同様の言葉を何度耳にしただろうか。挨拶のような物だと分かっていながら、男の頬が引き攣った。

「うるせえ糞ジジイ! てめえの所の飯に下剤を混ぜてやろうか!」

 しかし脅された親父は笑ったままだ。それどころか、やりとりを聞いていた周りの人間までもが、笑いながら会話に加わり出す。

「おいパピー、下剤なんて混ぜても意味無いぜ。ここの不味い飯を食おうなんて奴はいないからな」

「そうそう。魚は焦げてるし、塩はケチってるし、酒は薄めてあるし」

「なんだとこの野郎! どうやらお前らも、俺の包丁の餌食になりたいようだな」

「ちょっと親父、お前らもってどういう……そういえば昨夜からニールの野郎を見ないけど、まさか!?」

「大変だパピー、早く下剤をくれ! ニールを俺の腹から救出してやらないと!」

「……てめえらにやる薬なんざねえよ」

「お前それでも薬師かよ!」

「知るか。下剤が欲しけりゃテイジの根でも囓ってろ。三日は便所に籠もりっぱなしだ」

 言い捨てて男は輪から抜け出す。馬鹿な会話は続いているが、もはや話題はニールの生死に移っている。これ以上、留まる必要も無い。

 歩みを再開しながら男は思う。今日もこの街は平和だ。


 男は薬師。

 口も人相も悪く、愛想も悪いが、薬師としての腕は悪くない。そして街の誰もが知っている。男が相当のお人好しであることを。

 人は見掛けによらないと言うが、ここまで希有な礼も珍しい。

 なお先程から会話に出ている「パピー」は男の本名である。この風体で名前が「パピー(仔犬)」だというのだから、名は体を表すという言葉については、再考の余地がある。


 大通りから横道に入った所で、男はふと足を止めた。

 そういえばさっきから、やけに静かだ。

 しばしの逡巡を経て振り返ったパピーは、まずそこに少女が居ることに安心をし、それから後悔と諦念が混じった顔で、げんなりと声を掛けた。

「……おいビーズ。てめえ何でそんな嬉しそうにしてるんだよ」

 その問いを待っていましたとばかりに、先程から黙り込んでいた少女が、目を輝かせながら返答する。

「だって! だってだってパピー様! さっきの方、私のことを『飼い犬』って言って下さいました!」

 予想通りであり、それ故に頭が痛くなる回答だった。

 頭痛の原因――ビーズと呼ばれた少女は、赤らめた頬を両手で押さえ、それはもう「いやんいやん♪」といった風に喜んでいる。ついでに腰をくねくね動かしている。「くねくねいやんいやん♪」だ。この様な状態で自分の後ろを付いてきていたのかと思うと、パピーの頭痛は一層激しさを増す。

 パピーの気持ちを知ってか知らずか、ひとしきり悶えていた少女だったが、唐突に動きを止めた。何事かと構えてみると、今度はモジモジしながら潤んだ瞳でパピーを見上げてくる。

 それは庇護欲を誘うような愛らしい姿だった。……口さえ開かなければ。


「パピー様……私、うれションしちゃいそうです」


 絶句するパピー。ちなみに「うれション」とは、飼い犬などが嬉しさのあまりに失禁することを言う。間違っても野外で年頃の女性が行ってよいことではない。発言ですら慎むべきであろう。

「してもよろしいですか?」

 小首を傾げて尋ねる少女。

「……い、良いわけねえだろ、この馬鹿犬っ!!」

「きゅ~ん♪ 馬鹿犬! パピー様が私のことを馬鹿犬と!!」

 弾みで飛び出た罵倒は、明らかに逆効果だった。

「今のお言葉、下腹部にキちゃいました! はいっ、私は馬鹿犬です、わふん!」

 もう嫌だこいつ……額を押さえるパピー。商売道具が詰まった箱から頭痛薬を出すべきか真剣に悩む。ちなみにビーズに薬を盛って黙らせるのは、この一週間で諦めている。

 いかに優秀な薬師とは言え、馬鹿に付ける薬は持っていないのである。


 ビーズの見た目は人間である。もしかしたらエルフやドワーフといった亜人種の可能性もあるが、間違っても四つ足で歩く犬には見えない。歳は十代前半か。まだ少女、あるいは女の子とでも呼びたくなる容姿である。

 生気に満ちあふれた真っ赤な瞳。それに反するような、薄汚れた肌に灰色のボサボサ髪、細い手足。背は低く、体付きも貧相だ。ガリガリの痩せ犬である。もちろん比喩であって、彼女が裏露地でゴミを漁る野良犬たちの仲間だというわけではない。


 さて、いい加減しつこいくらいに繰り返された「犬」という言葉。

 これが少女を語る上でのキーワードとなる。


『私はパピー様の『犬』でございます!』


 仔犬の名を持つ男と、犬を自称する少女。

 まずは二人の出会いを振り返ろう。

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