江ノ電の車窓から
私たちは今、ヨーロッパで走っていそうな青くてメルヘンチックな江ノ電に乗っています。平日の昼間とあり車内は空いていて、乗客は私たちを除けば老人が数人。
けれども、なんとなく男子は立席、女子は着席という流れになった。神威くんは私と不入斗さんの間、長万部くんは不入斗さんと上幌さんの間、磐城さんは岩見沢さんの隣に座るアロハさん、オハナさんの間に立っている。
江ノ電といえば緑色とクリーム色の電車というイメージがあったけれど、色んな色の電車が走っているらしい。
午後は磐城さんとアロハさん、オハナさんに鎌倉を案内してもらいます。
烏帽子さん宅を出る前に、音響室で上幌さんのカラオケコンサートを開いて何曲か歌ってもらったのだけれど、特に名曲『ダイアモンド・クレバス』は凄かった。心にスーッと、尚且つジーンと染み渡り、みんな感動していた。
う~ん、神様に恋をしちゃいけないのかな?
でも大丈夫! 私の恋の相手は“自称”神様で、実際はただのイタイ男の子だもん!
イタイ男の子に恋をしている私も、かなりイタイんだろうなぁ…。
電車は路面電車として商店街のド真ん中を抜け、腰越駅から再び鉄道専用軌道に入った。発車して、薄暗い民家の間を抜けると、国道134号線と並び、目の前には雄大な相模湾が広がっている。地元の者ではないので分からないけれど、今日は波が高いのか、サーファーが多い。
電車はゆっくり走り、まもなく鎌倉高校前駅に到着した。この駅の目の前には、チェーンの着脱場のように道路から引っ込んだ所にバス停がある。そこには黒いベンツが止まっていて、バスの営業を妨害しかねない状況だ。車外にはサングラスを掛けて黒いスーツを纏ったガタイの良いオジサンが携帯電話で通話している。
瞬間、突風が吹いて電車が少し揺れた。
あっ! なんて事でしょう! オジサンの髪の毛が頭から飛び立ちました!
纏まった髪の毛、つまりカツラが空を舞い始めたではありませんか! オジサンは気付いてカツラを追い掛けています! 道路を縦横無尽に駆け回るオジサンにビックリして、周囲の自動車は立ち往生して渋滞し始めました! なんて迷惑なのでしょう! さあ、果たしてオジサンはカツラを取り戻せるでしょうか!?
こんな事が起きているのに他のみんなは会話に夢中で気付いていません! 今乗り込んできたばかりのOLらしき女性は単独行動のため笑うのを堪えているようです。
ドアが閉まって電車が走り出す。オジサンも必死に走る!
あっ! カツラが高度を下げてオジサンの手が届きそうです! カツラが海に墜ちなくて良かったですね!
オジサンは安心したのか、表情を緩ませて、カツラへ手を伸ばしました。カツラはこのままオジサンの手の平に着地しそうです。
ところが!
な、なんという事でしょう。カツラが着地しようとしたその時! 不意にトンビが現れてカツラを浚って行きました!
カツラはトンビにがっちり掴まれどんどん高度を上げ、空高くへ飛んで行き、やがて見えなくなりました。
呆然とその場に膝を突くオジサン。あぁ、歓喜からの落胆です。諦めたオジサンはトボトボとベンツに戻りました。
トンビといえば、タカの仲間の大きな茶色い鳥。湘南の海辺でお食事をしていると、背後から不意に急降下してきて、人を傷付ける事なく食べ物のみを見事に奪い去られるのは、この界隈の人々の多くが経験しているという。
オジサンのベンツはすぐに電車に追い付きました。このまま追い抜かれると思った次の瞬間…。
ガシャン!
なんて音は車内まで響かなかったけれど、きっとこんな感じ。
道路の右側を逆走している制服を着崩た茶髪とピアスのだらし無さそうな男子高校生がベンツとぶつかりました。日本の乗り物は自転車も含めて左側通行です。あ、ベンツからオジサンが出て来ました。先程のクライシスと相俟って物凄い剣幕です。このあと高校生はどうなってしまうのでしょうか!?
こんなに色々な出来事が見られるくらい電車はゆっくり走ります。
「麗ちゃん、今の事故、見てた?」
神威くんはロングシートの背後に広がる車窓を眺める私を見て話し掛けてくれた。
「うん」
「なんかあのオッサン、かなり機嫌悪そうじゃねぇ? なんかぶつけられた以外にも何かイヤな事があったんかな」
私は刹那の間を置いて、躊躇いがちに口を開く。
「あのオジサン、さっきまで髪の毛があったの」
「ん?」
神威くんは私の言った事を理解しかねたのか、考え込むような顔をした。
バサッ!
瞬間、突風が吹いて電車の窓にフサフサした黒い毛の束のようなものが当たった。
「ハハッ、ハハハハハ…」
今の出来事で、神威くんは理解らしく、苦笑した。
「ふふふっ」
オジサンには失礼だけれど、神威くんに釣られて私も右の拳を口に当てて微笑してしまった。
オジサンの不幸により、ちょっとした幸せを得た瞬間だ。なるほど、これが世界の理というものだろうか。
オジサンの不幸を無駄にしないよう(?)、がんばろう!
ご覧いただき本当にありがとうございます!
私は幼い頃、確か小学四年生の頃、家族でパン屋さんに寄ってから砂浜でランチをしました。
母がタマゴサンドを少し頬張ると、刹那、大きな翼がすぐ頭上を通過。母の手元にあったタマゴサンドは見事にもぎ取られ、握っていた部分のみが残りました。トンビは凄いです。人を傷付けずに見事に食べ物を奪い去ります。
皆さまも湘南にお越しの際は十分ご注意下さい!