湘南新宿ライン物語 麗編
胸に蟠りを抱えたまま箱根を下り、私たちは小田原駅の東海道線ホームに居ます。これから横浜へ移動です。
「あれ? 次の電車、特別快速の高崎行きとかなんとかで、湘南新宿ラインとかいうヤツみたいだけど、横浜行くのか?」
神威くんは電車の案内に違和感を感じたみたい。『湘南新宿ライン』とは、複数の路線を経由して、神奈川県の湘南周辺から東京都庁のある新宿を経由し、北関東方面へ抜けるルートのことで、始発駅から終着駅まで3時間前後かかるそうだ。
「行きますよー!」
「さすが水菜ちゃん! 地元っ子!」
「いやいやそれほどでも~」
まるで埼玉県の国民的5歳児のように照れる不入斗さん。
「お下がりください。湘南新宿ライン高崎線直通、特別快速、高崎行きが4つドア15両編成で到着です。この電車、横浜から先、川崎、東京方面には参りません」
キィィィン! カタン! カタンカタン! キュインッ! キユゥゥゥ!
電車は高周波なインバータ音を発しながらゆっくり入線してきた。
図書室で読んだ本によると、最近の電車は可変電圧可変周波数インバータ制御方式っていうのが主流なのだとか。う~ん、機械はよくわからない。
「おおっ! この2階建ての車両に乗ろうぜ!」
後ろ寄りの4号車と5号車は2階建てグリーン車が連結されている。
「2階建てのはグリーン車よ?」
「横浜までだと1人950円ですね!」
「おいおいねっぷ、俺そんな金ないぞ」
「大丈夫だ! キャッシュで良ければ俺が1人1000円ずつ払う」
言って、神威くんは千円札をみんなに配った。
「ねっぷ太っ腹だな」
「だろ!」
こうして私たちは神威くんの粋な計らいでグリーン車に乗ることになった。改札内ではICカードや携帯端末での電子決済しか出来ないため、グリーン券は各自の立て替えで購入する。
近い内、神威くんに何かお返ししよう。
乗車したら海側最前列の座席を回転させ向かい合わせにし、4人ボックスにする。最前列の席を回転するのは、背後が壁になるため座席が同士が背中合わせにならず、リクライニングの邪魔にならないため。
進行方向と反対向きになる最前列の窓側に上幌さん、通路側に岩見沢さん、向かい合わせで神威くんが前から2番目の窓側、私が通路側。
長万部くんと不入斗さんは私や神威くんと通路を挟んで隣の山側。不入斗さんが窓側。
さっきから神威くんが白いフリルのミニスカートで露出している上幌さんの脚をチラチラ見てる。白いワンピースの私はスカートが長い。仮にミニスカートを穿いたとして、神威くんは私を見てくれるかな?
まもなく電車が発車し、徐々にスピードを上げてゆく。
「うお~、線路スレスレだぜ」
神威くんが普段見れないアングルからの景色に目を丸くしている。
「擦れ違う電車の足回りの部分が見えるってのは新鮮ね」
「下から見てて思ったんだけど、電車って結構デカイんだな」
上幌さんと岩見沢さんも興味を示している。
「新品の車輪は860ミリ、86センチくらいあるらしいよ」
うっ、なんかマニアックでつまらないこと言ってしまったような…。一般的に電車の車輪の直径は774ミリから862ミリ程度らしい。
「麗物知りだなぁ!」
岩見沢さん、反応してくれてありがとう!
「図書室の本で見たの」
図書室は知識の宝庫。最近読んだ本で印象に残ったのは、蜻蛉のオスが交尾する際、相手のメスに他のオスの精子が入っていたら、それを掻き出してから自分の精子を注入するとか、馬の竿はかなり大きいとか。
最近の私、なんだか関心事が偏っているような…。
「この電車、さっき乗った特急より速いんじゃね?」
神威くんが話し掛けてくれたけど、上幌さんとの間接キスが気になって胸が詰まってる。
もう、なんなの私。あれくらい普通なのに、何度も言い聞かせているのに、どうにも解せない。
「え? あ、うん、そうかもね…」
往路で乗った特急『踊り子』は最高110km/h、この電車は最高120km/hだけど、踏切が無かったり、直線区間が長ければもっと高速走行出来る筈。安全上、踏切のある区間ではブレーキをかけてから600m以内での停止が可能でなければならないし、カーブでは脱線防止と乗り心地の維持のため速度を抑えなければならない。
ふと意識を戻すと、電車は不入斗さんの故郷、茅ヶ崎を発車。不入斗さんが座っている座席の上にある着席ランプは緑色に点灯したままなので、どうやら俺たちと一緒に横浜まで行くようだ。空席や乗車区間外ではランプは赤く光る。
茅ヶ崎といえば、サザンオールスターズ、加山雄三さん、徳光和夫さん、宇宙飛行士の野口聡一さん、他にも何人かの有名人を輩出した街。いきものがかり、キマグレン、TUBEなどミュージシャンが多い神奈川県は、横浜、鎌倉、湘南といった、伝統と革新やロマンが共存する地域。だからこそ個性的な音楽が生まれるのかもしれない。
山側を見ると、長万部くんと不入斗さんが内容は聞き取れないけれど哀楽しながら話し込んでいる。ふたりの距離、少し縮まったのかな?
「うおーっ、なんだあの紫とかラムレーズンのアイスクリームみたいな色の電車!? 全部2階建てだぞ」
神威くんが山側の車庫に停まっている電車を見て抑え気味に興奮している。雄叫び上げたら周囲に迷惑だもんね。
「あれは『湘南ライナー』です! 朝と夜のラッシュアワーだけ走る有料の座席定員制電車なんです!」
茅ヶ崎駅と藤沢駅には貨物列車の線路にライナー専用ホームがあるよね。通勤時間帯は運行本数が多いから旅客列車の線路だと通過駅の多いライナーは普通列車に追い付いて詰まっちゃうのかも。
「おおっ、さすが地元の水菜ちゃん! いま乗ってるのは『湘南新宿ライン』で、あっちは『湘南ライナー』なのか!」
「はい! どっちか覚え間違えてる人たまにいます! JRの人はお客さんに間違って質問されたら困るかもです!」
「よし、今度こっち来たらあれに乗るべ! サンキュー水菜ちゃん!」
「ゆあうえるかむです!」
この後、長万部くんとの会話を続けた不入斗さんは次第に表情を曇らせ涙目になった。内容は聞こえなかったけれど、何があったのだろう。
ご覧いただき本当にありがとうございます!
次回の『麗編』は水菜の視点でお送りする予定です。なお『神威編』は勇の視点でお送りする予定です。