表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/29

第二十五話 敦君と梓の過去

夕食の後、梓は絵里さんが急いで用意した(この家は元々二人で住むのには広すぎて、普段使わない部屋は殆ど掃除をしていなかった)自分の部屋に戻って行った。


今がチャンスだ。


梓の部屋をノックする。


「どうぞ」


中から梓の声が聞こえる。


扉を開けると、眼鏡をかけた梓がベッドの上に座って本を読んでいた。


「梓、目悪いのか?」


「そうですよ、普段はコンタクトなんです。言ってませんでしたっけ?」


「うん。聞いてない」


確かに、机の上にコンタクトレンズのケースがある。


「敦さん、もしかして眼鏡フェチなんですか?」


「いや、別にそんな事はないけど、初めて見たから新鮮だとは思う」


「ドキドキします?」


梓が顔を近づけてくる。


「いや、別にそんな事は」


「そうですか‥‥」


なぜか梓は残念そうな顔をする。


「ところで、どうかしたんですか? 昨日のお返しですか?」


梓が挑発するように胸元をパタパタさせる。


「違う!」


「あら、そうですか‥‥」


梓はわざとらしくがっかりしたような顔をする。


「そういう事じゃなくて、梓の事を、聞こうと思って」


「私の事?」


「そう。俺、梓の事‥‥何も知らないから。その‥‥婚約者の事知らないのは、問題だろ?」


未だに直接出すのはちょっと照れくさいフレーズ。


だけど、いいかげん慣れなきゃいけない。


「今まで何してたとか、どこから来たのかとか、そういう事」


「何をしてたか、ですか」


梓の顔が険しくなる。


「もしかして、言いにくい事?」


「言いにくいっていうか、言うまでもない事っていうか。普通の女の子だったので、特に面白い事は」


「面白いとか面白くないとかじゃなくて、知りたいんだ、梓の事を」


「‥‥分かりました。お話しします。と言っても‥‥何から話していいのか‥‥」


梓は少し悩んだ後、立ち上がり、机の引き出しの奥から何冊かアルバムを取り出した。


「これが、中学の時のアルバムです」


そこには、俺の知らない梓がいた。


見た目は、あまり変わらない。


ただ、何かが決定的に欠けているような、そんな違和感がある。


「こっちが、小学生の時ので、これがそれ以前のやつです」


梓は次々にアルバムを渡してくる。


一枚一枚見ていくうちに、違和感の正体に気がついた。


「なんか‥‥笑顔の写真が増えてきてる気がするんだけど」


最初に見た中学時代の梓は、あまり笑っていなかった。


それが、小学校、幼稚園と年を遡るごとに、どんどん笑顔が増えていった。


いや、それ以前に、写真そのものが増えている。


中学のものは、卒業アルバムと薄いアルバム一冊しかないのに、小学校の時の物は卒業アルバムに加え何冊か、幼稚園の時のアルバムは、ちょっとした辞書くらいの厚さになっている。


そして、もう一つ気になる事がある。


「前の高校の写真はないの?」


当然、卒業してないのだから、卒業アルバムはない。


でも、女子なら友達と一緒にとったプリクラとか、そういうものの一枚や二枚あってもいいはずだ。


でも、梓の手元にはそういう物すらなさそうだった。


梓の表情が曇った。


「‥‥ありません」


どうして、と訊きたい。


だけど、今の梓の表情を見ると、その一言は喉元で押しとどまる。


「別に、大した理由じゃないですよ。写真、嫌いなんですよ。撮るのも撮られるのも」


梓の言う事は、本当かもしれない。


でも、きっとそれが一番の理由じゃない。


「前の学校って、どんな所だったの?」


「どうって言われても‥‥普通ですよ。ごくごく普通の学校です」


「友達とかは‥‥」


「あまりいなかったですね。一人で本を読んだりとか、そういう事が好きなので」


梓は笑っている。


イジメとか、そういう事はなさそうだ。


そして、もう一つ引っかかる事がある。


「これ‥‥日本じゃないよね?」


写真の背景は、日本では見覚えのないものばかりだ。


その中のいくつかは、ジジィに無理やり連れて行かれた外国で見た気がする。


「はい。ニューヨークです。私、向こうの日本人学校に通っていたので」


そういえば、英語の授業でスラスラ答えていた。


「帰国子女なんだ」


「そうですよ。意外ですか?」


梓がこちらに身を寄せる。


いつの間にか、梓はこちらに体を預けていた。


「意外じゃないけど‥‥梓、普通に日本人顔だから」


「両親はどっちも日本人ですから。親の仕事に向こうにいただけで」


「仕事は何してたの?」


「父はTOWAのグループ企業の社員でした」


梓はさらりと言い放つ。


「言ってませんでしたっけ?」


聞いてない。


聞いていないが、全く想像していなかったわけではない。


ジジィが見ず知らず人間を婚約者に選ぶとは思えない


ふざけたジジイだが、自分や他人の立場を考える事くらいは出来る。


自分の会社を継いで欲しいと願ってる(俺にはいたく不満な事だが)孫に、見ず知らずの人間を選ぶようなことはしない。


しっかりと相手を調べ、社長夫人にふさわしい人間を選ぶ。


そして、グループ会社とはいえ、自分の会社の人間なら、どういう人間であるかを調べることは容易だろう。


「いつまでアメリカに?」


「つい最近まで‥‥」


梓の顔が曇る。


明らかに、地雷を踏んだのが丸わかりだった。


「あっ‥‥ごめん」


思い出した。


初めて梓がここに来た時のことを。


梓の言葉を。


『私の母が‥‥亡くなったんです』


そして、梓の表情を。


「いえ‥‥」


梓は俯き、俺の腕にさらに強くしがみついた。


しばらく沈黙が続いた。


「私はずっと母と二人きりでした」


しばらくして、梓が俯いたまま話を始めた。


「父は仕事人間で‥‥ほとんど家に帰って来なくて‥‥私と母はいつも、二人きりでした」


そういえば、あれだけ分厚いアルバムなのに、ほとんどが梓一人で写っている写真で、家族での写真はほとんどなかった。


「‥‥一緒にいなくて、寂しくなかった?」


何を聞けばいいのか分からなくて、そんなことを聞いてしまう。


「寂しくなかった‥‥と言ったら嘘になります。両親と一緒に遊んでいる子達を見て‥‥羨ましくも思いました。でも、母はもともと病気がちで‥‥父は母と私のために働いてくれていると‥‥知っていましたから」


だからと、簡単に割り切れるものではないと思う。


少なくとも、俺はそうだった。


両親が亡くなって、周囲にいるのは家政婦さんだけだった。


周りの子とは違う事はすぐに分かる。


唯一の肉親であるジジイも、仕事で家に帰ってくることは稀だった。


だから、自分の持っていない、生涯持つことのできない絆を、他の子が持っているのが羨ましくてたまらなかった。


絵里さんが来てからも、今も、ずっと羨ましい。


きっと梓も、そういう思いを持って、それでも受け入れている。


それは虚勢かもしれないけれど、それは単純に凄いことだと思う。


「周りに助けてくれる知り合いもいませんでしたし、母が調子を崩した時に世話をするのは私の役目でした。だから私は、いつも家に母と二人でいました。正直言って母の事を、恨んだこともあります。『もしお母さんが元気だったら』‥‥と。でも、優しくて温かかった母の事も、努力家で、どんな苦しい時も弱音を吐かない父の事も、嫌いにはなれなかった‥‥」


梓が言葉に詰まる。


「母と父と三人で、ずっと一緒にいたいと、そう思ってたんです」


それがどんな思いを込めて発せられた言葉かは、俺の腕をつかむ力の強さで簡単に分かった。


「そのためなら、私もなんでも頑張ろうと思ってました。実際に、母と父のために頑張りました。母も父も、それぞれ懸命に‥‥でも‥‥頑張りすぎたんです。母の病気より先に‥‥父の体がパンクしました。過労で倒れて‥‥そして、そのまま‥‥」


梓は無表情で淡々と、事務的に説明するように話す。


「‥‥お母さんは、どうしたの?」


「父が倒れてからすぐ、急に病状が悪化して‥‥」


梓は上を向いた。


その姿は涙が流れるのを防いでいるようだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ