第十五話 敦君と昼休み
俺と加瀬部さんが同じ家に住んでいる、という話は、昼休みには学校中に広まっていた。
「敦さん、ご飯食べませんか?」
隣に座る加瀬部さんが楽しそうな笑みを浮かべ話かけてきた。
「加瀬部さん、なんであんな事言ったんですか?」
「なんのことですか?」
加瀬部さんは、明らかにとぼけていると分かるような口調と顔でいう。
「分かってるでしょう? 家の事ですよ」
「だって、本当の事じゃないですか」
「だからって言っていいって事じゃないです!」
俺がそう言うと、加瀬部さんはまた悲しそうな表情になる。
何回見ても、罪悪感に襲われる表情だ。
「私と一緒だと‥‥嫌なんですか?」
「そういう事じゃなくて」
「嫌‥‥なんですか?」
加瀬部さんは身を乗り出して同じ事をもう一度訊く。
それに対する答えを言わない限り、話を進めさせる気はないらしい。
「嫌じゃないですよ。加瀬部さんがウチに来てくれた事は嬉しいです」
俺がそう答えると、加瀬部さんの表情が、一気に明るい色に変わる。
「本当ですか!?」
「ええ。二人より三人の方が楽しいですから」
俺が答えにそう付け加えると、加瀬部さんは、少しだけむくれた表情になる。
そんな顔ですら、可愛らしく見えるのは元々加瀬部さんの容姿が優れているからなんだろう。
「それだけですか?」
「それだけですよ」
俺の返答が不服なのか、加瀬部さんは頬を膨らませる。
「随分と仲良いのね」
急に、後ろから声がした。
加瀬部さんと一緒に振り向くと、未来が不機嫌そうな顔で立っていた。
「あら、どうかしたんですか?」
加瀬部さんは俺に向けるのとは違う、営業用の薄っぺらい笑みを浮かべる。
「‥‥やけにベタベタ甘えてるなって思っただけよ」
「羨ましいんですか?」
「別に」
「一緒に住んでますから、すぐに仲良くなれるんですよ」
「あなた、人の話聞いてなかったの? それとも、鶏以下の頭脳?」
「敦さんの寝顔、可愛らしかったですよ?」
「会話する気ないのね、あなた」
二人は噛み合わせる気ゼロの言葉の殴り合いを続ける。
俺が口を挟む隙間すらない。
いがみ合う二人から離れ、光の席に移動する。
光は机に突っ伏して寝ていた。
「起きろ、光」
俺が光を揺すると、光は冬眠から目覚めた熊のようにゆっくりと起き上がる。
「‥‥ああ、もう昼休みか」
「お前、いつから寝てたんだ?」
「数学までは聞こえてた」
数学って‥‥一限だぞ‥‥
しかも聞こえてたってことは、まともに聞いてないし‥‥
まぁ、本人は気にしてないみたいだからいいけど。
「なぁ、飯ここで食わないか?」
光は、なぜか俺の耳元で、俺以外に誰にも聞こえないような声で訊いてくる。
「えっ‥‥まぁ、いいけど」
自分で聞いときながら、俺がOKすると、なぜか光は少し顔を赤らめる。
いつも男っぽい光が、こういう表情をすると、普段とのギャップで可愛く見える。
まぁ、多分本人に言うと、殴ってくるだろうけど。
「‥‥なんか俺に失礼な事考えてねぇか?」
考えてるよ、口に出さないけど。
「そんなことないって。考えすぎ。ほら、さっさと食べ」
「何やってるのかしら」
俺が弁当の蓋を開けようとした時、いつの間にか俺達の真横に来ていた未来が、いつもより若干苛立ちが篭っている口調で訊いてきた。
隣にはさっきまで喧嘩していた加瀬部さんが立っていた。
「飯食べる所だけど」
「そんな事、見れば分かってるわ。私が訊きたいのは、どうして"私"抜きで食べようとしているか、ということよ」
「"私達"でしょう?」
すぐさま加瀬部さんが訂正する。
「どうしてかしら?」
未来はそれを無視する。
相変わらず仲は悪いままか‥‥
「二人が仲良く喧嘩してたから、邪魔したら悪いかと思って」
「そんなわけないじゃない。さっさと止めなさいよ」
「放置は酷いですよ‥‥」
未来は冷たい目で、加瀬部さんは潤んだ瞳で俺を見る。
いや、俺は悪くないし、俺が責められる必要は、
「‥‥」
「‥‥」
ない‥‥よな?
「‥‥‥」
「‥‥‥」
「‥‥まぁ、もういいけど」
未来は溜め息をついて俺の隣に座る。
文句を言いながらも、一緒に食べるつもりらしい。
加瀬部さんも不満を一切隠さずに加瀬部さんを睨む光の隣に座る。
「あの子は誘わないんですか?」
「萌乃の事? あの子は同じクラスの友達と一緒に食べてると思うわよ」
「へぇ‥‥」
加瀬部さんは、いかにも意味ありげに相槌をうつ。
「それがどうかしたの?」
案の定、勘が鋭い未来はそれに気がついていた。
光も気がついているらしく、不審そうな目で加瀬部さんを見る。
「別に、とくに意味はないですよ」
加瀬部さんはとてもそうとは思えないような顔で答える。
未来は怪訝そうな顔をしたけど、これ以上会話をするのが嫌になったのか、それともこれ以上訊こうとしとも無駄だと思ったのか、とにかくそれ以上訊こうとはしなかった。
「おいしそうですね、敦さんのお弁当」
加瀬部さんは興味を俺が光に投げつけられた弁当に移っていた。
弁当の中身は思ったより混ざってはいなかった。
「あら、てっきりあなたがお弁当も作ったのかと思ったけど、違うの?」
未来は素直に驚いているようだった。
「はい、今日は寝坊して朝食作るだけで精一杯でしたから」
「いや、それで十分ですから」
絵里さんの代わりに朝食を作らずに済むだけで、かなり楽になる。
「まぁ、昼食は氷室さんが作ってくれているみたいですから、特に問題なかったですけど」
加瀬部さんがそう言った瞬間、場の空気が凍りついた。
「へぇ~‥‥‥‥そうなの‥‥?」
未来が口元だけうっすらと笑みを浮かべて光を見る。
だが、氷のような冷たい目をしている。
とてもじゃないが、なにか話せるような雰囲気じゃない。
さっきまで赤かった光の顔も、今はもう真っ青になっている。
「‥‥まぁ、今はそんな事は別にいいんだけどね」
未来はそう言うと、自分の弁当に手をつけ始める。
ようやく始まった食事は、どこか重い雰囲気のまま終わった。