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第九話 敦君の訪問者

未来達の家から出てから、寄り道せずに、絵里さんの言われた通りに大急ぎで帰って来た。


玄関の扉を開けると、すぐに異変に気がついた。


靴が一足多い。


普段なら俺が帰って来た時には、絵里さんの靴だけがあるはずだけど、今は女性物の靴がもう一足ある。


「あ、敦さん! 何してたんですか?」


奥から絵里さんが出てくる。


かなり慌てているようだ。


「まぁ色々と‥‥」


また我を失って暴れたことは黙っておく。


「何があったの?」


「とにかく大変なんです!」


絵里さんは俺の腕を掴んで引っ張る。


連れてこられたのはリビングだった。


そこには、見覚えのない、綺麗な少女が立っていた。


歳は多分俺と同じくらいで、十人いたら十人が可愛いと答えるような容姿で、ショートの髪がよく似合っている。


「お客さん?」


「それが‥‥」


絵里さんがなぜか困惑したような表情になる。


「お久しぶりです、敦さん」


見覚えのない少女が、俺の名前を呼ぶ。


「久しぶり‥‥?」


「覚えていらっしゃいませんか?」


少女は首を傾げる。


そんな些細な仕種すら可愛いらしい。


「ああっと‥‥」


だけど、正直、全く覚えがない。


「覚えていらっしゃらないんですね‥‥」


「え、いや、えっと‥‥」


何て答えるか困っていると、少女がクスッと笑った。


「相変わらずですね、敦さん」


少女はそう言うと、ポケットから写真を取り出し、俺に手渡す。


そこには、小さい時の俺と、幼稚園児くらいの小さな女の子、そして目の前の少女を少し大きくした感じの女性が写っていた。


「これは‥‥」


「私の思い出の……写真です。これが私で、これが私の……母親です」


少女は悲しそうな表情になる。


「えっと…」


俺が声をかけようとする前に、目の前の女性は表情を悲しそうな表情をする前の表情に戻す。


「敦さん、この時からすぐに困ってオロオロしてましたね」


そう言うと、真剣な表情をして頭を下げる。


「私は加瀬部梓かせべあずさ。敦さんの‥‥許嫁です」


あっさりと言い放たれたその言葉に、俺は理解できなかった。


「‥‥は?」


「許嫁です」


梓さんは同じ言葉を繰り返す。


「‥‥許嫁?」


「はい、そうです‥‥私達が五歳の時に決まったものですから、覚えてらっしゃらなくても当然ですけど」


そう言って梓さんがはにかむ。


可愛いのだが、今の俺にそれを感じる余裕はぶっとんでいた。


「いや、それは‥‥」


「昭一様に確認したところ、事実だそうです」


俺が否定をしようとすると、絵里さんがさまざまな感情が入り混じった何とも言えない表情で言う。


「え‥‥?」


「敦さんもお聞きになりますか?」


絵里さんはそう言って携帯電話を取り出し、ジジイにかけて俺に渡す。


「ジジイ、どういうことだ」


『そろそろかけてくる頃だと思ったぞ』


「人の話を聞けジジイ」


『梓ちゃんのことじゃろ?』


「‥‥ああ、そうだよ」


どうもジジイの手の上で転がされている感じがしてイライラする。


『婚約者の話は本当じゃぞ。彼女にそれを証明させる書類を持たせておる。どうしても信じられないというのなら、彼女に見せてもらえばよい』


ジジイはすでに言うことを決めていたらしく、すらすらと言葉が出てくる。


「‥‥何で黙ってた」


『そっちの方が面白いじゃろ?』


「ふざけっ‥‥!!」


ジジイを怒鳴りつけようとすると、電話がブチっと言う音とともに切れた。


「‥‥‥‥」


ようやくジジイが何がしたかったのかが見えてきた。


たぶん、ジジイは最初から恋人を見つけさせる気はなかったんだろう。


ただ、俺にそういう事を意識させたかっただけ。


その状況で、許嫁をこの家に呼び、そういう関係に持ち込みたい‥‥そんなところだろう。


「あ、敦さん‥‥落ち着いてください」


絵里さんが心配そうな表情をしながら俺に言う。

「ああ、大丈夫だ‥‥」


俺はとりあえずそう答えながら、もう一度ジジイに電話する。


『なんじゃ、まだ用か?』


俺は思いっきり息を吸い込み、そして、全力で、全ての思いを言葉に変えて叫んだ。


「っざけんじゃねぇこのクソジジイ!!!!!!」


電話の向こうではジジイが椅子からひっくり返ったのか、とてつもない音がしたが、それを無視して電話を切る。


「全然落ち着いてないじゃないですか‥‥」


絵里さんは呆れ気味にそう言いながらも、なぜか嬉しそうな表情で俺を見ている。


反面、加瀬部さんはかなりビビっていたようだった。


加瀬部さんのこと、すっかり忘れていた‥‥


「あの、加瀬部さん?」


「‥‥は、はい‥‥?」


加瀬部さんはすっかり怯えきっているようだった。


「その‥‥婚約者とか、そういう事情は分かったんですけど‥‥何で急に俺の所に? この写真もかなり昔の物だし‥‥」


俺が根本的な質問をすると、加瀬部さんは何故か暗い顔をしながら俯く。


「それは‥‥その‥‥」


「理由はこちらをお読みになられれば理解出来ると思いますよ」


何故か言い淀んでいる加瀬部さんをフォローするように絵里さんが一枚の紙を出す。


紙の初めの文字を見た瞬間、紙を落としそうになった。


これは、遺言状だ。


「これは‥‥」


「加瀬部さんのお母様が書かれたそうです」


「え!?」


遺言状がここにあり、それが開封され読める状況にある。


つまりそれは――


「私の母が‥‥亡くなったんです」


俺はようやく、加瀬部さんが時折悲しそうな表情をしていたのか理解出来た。


加瀬部さんがその表情をする時は、加瀬部さんの母親の話が出て来る時だった。


「一人になって、どうしていいか分からなくって困ってた時に‥‥昭一さんが助けてくれたんです。全ての手続きはこっちでするから、敦さんと同棲しろって‥‥ですから」


加瀬部さんはそこまで言うと、頭を深々と下げる。


「あ、あの、加瀬部さん?」


「どうか、私をここにいさせて下さい。家事とか、私が出来る事なら何でもしますから‥‥私、ここしか居場所がないんです‥‥」


その声は、震えていた。


「‥‥‥‥」


だから。


彼女のためになるなら。


「‥‥加瀬部さんがいいなら、いくらでも」


いいと思ったんだ。


「本当ですか!」


加瀬部さんがガバッと頭を上げる。


「ええ。絵里さんもそれでいいですよね」


「え、ええ‥‥私は敦さんの意見を尊重します」


絵里さんは複雑そうな表情で答える。


「ありがとうございます!」


「でも‥‥俺なんかで本当にいいんですか? ジジイに頼めば、一人暮らしでも、寮のある学校にだって‥‥」


「いいんです。だって‥‥」


加瀬部さんが、俺が今まで見た中で一番の笑顔になって答える。


俺は知らなかった。


「敦さんの事、好きですから」


その笑顔の、真意を。



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