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 食事を終えた私は、いつものように孤児院へと向かった。昨日ウルと作ったクッキーを持って行ったのだけど、子供たちからは想像以上に好評で。


「また作って!」


 と勢いよく抱き着いてくる子供たちを、私は笑いながら抱き締め返す。彼らのぬくもりを感じつつも、頭の中はずっと、さて今日の夜はどういう風に話を持って行こうか――と、そんなことばかり考えていた。


 その日の夕刻、孤児院から帰ってきた私は子供たちのリクエストに応えて翌日用の焼き菓子を作っていた。オーブンに入れたあとは、焼き上がりまで自室でのんびり寛ぐ。今日作ったものも気に入ってくれると良いのだけど、と思いながらぼんやりしていると、部屋の扉が遠慮がちにノックされた。


「どうぞ」


 こんなノックはせずにトレフもヘルタも入ってくる。そして、ピッケかウルならこの段階で声を掛けてくる。そのどちらでもないということは、今扉の前にいるのは――


「失礼します」


 やっぱり、思った通りのセシルだった。

 部屋に入ってきた彼は、少々緊張した面持ちで扉の近くに立ったまま、こちらに近付いてくることはない。私は、自分の座っている正面を指差す。


「そちら側ならどうかしら。お隣じゃなくて、向かい合わせだったら座れる?」

「お気遣いありがとうございます」


 バカ丁寧に頭を下げたセシルは一人掛けのソファに浅く腰掛ける。

 真っ直ぐに彼を見つめる私に対して、セシルは膝の上で軽く握った自分の手を見つめるばかりで視線を上げはしない。

 ――嫌われているのではなくて、恥ずかしがっているだけ。

 そう理解すれば、可愛く思えてきて口角が上がる。


「私、思ったのだけど」

「はい」


 返事をする時には、ちらっと視線を向けてくる。話をする時はこちらの顔を見なければいけないという認識はあるようだ。


「まずは、話し合いもせずに一方的な思い込みで、これは形式上の結婚にすぎない、なんて思ってしまっていてごめんなさい」


 頭を下げた私に、セシルは焦ったように首を振った。


「そんな! 私の説明が足りなかったのが原因です。貴方が謝る必要はありません。どうか頭を上げてください」

「でも、私もセシルのことを理解しようという気持ちが欠けていたわ」


 私なんて好きになってくれる人はいない、そう思い込んでいた。愛しています、という昨日のセシルの言葉を受けて、そんな考えで何も見ようとしないのは、好意を向けてくれる相手に対して失礼だったと反省した。そして、セシルとちゃんと向き合おうと決心した。

 そうなると、どうしても避けては通れない話題がある。真っ直ぐに彼を見た私は、少し震えそうになっている手をもう片方の手でぎゅうっと抑え込もうとした。


「私の話、ちょっと聞いてもらっても良い?」

「はい、私で良ければ、いくらでも」


 セシルの声は落ちついている。私を安心させるかのように、彼はゆっくりと言葉を発する。


「セシルは、私が巻き込まれた事件について知っている、って言っていたわね?」

「はい」


 しっかりした声で返された答えに頷いた私は、少しだけ目を閉じて、深呼吸をして心を落ち着かせる。

 ――大丈夫、セシルは、私が穢されていないと信じてくれているみたいだから。

 あの頃の私になにがあったのか、私の属していた貴族社会がどんな場所で、そこではどんな扱いを受けたのか、その結果、どんな考えに支配されていたのかを、平民育ちの彼にきちんと説明しなければいけない。


「この国の価値観からすれば、貴族以外の人たちにもそういうところはあるかもしれないけれど」


 無意識に回りくどい話し方になる。私はよほど、この話をするのが嫌なようだと自覚する。


「貴族社会って特にね、若い娘には純潔性が求められるの」

「…………」

「恋多き女、とか、そういう噂があるだけでも良縁からは遠ざかってしまうわ。これは、噂が出た段階で手遅れなの。それが事実かどうかは問題じゃなくて、そういう話が出るような振る舞いをした娘がいけないということになるのよ。『既に清い身体ではないかもしれない』って思われた時点で、結婚できても幸せにはなれない。そんな女の夫になった人が誠実に対応してくれることなんて稀、どんな扱いをされても文句は言えないの」

「……なるほど」


 セシルの声は低く、感情は読み取れない。

 重苦しい話をしている自覚があるせいか、楽しくない話のせいか、私の視線は自然と膝の上に置いた自分の手へと落ちていた。


「そんな価値観の中で、私の噂はアレでしょう? もう終わりよ。救いがないわ」


 自嘲気味に唇が歪んだ。


「だから、結婚なんて望めないと本気で思っていたし、どうせ、女ならだれでも良い、みたいな人の遊び相手が関の山。本気の恋なんてしたって実ることはない。虚しいだけ。だから、私はもうひとりで生きていこう。そう……ずっと、思ってたのよね」


 どんなに好きになっても、相手が私を想ってくれることなんてないと思っていたから。

 そんな気持ちは、相手にとって迷惑にしかならないと信じてきたから。

 受け入れてくれる人がいたとしても、私が相手では、その人が誰からも祝福されないことになってしまうから。最悪、一族から絶縁されることだってあり得たから。

 なにより――自分を傷つけるかもしれない苦しい恋なら、したくなんてなかったから。

 一方的に向けられる感情や欲に、嫌悪感があったのも事実で、自分が可哀想だったから。

 だから私は、それらのすべてから逃げていた。


「でも私は、その噂が真実ではないと知っていますよ、レディ・ミア」

「セシルは、どうしてそう言い切れるの? あの時の私の証言が全部、自分を守るための嘘かもしれないじゃない」


 真っ直ぐに放たれた言葉が胸に刺さる。

 信じてくれる人がいる。それは望んでいたことで、心から嬉しいはずなのに素直に喜べないのは――


「多分、両親でさえ、完全に私の話を信じ切ってはいないと思うの」


 帰ってきた私を見て泣いていた母の顔を思い出す。あれは、娘が無事に戻ってきて安心したというだけではない、深い憐れみの混じった視線だった。きっと彼女は、私が清純な身体であると心から信じられてはいなかったのだろう。


「なのに、どうして……」

「貴方が、清く正しい人であると私は知っています」


 顔を上げると視界が滲んでいる。セシルは、私のことを正面から見つめていた。


「大丈夫です。私も、トレフも、ヘルタも、ピッケも、ウルも。皆、あんな噂なんて欠片も信じていません。貴方が思っているよりも、私たちは貴方のことを信じていますし、貴方のことが……その……す、好き、ですから」


 ぽわっと頬を赤く染めたセシルはそう言うと、また照れたように視線を逸らしてしまう。耳まで赤く染めた彼の顔をぼんやり見ながら、私の目からは一粒の涙がこぼれ落ちた。

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