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「ねえ。ピッケはどうして、セシルが私を見てるって気がついたの?」


 ヘルタの言い方からすれば、セシルの隠密行動のようなものは一般人には簡単に見抜けるようなものではないのだろう。それなのに、ピッケはそんなセシルの視線に気付いていたのだという。それってかなりすごいのではないかしら。


「身の危険を感じながら育ってきてるんで、気配には敏感なんですよ」


 にまぁっと笑った彼は、どこまで本気だかわからないことを言う。どういうこと? と疑問を挟もうとすると、ピッケは自分の頬を差して小首を傾げた。


「そんなことより、今のことっすよ。あいつとんでもない顔で部屋に向かってましたけど、奥様、なにやったんですか?」


 ピッケはワインの入っているグラスをくるくると回しながら、にやにやと笑っている。その口元は好奇心と悪戯心に満ちているようで、面白いおもちゃを見つけた子供を思い出す。


「特になにもしてないわよ」

「でも、あんなに真っ赤になってるの、今まで見たことないっすよ。耳の先まで真っ赤でしたもん」


 ねえ? と話を振られたヘルタも真面目な顔で頷く。


「強く脛をぶつけたとおっしゃっていたので、急いで貼り薬をご用意しました。赤くなっていて、だいぶ痛そうでしたが、今まで家の中でそのような怪我をなさることはなかったので……」

「ん、確かにぶつけてたわね。そこ、テーブルのところ」


 ピッケの座っている前を指すと、天板をこんこん叩いた彼は「ここに? 痛そ」と苦笑いを浮かべた。


「奥様、そんなに動揺させるようなことをおっしゃったんですか?」

「今日まであんな態度を取っておいて、急に好きなんて言われても信じられないものじゃない?」


 だから、とグラスの縁を指先でなぞりながら、ぼそぼそと続ける。


「その言葉が本当だって証明したいなら、好きって言いながら抱き締めてみて、って。そう言っただけよ」

「いや、だけって奥様」


 ピッケが、盛大に噴き出しかけて手で口を覆った。ヘルタも驚いたように目を丸くしている。


「それ、奥様とんでもないぶっこみ方しましたね? とんでもなく高難易度っすよ。ただでさえセシルは呆れるくらいに生真面目だっていうのに、そんな男に対してそれは……おれ、ちょっとあいつに同情しましたよ、今」


 そんなに驚くこと? と思いながら私は続ける。


「それくらい、子供だってするじゃない。難しいことなんてお願いしてないわ。孤児院の子供たちが『ミアさん大好き!』って抱き着いてくるなんて日常茶飯事なんだからね?」


 難しいことは言っていない、と胸を張って言いきった私に、ヘルタがなにかを言いかけて――やめた。続けて代わりに向けられたのは、憐れみの混じった痛々しいものを見るような視線だった。


「奥様……?」


 その言い方は、まるで「旦那様、お気の毒に」とでも言いたげな色を含んでいて、思わず眉をひそめる。

 ――なんでそんな顔されなきゃいけないのよ。

 彼女が私にそんな表情を見せたのは初めてで、どういう心境からなのかと話を聞こうとしたのだけれど、口を開きかけた私を制するように正面から大きな溜息が聞こえてきた。


「だからそれ、子供の話じゃないですか。むしろ、子供だからできることですよ」


 ワイングラスを机に置いたピッケが、真顔になる。


「しかも、こう言っちゃなんですけど、それしてくるのは奥様に恋してる子じゃないですよね? こう……親とかお姉さんって気持ちで慕ってる子ですよね? 奥様より年下でも、あいつはあなたに恋してる成人男性です。いきなり抱き締めてっていうのは、話すらまともに出来ないどころか奥様の顔を直視できないくらいの初心な相手に対して、あまりにも酷だって思いません?」

「………………」

「それなのに奥様ってば『子供でも出来ることじゃない』って。それ、本気で言ってます? 子供じゃないから問題なんでしょ。あれは成人男性で、奥様は成人女性、わかります? これ、なんでもない相手にだってしないでしょ」

「……あら、やだ。」 


 ぽつりと零れたその一言は、私の本心から出たものだった。言われてみれば、彼の気持ちを子供たちからの『大好き』と同列にしてはいけなかったのだ。

 どうやらセシルは、私が好きすぎて触れることはおろか、顔を見ることも、日常会話をすることも難しいらしい。そんな人に対して、彼からのハグを子供たちからのそれと同程度に考えていた自分に気付き、重ね重ね申し訳なくなる。

 しかも冷静に考えてみれば、あの発言はあまりにもはしたない。成人男性に「抱き締めてくれ」だなんて、別の意味に取られても言い訳のしようがない。彼が軽蔑しなかったのを感謝すべき言動だった。


「違うのよ。あのね、突然好きって言われても急には信じられないから、ちょっと態度で見せてくれても良いじゃないって思って……子供たちみたいに、軽い調子で好きってハグしてくれたら、少しは実感沸くかもしれないなー、くらいの気持ちだったのよ。セシルのこと追い詰めようなんて、全然思ってたわけじゃなくて」


 必死に言い訳すれば、ピッケはまた溜息を吐いた。


「意地悪を言ったわけじゃないっていうのは想像できますし、今までのあいつの態度を思い出せば奥様が勘違いしてたのもまあ仕方ないことなのか? って思いますけどね? それにしても……それはセシルが可哀想ですよ」


 彼の言うことはごもっともでしかなくて、私はぐうの音も出ない。


「いやー、奥様も大概だったんですね。こりゃ、思っていたよりもどっちも重症みたいっすね」

「そんな風に言うなんて、ピッケはよっぽど恋愛経験豊富なようね」


 少々気分を害して嫌味で言えば「おれ、モテますから」とにんまりされる。否定されないのが腹立たしい。私の諸々の言動に呆れたのか、ヘルタもずけずけ言ってくるピッケを窘めてくれなくなってしまった。


「にしても、セシルのやつとことん拗らせてますね。いっそ面白くなってきました」


 しかし、彼に指摘された通り、私は恋愛関連にかなり疎い。接してきているのも、世間から切り離された場所でほぼ女性だけで生活しているようなシスターたちと、幼い子供たちだけだ。大人の恋愛の駆け引きどころか、初恋の経験すらない。そんな私に、拗らせている人を相手にするのは難易度が高すぎた。なにを、どうしていいのやらさっぱりわからない。

 先程からピッケは主人に対してあまりにもざっくばらんな言い方をしているが、これは当人から許されている態度なので、この屋敷内においてはなんの問題にもなっていない。初日、特にピッケのセシルに対する言葉遣いや態度に少々面食らったが、全部お互いに了承済のことだからあれこれ気にする必要はないと言われていた。それを私だけ身内ではないと言われた気になっていたのも、今となれば被害妄想だったのだろう。

 今現在は使用人と雇い主という立場であっても、彼らは古い付き合いの友人同士だという。騎士となって個人宅を購入して人を雇える余裕が出た時、セシルは迷わずに幼馴染の彼らを選んだ。そのことを彼らはとても感謝していて、セシルに対して親愛と信頼を強く感じている。使用人というのはあくまでも名目上の呼称であって、セシルはピッケたちを家族同然の扱いをしているように見える。だからこそ、ピッケやウルのあの態度なのだ。

 セシルが恥ずかしい思いをしないよう、トレフやヘルタはここで働く前に別の場所で執事や侍女として務め、猛勉強したらしい。非常に品良く育ちが良さそうに見える二人が、貧しい生まれだと知らされた時は驚いたものだ。きっと、血の滲むような努力をしたのだろう。セシルに対して、あくまでも主人と従者という態度を取っている彼らだが、それでも時折家族間に漂うような慣れた空気が流れている。

 セシルを呼び捨てにしているピッケも、さん付けのウルも、身内以外の人間がいる場所では使用人としての振る舞いが出来ている。そもそも二人は外部の人間と接する機会の少ない仕事内容なので、普段はそれまでと変わらない接し方をしているようだ。


「そういえば、昔からの知り合いとか幼馴染としか聞いていないけど、いつからセシルとはお付き合いがあるの?」

「これっくらいに小さい時からっすね」


 ピッケは座った姿勢で胸の辺りを示す。本当にそのくらいの身長の頃からだとすれば、もう人生の半分以上の付き合いなのだろうか。


「ヘルタは?」

「私も、ウルもトレフも、ほぼ同じ時期に旦那様と知り合っております。もう10年ほどになるでしょうか」

「あー! 奥様、そういう内容こそ、セシルとの会話のために取っておくべきですよ。自分のことじゃなきゃ、口も軽くなるかもしれませんからね」


 まずはそういう話やすいところからお互いを知ることをはじめなきゃダメっすよ、とピッケはもっともらしい顔で言う。その意見には一理も二理もあって「じゃあ今度セシルに聞いてみるわ」と私は背中をソファの背凭れにつけた。

 ――確かに、まずは会話からかもしれない。

 まだお互いに……いや、私が彼を知らなさすぎる。これから彼と仲良くなるにあたって、問題は山積みだった。


「そうね、こういう時は――まずはお友達からはじめましょう、って言えばいいのかしら」

「もう結婚してるじゃないですか」

「じゃあ……どうすれば?」


 自分で考えてくださいよ、と飽きたのか少し冷たくなったピッケに対して、ヘルタは優しかった。


「そうですね。旦那様もご自分の態度を省みられたでしょうし、まずはおふたりで会話なさってみてはいかがですか?」

「お喋りね! お互いを知るには重要よね。うん、やってみるわ」


 私はぐっと拳を握り締めた。

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