18
そんなセシルの背中を見送り、閉じた扉をぼんやりと眺めていた私は――
「~~~っっっ!! なぁに、あれっ!」
耐えきれなくなって、淑女らしさもなにもかも忘れて叫んだ。
「え? なに、あの手紙、本気だったの? あれ、セシルが書いたの? あの子からは私そんな風に見えてるの?」
いや、絶対違う。なにか神格化されている。
――しかも「ずっと見てきた」って、私、どこでセシルと会ったのかしら。
あんな目立つ美形、一度見たら忘れないと思うのに。
いつ? どこで? とクッションを抱えたままゴロゴロしていると、扉をノックする音がした。
「誰?」
「ヘルタです、奥様。少しよろしいでしょうか」
「おれもいるよ」
ヘルタとピッケの声。こんな時間になにかしら、と思いながら入室を許可する。入ってきたピッケの手には、ワインのボトルが握られていた。
「やっと誤解がとけたんですってね。これはお祝いで持ってきましたよ」
「自分が飲みたいだけの癖に、よく舌が回ること」
「あはは! バレてる」
ぼそっとヘルタに突っ込まれたピッケは軽い笑い声をあげる。
「ちょうど良かったわ。ちょっと飲みたい気分だったの。ふたりとも付き合ってくれる?」
「ピッケは飲む気満々なようですが、彼と奥様ふたりきりというのは問題がありますので私も、是非」
「変なことはしないって」
「お黙りなさい。では、ご用意いたします」
ヘルタは微笑んで、厨房から軽いつまみとグラスを運んできてくれる。しかし三人で飲むには椅子が足りない。どうするのかと思っていると、空き部屋に置いていたらしい一人掛けの椅子を二脚、ピッケが運んできてテーブルを挟んだ正面に置いた。
「それで、セシルからはなんて言われたんですか?」
ピッケは、もはや隠す気すらない好奇心丸出し顔で身を乗り出してくる。その表情が、孤児院の子供たちがおとぎ話の続きをせがむ時のように無邪気なのが腹立たしい。彼の手元には、すでに二杯目のワインがあった。
「まあまあ飲んで飲んで。飲みながらじゃないと、話せないこともあるでしょ?」
と軽い調子で私にワインを勧めた彼は、ヘルタに睨まれる。
「ピッケ、もう少し慎みのある態度を保ちなさいな」
横から冷ややかな視線を送るヘルタに、ピッケは舌を出して肩をすくめた。
「なに……って、えっと……私が誤解してる、って。あの……あ、愛してる、って……」
どこから話せばいいものか、と思いながら、ちびちびとワインを口に運びながら答える。
言いながら顔が熱くなってくる。ワインのせいだけじゃない。あの時のセシルの声と顔を思い出しただけで心臓がばくばく言い出す。まだ信じきれないような、もう納得させられてしまったような、様々な気持ちがごちゃ混ぜになってしまってどんな顔をすれば良いのかわからない。
「はーっ! あいつやっと言えたんですね。誤解されてショック受けるくらいなら、さっさと言えば良かったのに。奥様が勘違いしているって気付いたその日に行動するんだから、セシルとしてもさっさと修正する必要があるって判断したんでしょうけど」
慰労会から帰ってきてからのセシルは、ひどく落ち込んでいたんだそうだ。この世の終わり、というような顔で部屋の隅に蹲っていた、というピッケの証言も、盛られた内容ではないのかもしれない。そんな彼を見かねて「誤解はさっさと解くに限る」と発破をかけたのはピッケだったようだ。
「こんなことじゃないかと思ってたんすよ。元々口数多い方じゃないし、セシルは見た目が冷たく見えるから。黙ってると怖いでしょ?」
「怖いとは思わないけど――あ、いえ? 綺麗すぎるって意味では怖いかも」
「でしょ? 黙ってても愛嬌でどうにかなるタイプじゃないんだから、ちゃんと自分の口で説明しなきゃ」
そんなピッケの意見を正論だと判断したのだろう。思い立ったが吉日とばかりに、旦那さまは私の部屋に突撃してきたらしかった。
「ん……? あれ、ちょっと待って。みんなはセシルの気持ち、知ってたの?」
「へ? そりゃもちろん」
「ヘルタも?」
ちらりと視線を投げると、ヘルタは穏やかな微笑みのまま、静かに頷いた。
「はい。当然、トレフも知っています。全員、旦那様の分かりやすい片想いを見てきておりますので」
「なにそれ。セシルってそんなにわかりやすかったの?」
――じゃあ私だけ? あの硬い態度を真に受けて、ずっとひとりで勘違いしてもやもやしていたのは、私だけだったってこと?
その事実に今さら気付かされて、頭を抱えたくなった。クッションが近くにあったらまた顔を埋めていたと思う。さっさと誰か教えてくれたら良かったのに……と思いつつ、かたくなな態度のセシルとの会話を煩わしく思い、対話のチャンスを作ることすら諦めてしまった自分にも責任はある、と頭を落ち着かせる。
「奥様、逆にお聞きしても?」
ヘルタがそっと問いかけてくる。私はぼんやりとワインのグラスを見ながら頷いた。
「……本当に、まったくお気付きにならなかったんですか?」
「うん。まったく。だってあの態度よ? 冷たくて、そっけなくて、必要最低限のことしか話さなくて。いっつも眉間に皺寄せてて。目線なんて合わないし。私、絶対嫌われてるんだって……」
肌が触れたことすら、今日がはじめてだったのだ。
そんな恥ずかしいこと、私からは言えないけど。
「あれ全部『好きすぎてどう接していいか分からない』やつですね。恥ずかしくて、正面から見られない、的な」
ピッケが、わりと本気のトーンで言ってきた。
――なんなの、それ。思春期男子?
あの真剣すぎる眼差し。小さく震えるような声。指先が触れることすら躊躇う仕草。思い出せば思い出すほどに、自分が大切にされていたのだと実感させられてしまって、居た堪れなくなった私はワインを一気に飲み干した。




