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「じゃあ、あの手紙の言葉が本当だったとして」

「本当です」


 彼の答えは即答。むしろ食い気味。よほど信じてもらいたいのか、その表情は祈っているようにも見える切実なものだった。

 ――よく見ると、セシルって意外と表情豊かだったのね。

 ツンとした顔しかほぼ知らなかったから、噂通りのクールな人なのだと思っていた。これもまた、理解しようとせずに話し合いの手間を省いたがゆえの思い込みだったのだ。


「……内容は、忘れてないけど、ちょっと今すぐには飲み込めないから、ちょっと待って」

「はい」


 葛藤しつつ言えば、まるで忠実で従順な愛らしい犬のように、セシルは大人しく私を見上げてくる。

 ――これ、尻尾が生えていたら思いっきり振られているのかしら。

 そんなことはさておき。


「とりあえず、今よ、今。その態度は、さっきの私のお願いは聞いてもらえないっていう風に理解すればいいのかしら?」


 照れが勝ってしまって、どこか投げやりな声音で問いかける。私の声に、セシルは途方に暮れた顔で視線を彷徨わせた。


「それは、その」

「それはやっぱり私のこと汚れてるって思っ――」

「いません」


 鋭い調子で言葉を遮られ、その語気の強さにハッとして口を閉じ、思わず目を見張る。彼の気持ちを知って恥ずかしいのと、自分自身に対する苛立ちが混じって言ってはいけないことを口にした。やらかした、と自己嫌悪に襲われる私に、彼は焦ったかのように、そして必死に訴えるかのように身を乗り出してきた。


「俺は、貴方が汚れていないことを知っています。その身体が、穢れ一つない清らかなものだということを知っています。だから、どうか……そのような言い方でご自分を貶めないでください」


 胸の奥を、かすかな痛みが刺す。そんなことを言われても、私は言葉だけでは他人を信じられなくなっていた。綺麗に飾られた言葉の裏でなにを考えているかわからない。それが人間だ。

 私は黙って彼の目を見つめた。真っ直ぐな熱を帯びた瞳で、彼は私を見ていた。 

 ズキリとまた胸が痛む。


「自分の妻になった女のことだから、汚れていないと信じたいんじゃなくて? 過去は確認できないから、ただそうやって納得してるだけじゃないの?」


 ――ああ、また心にもないことを言ってしまっている。

 強気に、挑発するように発したつもりの声は震えていた。自分を守ろうとする意識が、あまりに強く働きすぎている。情けない、と思いながらも、自分の心の傷がまたじくじくと膿んでいることに気付く。


「わからないわよ。本当にあの時賊に穢されたのかもしれないし、もしかしたらその後の噂に翻弄されて自暴自棄になって――」

「貴方は、そのような人ではありませんよ」


 セシルは低く、でもはっきりとした声で私の言葉を断ち切った。


「俺が、一番よくわかっています。貴方は、どこまでも高潔で真っ直ぐで、正しい人だ。噂に流されて身を破滅させるようなことはなさいません。噂に騙されて寄ってきたような軽薄な男の誘いにも、乗るはずがない。なぜなら」


 彼は、少し声を和らげ、小さく微笑みを浮かべた。


「それをご両親が知ったら、どれだけ深く傷つかれるか貴方はよく知っているから。貴方は、誰よりも家族を大切にされる方です。自分を傷つけてでも他人を守ろうとするような貴方が、自暴自棄になって身を投げ出すようなことをするはずがありません」

「な、んでそんな風に言えるのよ」


 声の震えはとまらない。セシルの言葉は、まるで私の奥底を見透かしているようで――怖くて、苦しくて、でも嬉しくて。どうしようもなかった。


「ずっと、見てきましたから」

「……ずっとって?」


 セシルは私の疑問には答えず「手を」と一言。反射的に手を差し出せば、下からそっと指先で手を支えてきて、改めて私を真っ直ぐに見つめた。


「愛しています、マイレディ」


 その一言は、静かで小さなものだったにもかかわらず、私の耳に入った瞬間大きく心を震わせた。


「セシル、だからその呼び方は」

「貴方とは違い、それこそ文字通り汚れているこの俺が貴方に軽々しく触れるなんて……そんなの烏滸がましいにもほどがあるではないですか」


 そんなことは自分自身が許容できないのだ、と改めて同じことを主張してくる彼はどこまでも真剣だった。誇張でも謙遜でもなく心からそう思っているということが、曇りのない瞳から伝わってきてしまう。


「どうして、そこまで私を信じてくれるの?」

「だから、言ってるではないですか。私は、貴方をずっと見ていました。その正しさも、優しさも全部」


 鼻の奥が熱い。泣いてしまいそうだ。

 今まで、私のことをここまで信じてくれる人がいただろうか。

 凍っていた心の深い部分が、ゆっくりと溶けていくのを感じる。


「でも、触れてはくれないのね?」

「育ちもこれまでやってきたことも、褒められたものではないこんな俺には、清らかなで高貴な貴方に触れる資格などないんです」

 

 セシルは私を高貴だと表現するが、実家は裕福でも高位の貴族でもなく、家風もさばさばしていて、どちらかといえば金持ちの商人の家に近い感覚だ。彼こそ、私を買いかぶりすぎている。


「あの、旦那さま?」

「マイレディ、そのような呼び方はやめてください」


 ――それをいうなら、マイレディもやめてほしい。

 そう思いながらも、はじめて触れてくれた彼の手の熱さに、心臓がどきどきとうるさいほどに高鳴っていた。セシルの手が、こんなにも熱を持っているだなんて知らなかった。少し硬いように感じる指先は、いつも剣を握っているからなのだろう。


「貴方を汚したくはないのです」


 彼は祈るような目で私を見つめる。その震える指先は、私が壊れ物か、あるいは信仰の象徴かなにかのように思われていると錯覚してしまいそうだ。

 ――私は、伝説の聖女などではない、普通の女なのに。

 それどころか、悪い話しかないような行き遅れだったのに。


「……ちゃんと愛してくれている人に触れられても、汚れないと思うわ」


 ぽつりと漏れた言葉に、セシルは一瞬目を見開いた。そして、苦しそうに小さく息を呑む。


「……っ、それは、確かに、そうかもしれませんが……」


 私の発言に少し戸惑っていたセシルは、覚悟を決めたように真摯な表情を浮かべて「レディ・ミア」また私を呼んだ。


「なに?」

「まだ、少し時間はかかるかもしれませんが、いつかは必ず。貴方のお望みのままに」


 愛しています、と言いながら、彼はそっと、私の小指の先に口付けた。ほんの一瞬の口付けだけど、それはどんな言葉よりも真摯に、彼の想いを伝えてきてくれた。

 唇を離したセシルは、やはり目を合わせないまま「それでは失礼します」と深く頭を下げて足早に部屋を出て行く。

 その際、強かに脛をテーブルにぶつけていく。動揺を、隠しきれていなかった。

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