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「大きな声が聞こえたようですが……なにかございましたか?」


 心配そうな顔で厨房を覗いてきたのは執事のトレフだった。


「いえ、その、たいしたことではないのだけど」


 あんな大声、はしたないと思われただろうか。少しばかり気恥ずかしさを覚えつつ、ウルを女の子と勘違いしていたのだと説明すれば、トレフはふっと目を細めた。


「なるほど、そういうことでしたか」

「私ったら、早合点してしまって恥ずかしいわ」

「初対面でウルを男だと見抜ける人はほぼいません。奥様の勘違いも仕方のないことかと」


 さり気なくフォローしてくれたトレフは、先ほどまでとそう変わらないきちんとした格好をしていた。ビターブラウンの短髪は丁寧に撫でつけられ、藍色の静かな瞳には、冷静さと誠実さが漂っている。衣服にも一切の乱れはなく、低音の声も、落ち着いた物腰も、文句のつけようがない。


「なにか気掛かりなことはありませんか?」

「ううん。ありがとう。今のところ困りは感じていないわ」

「少しでも不安を感じることやものがありましたら、ご遠慮なくおっしゃってください」

「それ、さっきピッケも言ってくれたのよ。この屋敷のみんなは優しいのね。嬉しいわ」


 そんな感想を漏らせば、トレフとヘルタは顔を見合わせて柔らかく微笑み合う。

 この屋敷の使用人たちは、全員気持ちの良い人たちのようだ。いいのか悪いのか、人の悪意に敏感に反応するようになっている私にも、彼らの態度が演技のようには思えない。異物でしかない私のような新参者にも嫌な顔一つせず接してくれて、ささくれていた心が少しずつ軽くなっていくのがわかる。

 ――早く馴染めると良いのだけど……

 当主にあまり好かれていなさそうな点を除けば、ここの生活にさしたる不安はないだろうと感じられた。


 その後は私の部屋で、持ってきた荷物を整理させてもらったりしつつのんびり過ごす。少しボーっとしていると夕食の時間になった。

 軽めに用意された夕食時も、予想通りセシルと目が合うことはなく、当然会話らしい会話もなかった。屋敷内を見て周り、使用人たちと交流したという私の話を聞いても、彼は特に反応を返さなかった。どうやら、仲良くなるな、と言う気はないようだ。ということであれば、私は私で好きなように彼らと仲良くさせてもらおう、と心に決める。

 食事が終われば、彼はさっさと部屋に戻ってしまって、翌朝私が起きた時にはもう仕事に出てしまっていた。そんなことが、ここに来てからずっと続き、気づけばここに来てから二週間が経っていた。


 相変わらずセシルとの会話はほとんどなく、顔を合わせる機会は朝と夜の食事の時くらい。やはり騎士団の副団長ともなると、私の想像もできないほどに多忙なのだろう。毎朝早くに仕事に出てしまい、夜は帰ってきて食事を取るとすぐに自室にこもってしまう。すぐ近くにいるはずなのに、セシルの人となりは全然わからないままだった。


 結婚式の翌日


「旦那様から、奥様には望むことを自由にしていただくように、と仰せつかっております。なにか、ご希望はありますか?」


 ヘルタにそう尋ねられた時、私は迷うことなく孤児院での手伝いの再開を願った。

 セシルと結婚することになってからは毎日が忙しく、孤児院へいくことができなくなっていた。私がいた時でさえあの忙しさだった孤児院は、大人が一人抜けたことで今てんやわんやな状態だろうと予想できた。今まで通りの頻度というわけにいかなくても、少しでもお手伝いが出来れば――そんな風に思っていたのだけど、トレフが伝えてくれたセシルの返事は「すべては貴方のご希望のままに」というものだった。その返答を、形だけの妻になどに興味はないから、なんでも好きなようにすればいいという意味合いだと思った私は、そのようにさせてもらうことにした。

 実家よりもこちらの方が孤児院に近い場所なこともあって、前よりもゆとりをもってお手伝いが出来るようになったのだが、新婚にずっと手伝わせるわけにはいかない、とシスターたちは週の半分ほどの訪問しか許してくれなかった。それでも、私が戻ったことを子供たちも喜んでくれて、この二週間の生活は充実していたのだった。

 ここにいる間も居心地が悪いなんてことは一切なく、屋敷のみんなと楽しく生活させてもらっている。ピッケとは庭の花の世話をしながら孤児院の子供たちの話をしたし、ヘルタとは洗濯物を干しながらお茶やお菓子の好みについてお喋りした。ウルが作ってくれる南方風の甘辛いスープはお気に入りのメニューになって、毎日の献立を一緒に考えさせてもらうのも楽しい。私の知っていた孤児院で作るような簡単なお菓子のレシピも、彼はすっかりものにしてしまったようだった。トレフと交わす何気ない挨拶の中には、いつも心を和ませてくれるような気遣いが込められていた。日々は静かに過ぎていき、私自身もこの屋敷に少しずつ馴染んできているのを感じていた。

 けれども、主であるセシルだけは、まったく手の届かない存在のまま、目が合うことすらまれだった。


「今週末、年に一度の騎士団の慰労会が王城で開催されます」


 ある日の夕食時、セシルが唐突に切り出した。ちなみにこの前の会話は一切ない。


「あら、そうなんですね。それにはセシルも参加なさるのよね?」


 そう返した私の方を横目で見た彼は頷いた。


「はい、私も招待されております。……つきましては、可能なら貴方にも同行していただきたいのですが……いえ、どうしても嫌だとおっしゃるのなら強制するつもりは一切ありませんが」


 ――まあ、私これでも一応セシルの妻ですものね。

 正式な場には当然妻としてご一緒するつもりでいたから、こちらから断る理由はない。


「ええ、喜んでご一緒させていただくわ」

「……ありがとうございます」


 記憶にある限り、朝晩の挨拶や一言二言でない会話はこれだけだった気がする。

 ごく当たり前の行動に対しても改まって礼を言われてしまうほど、私という存在は、彼にとって『妻』というポジションにはいないらしい。こんなものが結婚して以来最長の会話だった辺り、どれくらい私と彼が擦れ違っていたのかわかるというものだ。

 騎士団の慰労会というものがあることは知っていたものの、長年社交界から逃げていたせいで時期を把握しておらず、なにも準備などしていなかったせいでドレスが悩みどころとなった。セシルから知らされたのが、当日まであと3日という日程。この短期間でドレスを新調するのはほぼ不可能だった。

 年に一回の慰労会に初めてセシルの妻として参加するのだ。それなりの格が必要になるだろう。流行遅れのものを着ていては、彼に恥をかかせてしまうかもしれない。質はよくとも流行遅れのデザインのものを着て行くよりも、母の新しいドレスを借りた方がまだマシだろうか。

 そんなことを考えつつ眠り目を覚ました翌朝、テラスのある部屋に呼び出された私は目を真ん丸にした。


 そこには、私の寸法にぴったり合う1着のドレスが飾られていたのだった。


 旦那さまの騎士団の正装に合わせたかのような、銀に近い艶やかなグレーの生地、アイスプルーとエメラルドグリーンの糸で、まるで氷の蔦のような繊細な刺繍が施されている。胸元の開きは控えめで、袖は手首まで隠れる長さ。可能な範囲で最大限に露出が抑えられた、品の良い一着だった。伝統ある形ではあるものの、最先端の流行デザインではないということくらいはわかる。今はもっと、デコルテを主張するようなものが流行っているはずだ。

 ――見苦しいから、年増は肌を出すなってことかしらね。

 内心溜息を吐きつつ、着替えを男性に見られるわけにはいかないので、案内してくれたトレフには一旦下がってもらう。1人で試着してみれば、サイズだけではなくデザイン含めて存外に私に似合っているように見えた。

 鏡に映った自分は、意外なほど品良くおしとやかな『奥様』だった。しっとりと落ち着いた雰囲気に、これが私? と我ながら驚く。


「このドレス、どうしたの?」


 という私の質問に


「奥様のドレスをご用意するのは、私どもの仕事ですから」


 様子を見に戻ってきてくれたトレフが「お似合いです」と笑顔で返してくる。

 ――この刺繍の細かさ、仕上がるまでに数か月はかかりそうよね?

 偶然、ちょうどいいデザインのものでもあったのだろうか。いや、それにしては色合いや生地の質感がセシルの横に並ぶのにぴったりすぎる。どう考えてもオーダーメイドだろう。

 ――どこで私のサイズを把握したのかしら。

 疑問に思いながらも、他に選択肢はない。ありがたく受け取ったそれを身にまとい、本日催された祝賀会に参加したのだった。

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