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 庭をぐるりと一廻りしたあと続いて厨房を覗けば、そこにはぐったりとテーブルに突っ伏したまま、ピクリとも動かない淡い金髪の後ろ頭があった。


「えっ……やだ、大丈夫?!」


 倒れているのかと思って驚き、心臓が跳ね上がる。慌てて駆け寄れば、その声に気付いたのか遅れて顔を上げたのはまだ幼さの残る少女だった。

 眠っていたのか瞳は焦点が合っておらず、ぼうっとしたまま私の顔を眺めてくる。しばらくぼんやりしていた彼女は、次の瞬間ハッとした様子で目を見開き、頬を伝っていた涎を慌てて袖で拭った。


「うわ! ボク寝ちゃってたッ?!」

「朝から準備をしてくれてたのでしょう? 本当にお疲れ様だったわね」


 この家の調理担当だというまだ幼く見える彼女の名前は、ウルと言うのだとヘルタご紹介してくれた。この家には、男性2人、女性2人の使用人が住み込みで働いているようだった。

 ――よほど特殊な趣味でもない限り、セシルの相手はやっぱりヘルタよね。

 そんなことを考えながら、ウルを眺める。

 丸い頬といたずらっぽい口元に、キラキラした大きな瞳が印象的だ。お疲れ様、と頭を撫でると、子犬のような嬉しそうな顔をされる。なんて可愛いの! と思ってつい抱き締めると「うわわわわ!!」彼女は大きな声を上げた。


「だ、だめだめだめっ、そんなっ、ちょっ、それはちょっとやめた方がっ!」


 耳元近くでの大きな声に耳がキーンとする。


「あら、抱き締められるのは嫌いだった? ごめんなさいね」

「違、そうじゃないんだけど、こんなところ見られたらセシルさんに殺されちゃうって!」


 ぷるぷると肩を震わせながら言うウルに、私は苦笑を漏らした。


「そんな大袈裟な」

「大袈裟じゃないんだよぉ」

「もう、ウルまで奥様にそんな言葉遣いをして」


 鋭く入った一言は、またしてもヘルタから発せられたものだった。いけませんよ、と注意されたウルは小さく舌を出す。

 やっぱり可愛い、ともう一度頭を撫でようとすると、ヘルタが少し強引に私と彼女の間に割り込んできた。


「ヘルタ。私は、今のような態度で接してくれた方が気楽だから。みんなそのままで良いのよ。無理に私のためだけに直す必要はないわ」

「しかし奥様……」

「堅苦しいのは苦手なのよ」


 そう言うと、ヘルタは一瞬躊躇った後で引き下がってくれた。

 改めてウルの顔を見る。丸い瞳を輝かせて、興味津々な様子を隠そうともせず見てくる彼女に笑いかける。


「あなたは、いくつなの?」

「16になったよ!」


 自信たっぷりに胸を張って答える様子が微笑ましくて、つい目を細める。

 ウルは小柄で華奢な体格をしている。多少年齢よりもだいぶ幼く見える容姿だ。聞くまでは高く見積もっても13くらいだと思っていた。確かに、16歳の子相手にハグというのは少々子供扱いしすぎたかもしれない。


「まあ、そんなに若くてあんなにお料理が上手だなんて。ウルはすごいわね!」

「えへへ」


 ウルは嬉しそうに口元を緩めて頬を掻く。毛先だけオレンジに見えるピンクがかった金髪は温かな色合いで、肩につくかどうかという長さの髪は少しだけ癖があって緩やかにうねっている。

 大きな瞳は明るいグリーン、元気そうな小麦色の肌はいかにも健康そうだ。体つきは直線的で、だぼだぼの服にすっぽりと包まれているせいで、余計に彼女を幼く見せているようだった。

 聞き慣れない響きの名前とその外見的な特徴から、きっと南方のどこか、暖かい国の出身なのだろう。


「奥様、夜はなに食べたい?」


 こそっと聞いてきたウルに「そうね……じゃあ、セシルの好物にしてちょうだい。彼の好きなものを知りたいの。私、好き嫌いはないからなんでも大丈夫よ」と囁き返す。

 パッと瞳を輝かせたウルは「わかった!」と頷くとさっそく貯蔵庫に向かおうとするから、慌ててその腕を取る。


「待って。今うたた寝していたんでしょう? 朝早くから準備していたんだろうから、疲れるのは当然よ。一度ちゃんと休みなさい」


 そう言うと、振り返ったウルは私の目を見て少し唇を尖らせ抗議の態度を見せる。


「でも下準備が」

「だったら、今日の夜はすぐに出来るもので良いわ。お昼をたくさんいただいたし、パンとサラダで十分よ。そんなにフラフラなのに包丁なんて持ったら怪我をするじゃない。絶対に駄目」


 少しだけ強い口調で言えば、不満げにしつつもウルは身体ごと振り返ってきた。


「16歳ならまだまだ成長期なんだし、休む時はちゃんと休まないといけないわ」

「えー、でもぉ」

「でも、じゃありません。ここの女主人として命じます。夕方まで休みなさい」


 少し冗談めかして言えば、ウルは葛藤するように小さく唸ってから、観念したように項垂れた。


「……はぁい」


 肩を落として「じゃあ寝てくる」とスカーフを外した彼女は、それをテーブルの上に置いていく。

 ああ言ってはいたけれど、やっぱりかなり疲れていたのだろう。フラフラした怪しい足取りで転びそうになりながら自分の部屋に向かっていった。

 案の定限界だったんじゃない、と腕組みをして見送れば、隣に立っていたヘルタが「奥様」と真剣な声を出す。振り返ると、彼女はちょっと怖ろしいほどに真面目な顔をしていた。


「な、なに?」


 初日から女主人顔をするなと窘められるかしら、と身構えて警戒する私に、彼女は一呼吸置いてからゆっくりと口を開いた。


「ウルは、男です」


 一瞬なにを言われたのかわからず、反応が遅れる。


「……え?」

「男です。顔立ちと声、体格で誤解されがちですが、彼はれっきとした男性です。あのように気軽に抱き締められては困ります」

「え?! 男?!」


 自分でも驚くほどの大きさの素っ頓狂な声を出した私に、彼女はさらに大真面目な顔で頷いた。


「え、えええ?! あんなに可愛い男の子がいるの!?」

「はい。間違いなく、彼は男です」


 ヘルタの真顔に、これは冗談でも嘘でもないのだと悟る。


「はぁぁああ……なんか、よくわからないけどすごいわね」


 くらりと軽い眩暈すら覚える。

 あの可愛らしい顔に高めの声に小柄な身体、さらにはあの無防備な寝姿。

 ――あれが全部、16の男の子ですって……?!

 それなら、それなら、さっき私に抱き締められて驚いていたのも納得だ。てっきり、ほぼ初対面の相手からハグされて驚いたのだと思っていた。セシルに怒られるとも言っていたし、彼から仲良くする必要はないと言われている女に抱き締められたことによる動揺なのかとも、一瞬頭に浮かんだのだが。

 こちらは孤児院の子を日課のように抱き締めているから、あそこにいるような15歳程度の男の子であればそうすることに抵抗はないのだけど、初対面の年頃の男の子にやるべき行為ではなかった。


「盛大に勘違いしちゃったわ。あとで謝らないと」

「彼は気にしていないとは思います。女の子だと思われるのはいつものことなので」

「いつものこと、ね。うん、あんなに可愛いんだもの、誰だって女の子だと思っちゃうわよ」


 胸を押さえ、驚いて早くなった鼓動を落ち着かせようとする。

 そこに、長身の男性が顔を出した。

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