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 返事をしてからおよそ一か月。


「お迎えに上がりました」


 そう言った彼は、私の前に芝居めいた仕草で跪いていた。

 ――どうしてこうなった。

 恭しい態度に戸惑いながらも手を差し出すと、彼はそっと顔を寄せてくる。

 整えられた灰色の短髪がそよ風に煌めく。切れ長の瞳は氷を思わせるような淡いブルーで、私を静かに見つめている。実際にこの目で見たセシル・ベルトランは、世間が絶賛するという噂に相応しい整った顔立ちで、あらゆる階級の若い娘をときめかせているという話を肯定する美丈夫だった。

 しかし悲しいかな、私は立派な騎士様に憧れの視線を向けるような夢見る年頃ではなく、なによりもこんなことをしてもらえるような資格はないと腰が引ける。

 ――……あれ?

 なにかおかしい、と小首を傾げれば、ふ、とわずかに目を細めて私を見上げた彼は、優雅な仕草で立ち上がった。


「それでは参りましょうか」


 彼は、笑みを作って改めて手を差し出してきたのだが。

 私は、見つけてしまった。その目の奥が微笑んでいなかったことを。


 礼儀として笑い返せば、煩わしそうに目を伏せられる。その表情が拒絶にも思えて、胸の奥がチリリと焦げる。

 ――これはやはりどう考えても、愛されて求められたって表情ではないわね?

 私と直接対面しても「この人ではない」と言わなかったことから、残念ながら人違いではなかったようだ。そして、どこかでたまたま見掛けた私に一目惚れした、などというロマンティックな話でもないのは、彼の態度の余所余所しさからも透けて見える。

 我が家相手なのだから、財産目当てでないことは確か。可能性があるとしたら、私がここの一人娘で跡取りが必要なことから、婿入りすれば一代限りの貴族位でなく、自分の子も貴族としての身分が保証される、ということくらいだ。重ねて言ってしまえば、その跡継ぎとなる子供は必ずしも私が産む必要はない。よそから連れてきた子を養子にしたとしても、父が引退して彼に爵位を譲った後であればなんの問題にもならない。いや、『賊に汚された女』は子を成すことが出来なくなっていた、頑張ってみたが子供が出来なかった、ということにしたって良いだろう。

 彼からの結婚の申し込みの手紙にあった「婿入りでも構わない」という文面に両親が喜んだのは言うまでもないのだけれど、これらの可能性を考慮すれば全部納得できる。


 ――結構な野心家だという噂もあるみたいだし、うん、やっぱりこれが正解かも。


 つまり私は、彼にとっては踏み台でしかないということだ。だから、さっきも私の手にキスをする振りだけだったのだ。指先が触れもしないのだ。

 きっともう、どこかに愛しい人でもいるのだろう。その人との間に生まれた子の将来のため、手段を選ばず私のような女と書類上の婚姻関係を結んだのかと思えば、いっそ潔い。そういうことね、と納得すれば気負うものもなくなる。

 華々しい彼の経歴に欠点があるとすれば、それは平民出身であるということ。事実かどうかはさておき、孤児であったとも囁かれている身の上だ。どんなに娘からセシル・ベルトランと結婚したいと訴えられようと、どこの馬の骨とも知れない彼を迎えたくないと拒むような、格式を重んじるような家も少なくないはずだ。経歴を調べようとしても、本当に孤児であれば血筋を遡ることも出来ないだろう。

 一族の多くに疎まれながら生活するよりは、ランクは下がっても諸手を上げて歓迎してくれる家との縁を手にした方が、本人にとっても得は多い。しかも、訳ありで行き遅れている娘には結婚という契約自体が救いだ。恩人のその後の振る舞いについて、とやかく言いにくくなる。

 ――要するに、私は彼にとって都合のいい相手だったってことよね?

 お互いに損得で繋がるというのも、貴族間の政略結婚などではよくある話だ。恋愛結婚が尊まれる傾向のある我が国ではあるが、これだってその一つだったというだけのこと。こんな私にもまだ利用する価値があるのなら、それはそれでいい。

 私はその瞬間、完全に割り切った。


 返事をした後も、彼がデートに誘ってくれることはなかった。手紙のやり取りは1回だけしたが、結局一度も会うことがないまま、あれよあれよという間に結婚式の段取りが整えられ当日が来てしまった。顔合わせすらなく結婚することになるとは思っていなかった。準備期間も短すぎた。自分に合わせたものを作る時間はなく、セシルから贈り物として送られてきた純白のドレスをそのまま着るしかなかった。私に合わせて設えられたかのようにぴったりだったから良かったものの、これで似合わないデザインやサイズが合わないものだったらどうするつもりだったのだろう。

 どんな事情があるのか、この話はなにもかもが不気味なほど迅速に進められていた。私は流されるがままに、結婚式を行う教会へ向かう馬車に乗っていた。彼も我が家も大袈裟な結婚式を望まず、身近な親族だけを招いた小さな式が行われることになっていた。一言も言葉を交わしたこともないまま式では……という両親の気遣いにより、今セシルと私は無言で向かい合った席に座っていた。当然のごとく、私たちの間に会話は一切ない。彼は視線を窓の外に向けたまま、私を見ようともしなかった。

 ――お父様、お母様、その気遣いが私を追い詰めておりますが?!

 思いっきり文句を言いたい気持ちを押し込めて、私は意を決して口を開くことにした。

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