第8話 見えざる盾
戦場での華々しい勝利は、しばしばその背後にある、地味で目に見えぬ戦いの積み重ねによって準備される。情報戦の重要性は、孫子の兵法以来、古今東西を問わず、軍事における不変の要諦であった。そして、その戦いは、時に物理的な戦闘よりも冷酷で、非情な結果をもたらすことがある。
大将軍司馬昭は、諸葛誕への警戒レベルを日増しに強め、かつてないほど多数の間諜を、寿春を中心とする揚州一帯に放っていた。彼らは、賈充によって選抜され、特別な訓練を受けたプロフェッショナルであり、変装、潜入、人心掌握、そして必要とあらば暗殺をも厭わぬ冷酷な者たちであった。彼らの任務は、諸葛誕の不穏な動きの具体的な証拠を掴み、その蜂起計画を未然に察知し、可能であれば内部から切り崩して瓦解させることであった。司馬昭は、特に賈充が推薦する、経験豊富で冷酷な間諜たちを、この任務に投入したと言われる。彼らは、諸葛誕の首に懸賞金をかけ、その人望を貶めるための流言飛語を広めることさえ厭わなかった。
しかし、彼ら司馬氏の間諜たちを待ち受けていたのは、諸葛誕が長年にわたり、周到に張り巡らせてきた死士たちによる鉄壁の防諜網であった。荀顗が統括するこの情報組織は、揚州の隅々にまで、まるで毛細血管のように浸透し、不審な人物の動きや、通常とは異なる金の流れ、あるいは不自然な噂話に至るまで、あらゆる情報を常に監視し、収集していた。
市場で威勢の良い声を張り上げる商人。宿屋で客の世話を焼く物静かな亭主。淮水の渡し場で船を操る無口な船頭。彼らの多くは、表向きは普通の民衆であったが、その実、諸葛誕に深い恩義を感じる協力者か、あるいは死士の一員として特別な訓練を受けた者たちであった。彼らは、日常の風景に溶け込み、見えざる盾となって諸葛誕を守っていた。
新たに揚州に潜入してきた司馬氏の間諜は、その巧妙に仕掛けられた蜘蛛の巣のような罠にかかり、多くの場合、その活動を開始する前に、あるいは活動の初期段階で、次々と捕縛されていった。死士たちは、単独で行動するのではなく、複数のチームで連携し、対象を慎重に監視・尾行し、確実な証拠を掴んだ上で行動に移した。
捕らえられた間諜の中には、死士たちによる厳しい、しかし計算された尋問――それは肉体的な拷問だけでなく、心理的な揺さぶりや、家族を人質に取るかのような脅迫も含む――に屈して、司馬昭の命令系統や他の間諜に関する貴重な情報を吐く者もいれば、逆に諸葛誕の掲げる大義やその人柄(それは時に、捕虜に対しても公正な態度で接する諸葛誕自身の姿を見せることで示された)に感化され、二重スパイとして司馬昭に偽情報を送ることを承諾する者も現れた。諸葛誕は、寝返った間諜に対しては、その家族の安全を保障し、相応の報酬を与えることで、彼らの忠誠を確保した。しかし、その裏切りが発覚すれば、彼ら自身もまた、司馬昭によって容赦なく処刑される運命にあった。それは、常に死と隣り合わせの危険な取引であった。
ある夜、司馬昭の腹心中の腹心とされ、数々の敵対勢力の摘発に功績のあった腕利きの間諜、名を趙達という男が、特別な任務を帯びて寿春に潜入した。彼は、変装の名人であり、数ヶ国語を操ることができたという。彼の目的は、諸葛誕の側近の一人、蒋班を買収し、内部情報を入手すること、そして可能であれば諸葛誕暗殺の機会を窺うことであった。蒋班は、その実直な性格から、買収工作の標的として選ばれたのである。
しかし、趙達の動きは、彼が寿春の城門を通過した瞬間から、死士たちによって厳密に監視されていた。荀顗は、趙達の過去の経歴や手口を分析し、彼が蒋班に接近することを予測していた。数日間にわたる息詰まるような追跡と監視の末、死士たちは趙達が蒋班に接触しようとしていた場所(実は諸葛誕と荀顗が仕掛けた罠であり、蒋班もその計画に協力していた)に先回りし、趙達が現れるのを待ち構えた。
趙達は、巧妙に蒋班に近づき、甘言と金品で彼を誘惑しようとした。しかし、その会話の最中、周囲に潜んでいた死士たちが一斉に趙達に襲いかかった。趙達は、驚くべき早業で短剣を抜き、抵抗したが、数に勝る死士たちの連携の前に、ついに力尽き、捕縛された。その際、彼は最後まで抵抗し、数名の死士に深手を負わせたという。
この一件は、司馬昭に大きな衝撃を与え、諸葛誕の防諜能力の高さを改めて認識させる結果となった。そして、自らの懐刀であった趙達を失ったことは、彼の情報網に大きな打撃を与えた。
「諸葛公休の周囲には、見えざる壁があるようだ。あるいは、彼の足元には、我々が気づかぬ無数の目が光っているのかもしれぬ」
司馬昭はそう嘆息したと伝えられる。彼の心には、かつて父・司馬懿が諸葛亮孔明の巧妙な罠に幾度も苦しめられた記憶が蘇っていたのかもしれない。
「目に見えぬ刃こそ、最も恐るべきものである。それは、音もなく忍び寄り、確実に敵の心臓を貫く」
諸葛誕の死士たちは、まさにその無形の刃として、司馬氏の間諜網を一つ一つ切り裂き、彼らの目と耳を効果的に塞いでいった。寿春は、堅固な城壁に守られた物理的な要塞であると同時に、情報戦における難攻不落の要塞ともなりつつあった。
この情報戦の指揮を執っていたのは、荀顗であった。彼は、各地からの情報を集約し、分析し、そして必要な対策を指示した。彼の下には、暗号解読の専門家や、偽情報の作成に長けた者、あるいは変装の達人といった、特殊な技能を持つ死士たちが集められていた。彼らは、昼夜を問わず、諸葛誕の安全と計画の秘匿のために働き続けた。
ある時、諸葛誕は荀顗に尋ねた。その顔には、わずかな疲労の色が見えた。
「荀顗よ、我々は司馬昭の間諜を捕らえ続けているが、彼らの数は減る気配がない。まるで、切っても切っても生えてくる雑草のようだ。これは、いつまで続くのだ?」
荀顗は冷静に、しかしその瞳には非情な光を宿して答えた。
「殿、彼らが我々を恐れている限り、間諜を送り込み続けるでしょう。我々がすべきことは、彼らに『寿春は間諜の墓場である』と認識させることです。それには、時間と、そして更なる犠牲が必要となります。我々の仲間の中にも、二重スパイとして敵地に潜入し、帰らぬ者となった者たちがおります。彼らの死を無駄にしてはなりませぬ」
その言葉には、非情なまでの現実認識と、見えざる戦いの厳しさが込められていた。そして、その犠牲の中には、敵に寝返ったと見せかけて情報を流し、最後は味方の手によって始末されるという、悲劇的な運命を辿った死士も含まれていたのかもしれない。彼らの名は歴史に残ることはないかもしれないが、その献身が諸葛誕の蜂起を支える礎の一つとなったことは間違いなかった。諸葛誕は、その言葉を聞き、しばし目を閉じ、静かに冥福を祈った。