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第17話 司馬家の亀裂

巨大な権力構造というものは、その頂点が強固である限りにおいては盤石に見えるが、ひとたびその頂点が揺らぎ、あるいは内部に亀裂が生じれば、驚くほど容易に瓦解するものである。それは、積み木崩しにも似て、一つの不安定要素が全体を崩壊へと導くのだ。大将軍司馬昭の寿春における歴史的な大敗北は、まさにその頂点を揺るがす激震であり、長らく一枚岩と見られていた司馬一族とその派閥に、深刻かつ修復不可能な亀裂を生じさせた。

それまで司馬昭の絶対的な強権の前に沈黙を余儀なくされ、不満を押し殺していた者たちが、ここぞとばかりに公然と彼を批判し始めたのである。彼らは、司馬昭の失墜を、自らが権力の座に近づく好機と捉えたのだ。特に、司馬懿の次男であり、かつて兄・司馬師と共に巧みな権謀術数で曹氏の権力を蚕食し、魏帝国の実権を掌握してきた司馬昭にとって、実の弟たちからの造反にも等しい批判は、精神的にも政治的にも大きな痛手であった。彼は、一族の結束こそが司馬家の力の源泉であると信じていたからだ。

司馬懿の三男である安東将軍・司馬伷しばちゅう、四男の東莞王・司馬亮しばりょう、六男の梁王・司馬京しばけいといった弟たちは、兄である司馬昭の独断専行的な政治運営と、今回の寿春での惨敗の責任を、一族の長老たちの前で厳しく追及した。彼らは、表向きは司馬家の将来を憂慮する姿勢を見せながらも、内心では司馬昭の権力を奪い取ろうという野心を燃やしていた。

「兄上、あなたは父上(司馬懿)と長兄上(司馬師)が築き上げてきた司馬家の名誉と信用を、今回の失態で著しく傷つけられましたぞ! このままでは、司馬家は天下の笑いものとなり、諸葛誕のような輩に国を奪われ、我らは滅亡の道を辿るやもしれませぬ! あなたの采配には、明らかに慢心と油断があったと言わざるを得ません!」

司馬伷は、最も声高に兄を非難した。彼は、かねてより司馬昭の強引な手法に不満を抱いており、自らが兄に代わって一族を率いるべきだと考えていた。

一族の長老たちもまた、司馬昭の強引な手法に内心では眉をひそめていた者が多く、弟たちの意見に同調する動きを見せた。さらに、かつて司馬師の派閥に属し、司馬昭の台頭によって冷遇されていた旧臣たちや、司馬昭の性急かつ冷酷な権力掌握のやり方に道義的な不満を抱いていた清流派の官僚たちが、この機に乗じて一斉に反司馬昭の声を上げた。彼らは、密かに連携を取り合い、司馬昭を失脚させるための策謀を巡らせ始めた。

彼らは、司馬昭の罷免と、より穏健で徳望のある人物(それは往々にして彼ら自身、あるいは彼らが支持する司馬一族の別の誰かを指した)への政権移譲を、公然と要求し始めた。洛陽の朝廷は、にわかに不穏な空気に包まれ、かつて司馬懿が曹爽を排除した高平陵の変の再来を予感させるような、緊張感に満ちていた。

諸葛誕は、この司馬一族の内紛という絶好の機会を、座して見過ごすような凡庸な戦略家ではなかった。彼は、寿春で捕虜とした司馬軍の将校の中から、巧みに寝返らせた者を選び出し、あるいは金銭で買収した間諜を洛陽周辺に多数潜入させた。そして、荀顗の立案のもと、様々な流言飛語を飛ばし、彼らの不信感と対立をさらに煽り立てた。

ある者には「司馬昭は、敗戦の責任を弟たちに押し付け、粛清しようと計画しているらしい。彼は、自らの権力を守るためには、肉親さえも犠牲にする男だ」と囁き、またある者には「司馬伷こそが、聡明で仁徳があり、次期後継者として司馬家をまとめるにふさわしい人物だ。彼ならば、この国難を乗り越えられるだろう」と吹き込んだ。これらの情報は、真偽はともかく、司馬一族の疑心暗鬼を増幅させるには十分だった。死士たちは、変装して洛陽の酒場や市場に紛れ込み、これらの噂を効果的に広めていった。

司馬一族は、東の諸葛誕・呉連合、西の蜀漢という外敵からの脅威のみならず、内なる敵、すなわち一族内部の権力闘争と不信感によっても、その強固であったはずの基盤を、急速に蝕まれつつあった。それは、かつて彼ら自身が、曹氏に対して用いた離間策や内部攪乱工作の、皮肉なまでの再現であったのかもしれない。歴史は、しばしばこのような形で、過去の行為に対する応報をもたらすものである。

司馬昭は、許昌で必死に軍の再編を進めながらも、洛陽からの不穏な報告に苛立ちを募らせていた。彼の顔には疲労の色が濃く、かつての自信に満ちた表情は消え失せていた。

「弟どもめ、この非常時に内輪揉めとは何事か! これでは諸葛誕の思う壺ではないか! 一族の結束こそが、我らの力の源泉であるということを忘れおって!」

彼は使者を送って弟たちを諌めようとしたが、もはや彼の言葉に耳を貸す者はいなかった。彼の権威は既に地に落ち、かつてのような絶対的な統制力を発揮することは、もはや不可能に近い状態であった。彼は、自らが蒔いた不信の種が、今まさに芽を出し、自らを脅かそうとしている現実に直面していた。

司馬家の落日は、静かに、しかし確実に近づきつつあった。その様子を、諸葛誕は揚州から冷静に見据えていた。彼は、焦ることなく、敵が自滅するのを待つかのように、次の手を慎重に準備していた。彼の目には、洛陽の混乱が極まった時こそが、最大の好機であると映っていた。そして、その時、彼は躊躇なく、最後の牙を剥くであろう。

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