第13話 江東の援軍
同盟とは、互いの利害が完全に一致する限りにおいて有効な、脆くも美しい幻想である。だが、この時の呉にとって、諸葛誕の蜂起は、長年の宿敵である魏を内側から弱体化させる絶好の機会であり、その利害は明確に一致していた。あるいは、少なくとも、呉の権力者・孫綝はそう判断した。彼にとって、諸葛誕は魏の力を削ぐための格好の駒であり、その駒が生き残る限り、呉の利益は守られると考えたのである。
呉の丞相・孫綝は、諸葛誕からの正式な救援要請と、司馬昭による寿春包囲の報を受けるや、かねてからの密約通り、迅速に行動を開始した。彼は、かつて魏から亡命してきた歴戦の将軍である文欽、その息子で「万夫不当の勇」と謳われた若き猛将・文鴦、そして唐咨、全懌、全端といった信頼できる将軍たちに、呉が誇る精兵七万(その中には、水上戦に長けた丹陽兵も多く含まれていた)を与え、水陸両面から寿春救援へと派遣した。その出陣の際、孫綝は将軍たちに対し、「諸葛誕を救うことは、すなわち呉の未来を救うことである。全力を尽くし、必ずや司馬昭の野望を打ち砕け」と檄を飛ばしたが、その言葉の裏には、「ただし、呉の損害は最小限に留め、魏の混乱から最大限の利益を引き出せ」という冷徹な計算が隠されていた。
呉の艦隊は長江を下り、淮水を遡って、司馬昭が築いた包囲網の一角へと、まるで赤い怒涛のように迫った。無数の戦船が川面を覆い尽くし、その帆には呉の赤い旗がはためいていた。その光景は、かつて曹操の大艦隊を赤壁で破った周瑜のそれを彷彿とさせると、呉の兵士たちは語り合った。彼らの士気は高く、長年の宿敵である魏軍を打ち破る好機に胸を躍らせていた。
呉軍の到来は、長く苦しい籠城戦に耐えていた諸葛誕軍にとって、まさに乾天の慈雨であり、地獄に仏であった。寿春城内の物見櫓から、遥か東南の淮水に呉軍の赤い旗指物が見え始めたという報がもたらされると、城内からは割れんばかりの歓声が湧き上がり、疲弊しきっていた兵士たちの士気は天を衝くほどに高まった。
「呉の援軍だ! 我々は見捨てられていなかった! 諸葛公の言われた通りだ!」
絶望の淵にいた兵士たちの目に、再び闘志の炎が宿った。彼らは、城壁に駆け上がり、呉軍の旗を指さし、互いに肩を叩き合って喜びを分かち合った。
特に、先鋒を率いる文鴦の勇猛さは際立っていた。彼は、父・文欽の制止(「敵の包囲は厚い。慎重に進むべきだ」という忠告)を振り切り、「好機逸すべからず!」と叫び、わずか数千の騎兵を率いて司馬軍の厳重な警戒線を電光石火の如く突破し、一番乗りで寿春城内へと入城を果たした。その際、彼は単騎で敵中深くに突入し、数十人の敵兵を薙ぎ倒し、その槍の先には常に敵兵の血糊がついていたと伝えられる。その姿は、まるで古代の戦神が蘇ったかのようであり、城内の兵士たちを熱狂させ、諸葛誕自身も彼の手を取ってその功を称えたという。
「文鴦将軍、貴殿の勇気は百万の兵に匹敵する! 我が軍にとって、これほどの力強い味方はいない! 貴殿の来援は、まさに天の助けだ!」
文鴦は、若々しい顔に汗を光らせながらも、力強く頷いた。「諸葛公の義挙、遅ればせながら馳せ参じました。この文鴦、父と共に、命に代えてもお助けいたします! 司馬の輩に、江東の武勇を見せつけてやりましょうぞ!」
その言葉には、若者らしい自信と、父の無念を晴らさんとする強い意志が込められていた。
諸葛誕は、この好機を逃さず、城から打って出て呉軍と合流し、内外から司馬軍を挟撃する大胆な作戦を立案した。死士の一部、特に地理に明るく機動力のある小虎らが、呉軍との連絡役及び道案内として、夜陰に乗じて城外へ派遣された。彼らは、司馬軍の監視の目をかいくぐり、呉軍の陣営に到達し、諸葛誕の作戦意図を正確に伝えた。その結果、魏呉連合軍の連携は、驚くほどスムーズに進むかに見えた。
呉軍の主力は、寿春の東南方面から、司馬軍が築いた長大な土塁と塹壕線に猛攻を仕掛けた。文欽、唐咨ら歴戦の将は、呉軍得意の水軍を巧みに利用し、淮水の支流から司馬軍の背後に回り込もうとしたり、あるいは陽動作戦で敵の兵力を分散させたりと、巧みな用兵で司馬軍を翻弄した。全懌、全端もまた、それぞれが任された戦線で奮戦し、司馬軍に多大な損害を与えた。彼らは、諸葛誕の蜂起が成功すれば、呉にとっても大きな利益があることを理解していた。
「呉の援軍、大挙して来たる! 文鴦将軍、城内に入られたぞ! 司馬軍は狼狽している!」
その報は、司馬軍の兵士たちの間に急速に広まり、彼らに大きな動揺を与えた。彼らは、かつて赤壁の戦いで、曹操率いる百万の大軍が、周瑜率いる数万の呉軍に打ち破られたという故事を思い出していた。江東の兵の強さと、水上戦における彼らの卓越した技術は、魏の兵士たちにとって、遺伝的な恐怖に近いものがあったのかもしれない。さらに、諸葛誕軍の士気が回復し、城内からの反撃が激しくなることも予想された。
包囲する側であった司馬軍と、包囲される側であった諸葛誕・呉連合軍の心理的な立場が、ここにきて逆転しつつあった。戦場の霧は、次第に司馬軍にとって不利な方向へと流れ始めていた。
司馬昭は、本陣でこの状況報告を受け、眉間に深い皺を刻んだ。彼の顔には、焦りと怒りが浮かんでいた。
「呉の猿どもめ、またしても厄介な真似を…文鴦ごときに、我が軍の包囲が破られるとは何事か! だが、今度こそ赤壁の二の舞にはさせぬぞ。全軍に伝えよ、油断なく防備を固め、呉軍を各個撃破せよと!」
しかし、彼の表情には、隠しきれない焦りの色が浮かんでいた。彼の心中には、かつて父・司馬懿が呉の諸葛瑾・陸遜らに幾度も苦杯を嘗めさせられた記憶が蘇っていたのかもしれない。そして、この戦いが長引けば長引くほど、魏国内の他の地域で反乱が起こる可能性も高まる。時間は、明らかに諸葛誕の側に味方し始めていた。




