第1話 落日の決意
歴史の歯車は、しばしば個人の意志とは無関係に、巨大な音を立てて回転する。栄華を極めた王朝も、やがては黄昏を迎え、新たな力がその座を奪わんと胎動する。それは、人の世の常であり、抗いがたい摂理なのかもしれない。だが、稀に、その巨大な歯車に己の身を投じ、わずかでもその軌道を変えようと試みる人間が現れる。その試みが、後世において英雄的行為と称賛されるか、あるいは無謀な蛮勇として嘲笑されるかは、結果という冷酷な審判官のみが知るところである。
西暦二五七年、夏。
中華の北方を支配する魏帝国は、建国より三十八年の歳月を数え、かつての覇気は薄れ始めていた。洛陽の宮殿に掲げられた「魏」の旗は未だ色鮮やかであったが、その威光は建国の父祖、武帝・曹操の時代とは比ぶべくもなかった。帝国の栄光には既に黄昏の影が濃く差し、実権は皇帝曹氏の華奢な手から滑り落ちて久しい。大将軍司馬昭を中心とする司馬一族が、まるで巨大な蜘蛛が巣を張るように、権力の網を帝国全土に張り巡らせ、その目は細かく、そして粘り強く、一度絡め取られた者は容易には逃れられなかった。
揚州都督、諸葛誕。字は公休。
その名は、かつて蜀漢の丞相として天下に知られた諸葛亮孔明と同じ「諸葛」の姓を冠していた。しかし彼自身は、琅邪諸葛氏の一族として、魏に仕えることを選んだ男であった。若き日には中央でその才能を嘱望され、夏侯玄ら当代きっての名士たちとも親交を結び、「四聡八達」の一人に数えられたこともある。その明晰な頭脳と清廉な人柄は、多くの人々の尊敬を集めた。
だが、その栄光も今は昔。苛烈な政争の荒波は、彼を中央の権力から遠ざけ、辺境とも言える揚州の地に赴任して既に長い年月が過ぎていた。寿春の都督府で彼が筆を走らせる時、窓の外には淮水の穏やかな流れと、広大な田園風景が広がっている。都督としての職務は多忙を極め、日中は兵の訓練の監督や、山積する報告書に目を通し、民からの陳情に耳を傾ける。しかし、彼の胸中を占めるのは、穏やかな隠居生活への憧憬などではなかった。むしろ夜ごと彼を苛むのは、過去の亡霊たちと、深く根差した司馬一族への拭いきれぬ不信であった。
脳裏には、司馬氏によって次々と葬り去られた者たちの顔が、冥府の川面に映る灯火のように揺らめきながら巡る。高貴な血筋を誇り、共に魏の将来を語り合った夏侯玄。彼の知性と高潔さは、諸葛誕にとって常に目標であった。清廉潔白をもって知られた李豊。そして皇帝の姻戚であった張緝。彼らは皆、司馬氏の権力掌握の過程で、あるいは反逆の汚名を着せられ、あるいは陰謀によって生命を絶たれた。諸葛誕は、彼らの無念の叫びを、今も耳の奥で聞く気がした。記憶に新しいのは、同じく司馬氏に反旗を翻し、壮絶な戦いの末に敗れ去った鎮東将軍毌丘倹と、その盟友であった文欽の姿だ。彼らの首は洛陽の市に晒され、一族はことごとく誅殺されたという。その報を聞いた夜、諸葛誕は一人、月明かりの下で盃を重ね、亡き友たちの名を呼びながら涙した。「玄よ、倹よ…お前たちの死を、決して無駄にはせぬぞ」と。
「次は、自分の番か」
冷たい予感は、寿春の蒸し暑い夏の夜気のように肌にまとわりつき、日に日に確信へと変わりつつあった。司馬昭が自分に対して抱いているであろう猜疑心を、痛いほど感じていた。それは単なる被害妄想ではない。政敵を葬り去ってきた司馬一族の冷酷な歴史が、それを証明している。かつて毌丘倹の乱に際して、彼は朝廷側として戦い、乱の鎮圧に貢献した。だが、それは司馬氏への忠誠心からではなかった。毌丘倹の行動があまりにも拙速であり、勝算がないと判断したからに過ぎない。司馬昭は、そのことを知っているはずだ。諸葛誕が、いつまでも従順な羊のままでいるはずがない、と。夜ごと、彼は亡き妻や遠く洛陽にいる子供たちの顔を思い浮かべ、このまま歴史の濁流に身を任せ、穏やかに隠居すべきではないかという誘惑と戦っていた。だが、鏡に映る己の目には、まだ諦観の色よりも、消えぬ怒りの残り火が燻っていた。
人は、自らの死を予感した時、二つの道を選ぶと言われる。
ある者は運命に身を委ね、流れ着く岸辺で静かにその時を待つ。
またある者は、最後まで抗い、例えそれが無駄な足掻きであったとしても、自らの意志を歴史の石碑に刻みつけようとする。
諸葛誕が選んだのは、言うまでもなく後者であった。だが、彼とて、その道がいばらの道であることは承知していた。彼一人の力で、巨大な司馬氏の権力という城壁に立ち向かえるものではない。彼が背負うものは、あまりにも重かった。
彼が必要としたのは、金銭や地位といった即物的な報酬のためではない。彼自身の掲げる理想――曹氏への恩義と、この国の歪みを正すという大義――そして何よりも、彼自身という人間そのもののために、命を賭して戦う者たちであった。
「そのような者たちが、この乱世に、果たして存在するのだろうか?」
夜、執務室で一人、揚州の複雑な河川網と点在する城砦が描かれた地図を睨みながら、諸葛誕は自問した。その一つ一つが、彼の責任範囲であり、そして彼を守るべき盾でもあった。しかし、真の盾となるのは、石や木で作られた城壁ではなく、人の心ではないのか。
「死士」
その二文字が脳裏に稲妻のように閃いた時、既に彼の心は定まっていたのかもしれない。それは、単なる兵士ではない。己の意志で死地に赴き、主君のために命を捨てることを厭わぬ者たち。そのような存在を、彼は自らの手で育て上げねばならぬ、と。それは、己の命をチップとする、最後の賭けであった。
彼が仕えるべきは曹氏であり、その曹氏の天下が、まさに目の前で簒奪されようとしている。かつて明帝が崩御される際、幼帝曹芳の後見を司馬懿と曹爽に託された。その遺言は、未だ彼の耳に生々しく残っている。しかし、曹爽は司馬懿の老獪な策謀の前に敗れ去り、一族もろとも処刑された。そして今、明帝の血を引くのかどうかさえ疑わしいと噂される若き皇帝曹髦が、司馬昭の傀儡として玉座に座っている。この状況を、曹魏の臣として、どうして座視できようか。夏侯玄と共に語り合った、公正なる治世への夢は、今や風前の灯火であった。
だが、感傷だけでは人は動かせぬ。ましてや、己の命を差し出させることなど、至難の業である。
諸葛誕は、人並み外れた武勇の持ち主ではなかった。若い頃には剣術の稽古もしたが、それは将としての嗜み程度のものであり、一騎当千の勇将とは程遠い。また、舌先三寸で人を籠絡するような弁舌の才にも恵まれてはいなかった。彼の言葉は、むしろ朴訥であり、飾り気がなかった。彼にあったのは、物事を深く見通す洞察力と、一度決めたことに対する執拗なまでの粘り強さ、そして、部下や民に対して示す細やかな配慮であった。
彼がいかにして『死士』と呼ばれる、己のために死ぬことを厭わぬ者たちを育て上げるに至ったのか。それは、彼の生き様そのものに答えがあるのかもしれない。
彼はまず、自らの財産を惜しげもなく放出し、人心を掌握することから始めた。寿春の城下に大きな粥廠を設け、飢えた民に食料を施し、困窮する者には金銭を与えた。それは、単なる慈善事業ではなかった。彼が求めたのは、感謝の念だけではない。魂の繋がりであり、共に戦う覚悟を共有できる者たちとの出会いであった。
ある日、彼の執務室を訪れた側近の一人、蒋班が心配そうに言った。
「殿、これほどまでに私財を投じては、いずれ底を突いてしまいます。それに、恩を受けたからといって、皆が殿のために命を賭けるとは限りませぬぞ。人の心は移ろいやすいものにございます」
蒋班は、古くから諸葛誕に仕え、その清廉さと実直さを誰よりも理解しているが故に、主君の身を案じていた。
諸葛誕は、窓の外に広がる揚州の豊かな田園風景――自分が守るべきもの――を見つめながら、静かに答えた。
「蒋班よ、金で買える忠誠は、金で裏切られる。私が求めているのは、そのようなものではない。それに、この財産とて、元はと言えば民からの租税、曹魏より賜った俸禄。天下の危機に際して、これを惜しむのは人の道に悖るというものだ」
彼の瞳の奥には、揺るぎない決意の色が浮かんでいた。
「私が求めているのは、共に同じ夢を見、同じ痛みを分かち合える者たちだ。そのためならば、財産など惜しくはない。そして、その者たちとならば、たとえどのような困難が待ち受けようとも、乗り越えられると信じている」
そして、その決意は、やがて揚州の地に、静かな、しかし確実な波紋を広げていくことになるのである。彼の心には、曹氏への恩義、亡き友への誓い、そしてこの国の未来への憂いが、深く、そして熱く刻まれていた。
運命の歯車は、かくして軋み始めた。その音は、まだ誰の耳にも届いていなかったが、それはやがて天下を揺るがす轟音へと変わっていくのであった。季節は、間もなく秋を迎えようとしていた。