行き違った
家に帰って絹子叔母に、理加も一緒に行くと言ったら、思いの外、喜んだ。
「理加さんと旅行するのは、久しぶりねえ。子育てとか、お仕事とかで、ずっと忙しかったものね」
そうだった。萌衣や康明を預けて働いていた理加は、仕事でしか旅行をしていない。
二人の子連れで旅行した先が、悉く心霊物件だなんて、世間にバレたら今なら虐待案件だろう。
留守がちな母親として穴埋めの気持ちもあった半面、連れ歩くことで能力の発現を期待していた節もある。
二人とも、生まれた時から、霊を見たり聞いたりする様子を全く見せなかったから、彼らに危険は及ばない、と判断してのことであった。
特に萌衣は、悪霊の影響を一切受け付けない。あれも一種の霊能力ではないか。
康明の能力も特殊で、平たく言えば、見たくない霊は見えない、というものである。萌衣もその手の能力の持ち主である可能性は高い。
尤も、彼らがそういう形で能力を使うことになった原因が、旅行先で心霊現象に遭いたくないから、と言うことも考えられる。
理加の恩師である竹野が、康明の能力に気付いた後、長い間、母親である理加にさえ明かさなかった訳も、そこにありそうだ。
それで、未だに康明は、自分に霊能力がないと思っている。
子供に霊能力がない、と見切りをつけた理加は、ますます仕事に打ち込むようになった。
長年の懸案が解決したこともあって、余裕が見られるようになったのは、ごく最近のことである。
今回のお出かけも、日帰りで、絹子叔母の付き添いが目的だ。理加にとっては、仕事みたいなものだ。
習慣もあって、そういう理由をつけないと、旅行にも行けないのかもしれない。
仕事であろうが、理加と絹子叔母と俺がお出かけすることには変わりない。
絹子叔母も、楽しみにしている。
せめて、箱根の良い思い出作りに協力しよう。
当日、俺は理加と絹子叔母を乗せ、魔の首都高を無事乗り切り、高速を使って箱根へ向かった。
ついこの間、その先の熱海に出かけた記憶のおかげで、滞りなくルートを辿ることができた。
目的地が近付くにつれ、車が増えていくのがわかった。降りる予定の遥か手前から、何やら並んでいる。
ここを見落として通り過ぎたら、首都高の悪夢再びである。多分、次に降りられるのは、隣の県である。
そして嫌な予感通り、高速出口から車列が続いていた。
晴れた日が続いた末の連休で、行楽日和なのだ。紅葉どころかまだ夏の日差しである。
夏休みが終わったところで、混雑を避け、ゆっくり観光したい向きが集まり、そして新たな混雑を作り出していた。
「訪問の時間は、決めていないんだよね?」
後部座席の絹子叔母に、念を押す。余裕を見て出発したが、さらに思っていたよりも遅い到着になりそうだ。
「そう。いつでも大丈夫って、書いてあったわ。あれからまた電話してみたけど、やっぱり繋がらないのよね」
車窓から山間の景色を眺めつつ、絹子叔母が返す。
「帰りに干物を買って行こうかな。あの店、この通りじゃないんだ。変わった柱、見かけなかったよね?」
理加がスマホで何やら検索しながら言う。干物と聞いて、俺の唾が勝手に喉へ飛び込む。
二時間近く運転を続けて、小腹が空いた。
「小田原は、干物がわりと有名よね」
「オダワラ?」
途中の標識で見たな。
「この辺がそうだよ。前に、依頼を受けた気もするなあ。何だったっけ?」
「覚えていない」
その時はきっと、電車で来たのだろう。車は山道へ差し掛かる。別荘地あるあるだ。
理加に個人的な繋がりで心霊現象の相談を持ちかける人は、別荘持ちが多い。
住所を聞くと、バスや電車の路線から離れた場所にある。そこで車で行くのだが、行ってみると、かなりの確率で人里離れた山の中である。
都会の喧騒から逃れて、自然を満喫したい、ということなんだろう。猫時代に近所で木登りを堪能できた俺にも、気持ちはわからないでもない。
ただ、そこへ至るまでの道のりは面倒である。
俺はスタッドレスタイヤを持っていない。道が凍ったら、車は封印する。都内は、それで済む。
別荘地は、そうもいかない。タクシーでもお迎えでも、車がないと、身動きが取れない。
箱根の山は天下の何ちゃら、と歌にあった。テレビ中継で、駅伝を見たこともある。
道狭っ。坂急っ。しかも混雑。
人が走るならともかく、車で行き来するには、幅が狭い。日光なんかも大分ヤバかったが、あれより狭いのでは。
「叔母さん、車酔いとか大丈夫?」
一応声をかけてみる。車内があんまり静かだったのだ。
久々に同じ車に乗って、数時間を過ごすのだ。さぞかし積もる話もあるかと思いきや、理加も絹子叔母もあんまり喋らなかった。
旦那の成瀬や、萌衣と康明の近況、互いの身の回りのことを一通り教え合い、これから向かう箱根についてさらっと予習すると、もう話題は尽きた。
最近の理加と康明は桜ヶ池問題にかかりきりだった。話せることも限られる。
心霊現象は表向き爆破予告にすり替わり、それもフェイクだから広めてくれるな、とのお達しである。絹子叔母も興味ないと思うけど。
よく考えたら、二人とも無駄なお喋りをするタイプでもなかった。
それにしても静かなので、ルームミラーをチラチラと見て確認すると、理加も絹子叔母も寝ているようだった。もうすぐ着くのに。
ラジオをつける訳にもいかず、前の車について走らせるうちに、広い川向こうに大きな建物が見えてきた。垂れ幕がかかっている。ホテルか何かだろうか。反対側は鉄道で、道の先には、小さい建物がずらりと連なるのが見えた。
「あ、着いた」
理加が目を覚ました。
「もうちょっと先」
こんな商店街に別荘を構えたら、うるさくてかなわない。
両側の歩道に、行き交う人の流れができていた。そこをあっさり通り抜け、人気が途切れた後も、さらに奥へ進んで山へ入った先に、普通の住宅地とも見える場所があった。
車のナビで確認しながら、細い山道を進む。道は狭いが、それぞれの敷地には余裕があって、必ず駐車場がついていた。
それはそうだろう。車なしでは、飢え死にしかねない。
目的地は、平屋建ての庭付き一戸建てだった。ここにも駐車場がある。空だった。
「留守なんじゃない?」
「とりあえず行ってみよう。叔母さん、起きて」
理加が絹子叔母を起こす。
ちょっと悩んだが、人気がなくとも路上駐車は躊躇われて、駐車場を使わせてもらった。
「まあ。空気が美味しいわ」
車から降りた絹子叔母が、軽く伸びをして深呼吸した。車内に数時間閉じ込められていたのだ。俺も伸びをした。理加が、家を見て表情を曇らせる。
「ううむ?」
俺も家を見て、あれ、と思った。
何だろう。何かの気配がすごくするのだけれど、正体が掴めない感じ。
とにかく玄関まで進み、ボタンをおす。
防音なのか、音が鳴った手応えがない。更に数度押す。誰も出てこない。
「理斗。何か‥‥」
「あ、うん。どうしようか」
理加も、不穏な気配を感じている。俺たちの間では、絹子叔母が不安な顔つきをする。こちらも、どうにかせねばなるまい。
「とりあえず」
「そちらは今、誰もいませんよ」
大声で呼びかけられて、俺は飛び上がるほど驚いた。
見ると、敷地の外から、小柄な婆さんが、こちらをじっと見据えていた。不審者の扱いである。
理加が俺に絹子叔母を預けると、小走りに近寄りながら大声で返す。
「あの、私たち、こちらの庵桐知里子さんを訪ねてきたんですけど」
婆さんは、理加の勢いに逃げかけ、声を聞いてその場に踏み止まった。家には表札がなく、地番表示だけである。具体的に名前を出したのが、良かったのだろう。
「庵桐さんの奥さん?」
婆さんは止まってはくれたものの、相変わらず不審な目つきだった。俺は、絹子叔母を促して、婆さんの方へ歩かせた。できれば家から離れたい感じがした。
「そうなんです。叔母が、昔お花を教えていて」
「ああ。確かに華道をなさっていたねえ。公民館で、講座を開いてくれたことも、あったわあ」
ようやく不審者扱いから抜け出せたようだ。
「でも、ここ数年見かけないよ。病気で入院したって言うのは聞いたから、そのまま息子さんのところへでも行ったのかしらね。一言教えてくれたっていいのに、息子さんも時々来たって、さっさと帰っちゃうから聞けやしない」
「では、今も闘病中かもしれないのですね」
ここで追いついた絹子叔母が、しんみりと言う。婆さんは、ハッとした様子で、
「連絡したくとも、できないのかもねえ」
と評価を改めた。世代の近い絹子叔母の言葉だから、身に染みたのかもしれない。
家の気配は気になるが、近隣住民らしい婆さんの不審が晴れたところで、退散する流れになった。
揃って車に乗り、駐車場から動き出すまで見守る婆さんに、軽く頭を下げ、元来た道を戻る。
「せっかく来たから、箱根湯本でお昼食べて行こうか」
理加が言う。絹子叔母を気遣っているのもあるが、昼時でもあった。
「そうね」
言葉少なに、絹子叔母が答える。日付指定までされて呼ばれたのに、留守だったことがショックだったのだ。電話も通じないし。
絹子叔母よりは若くとも、お弟子も高齢だろう。急な体調変化もあり得る。
やはり手紙だけのやり取りで、人と会う約束などするものではない。突発的な事態に対応できない。
俺も色々気になるが、今はそれどころではなかった。
駐車場を探さねばならない。土地勘もないのに、運転しながら探すのは、無謀である。
そもそも道中、全くそれらしい場所を見かけなかった。裏通りへ入る道も細く、間違ったら物理的に詰みそうだ。
理加に頼んで検索してもらい、少々遠いが、何とか空いた駐車場へ入れることができた。
そこから歩いて、駅前の通りまで戻った。




