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あたしじゃないもん


 都内某所の某ホテルの一室。小柄な少女と長身の男性は同じ部屋で気まずい時間を過ごしている。


「なんで一室しか空いてないのよ! こんなムサいおっさんとおんなじ部屋なんていやなんですけど!」


 少女の甲高い声は何時にも増して高音に磨きがかかっている。一方男性はというと、窓際の椅子に座り、ワインを片手に頭を垂れている。


「いい加減諦めろ。部屋が空いてないんだから仕方がないだろ。俺だってお前みたいな小うるさいガキと同じ部屋で寝るなんて本当は嫌なんだ」


 今日はこの辺りでなにかイベントでも開催されるらしく、都内のホテルはどこもかしこも満室で、やっとのことで予約を取れたのがこの一室だけだったというわけだ。


「お、同じ部屋で寝る! ~ってなんか言い方がいやらしいんですけど~! ちょ、ちょっとやめてよね! あたしそんな気更々ないからねっ!」


 うら若き少女の妄想の一旦を垣間見て、男は項垂れていた頭がさらに下へ下がる。

はぁ、こんなことならマンガ喫茶かなにかに一人で行けばよかったか……


「あ、そういやさ、さっきミネルヴァから電話があってさ、昨日の夜に港の貸し倉庫でイリア共和国の傭兵チームと使徒がなんかドンパチやらかしたらしいって連絡があってさ。イリアくんだりから態々(わざわざ)ご苦労なこったよね~。あいつ相手にしていくら傭兵だからって無事でいられるわけないっつーの」


 こいつ敬語完全に忘れているな、と思ったが、ふと気になる単語を耳にした。


「おい、ラヴァ今使徒って言ってたか? なんなんだそれは」


「あ? あんたそんなことも知んないの? そりゃあんた“ミリア”の使徒よ。ほんとなんにも知らないわね。酒とタバコばっかやってないでチョコ食べなさい! 頭よくなるんだから!」


 またわけのわからん単語が……

 ここ数年は特に戸惑うこともなく業務を遂行してきたが、こんなに頭にクエスチョンマークがつくのは久方ぶりだ。

 だが大抵こいつに、それはなんだと質問したところで、質問の返答はいつも要領を得ん。こいつは基本的にバカだ。頭の中では分かっていても言葉にするのが苦手らしい。


 まあいい。今回の案件が終了して本国に帰ってからミネルヴァか誰かに聞けばいい。


「あ~、マジ暇~。てか今日はどこもかしこも、えらく混んでるわね~。なんかイベントやってんだっけ~? あーあ、あたしもこんなムサいおっさんと部屋で二人きりになるくらいだったらイベント会場でも観に行けばよかったな~」


 それはこちらのセリフだ。そう声に出かかったが、俺は大人だ。売られたケンカは買わなければ始まらない。俺は我慢した、拳をギュッと握りしめて。


「はぁ、ねぇ、なんか甘いもの買ってきてよ。チョコとかケーキとか。なんかここの近くに有名なケーキ屋さんがあるらしいから、ちょっと並んできてくんない? それかさ~、ルームサービスで甘いもん頼んでくれてもいいからさ~」


 俺はこいつの戯言を無視した。というかそんなにほしいなら自分で行って買ってこい! そしてここは格安のシティホテルだ。ルームサービスなどない。俺はさらに拳を握りしめた。


 その時――


 ――ピーンポーン


「おっ! あんたもうすでにルームサービス頼んでてくれたの!? やるじゃん! ラヴァポイントが1あがったわよ!」


 なんだ、その謎のポイントは。そんなのもらってもうれしくないわ。

 だが、誰だ? 当然俺はルームサービスなんて頼んでないぞ。ホテルで突然インターホンを鳴らしてくるなんてことあるか?

 おい! ラヴァ待て!、そう言おうとしたが、ラヴァはすでにドアの前まで走って行っていた。


「あれ? ドアの前に誰もいないんですけど! ピンポンなったよね? あんたも聞いたでしょ? おっかしいな~」


 そう言ってラヴァがこちらを振り向く。こちらを見るラヴァの顔は青ざめていた。


「やあ、ごきげんよう。久しぶりだね、ラヴァ」


 突然の第三者の一声。それも聞こえた先は、窓際に座るキースの真後ろ。ここはホテルの13階だ。


「え、え、な、何者だ? い、いや、どうやってそこに、いや、いつから居たんだ。ここは13階だぞ!」


 混乱する。ありえない光景。だがあり得ない光栄は今まで何度も見てきた。瞬時に常識をアップデートする。


「あぁ、君は初めましてかな? キース・フィッツジェラルド君。私は徳倉メル。しがないただの医者さ。今日はそちらのお嬢さんに用があってきた。君はそこで座っているといい」


 そう言われてガタガタ震えだすラヴァ。首を左右に振り、あたしじゃない、あたしじゃないと連呼している。


「2年前の越境体顕現の時はどうも。あれからお変わりないかね? ラヴァ」


 冷たい微笑を湛えてメルはラヴァに問う。顔は笑っているが、どう見てもそれは社交辞令だ。2年前にラヴァがなにかやらかしたのか、奴なら十分あり得る。


「い、いや、ちょっと待ってよ! メフィスト!! あんときのはあたしのせいじゃないって!! あれは観測器からああしろって指示があったから仕方なくやっただけなの! あたしが独断でやったんじゃない! だからあたしは悪くない!!」


 メフィスト? この男はメルという名前ではなかったのか?


「おい、その名前は捨てた。今はメルだ。いいか、次呼んだら――」



 ――殺すぞ



 先程までの冷ややかな笑みとはまったく違う、なんの表情もない、蟻を踏み潰すように、人も躊躇なく殺してしまえるような…… 完全な無機質。

 さらにガタガタ震えだすラヴァ、それを見て、居ても立っても居られなくなり助け船を出す。


「すみません、ミスターメル。あの、私は2年前の、そのあなたの言う越境体顕現の時、アリカシエラへ帰国していてその場にいなかったのですが、ラヴァとなにがあったのですか?」


「あぁ、君はあの時たしか当時流行していた伝染病にかかって療養していたんだっけね」


 そう、あの当時アリカシエラではある伝染病が大流行していた。この国にも感染は広がったが、パンデミックといえるほどの大流行にはならなかった。

 だがアリカシエラでは全人口の7割程度が感染するという深刻な事態に陥っていたのだ。

 最初の感染者となった少女イリアの名前から取って「イリアシンドローム」と名付けられた。


「いやぁ、無事完治してよかったよかった。そうか、君は2年前のことをなにも知らないのだね。よし。2年前にこいつが私にした屈辱的な出来事を君にも教えてやろう」



    ◇



「2年前私は某県某市のとある田舎町に助手を連れて訪れていた。そこは風光明媚な山里で、空気はとても澄んでいて水は清らか、木々が青々と生い茂る、まさに地上の楽園のようなところだった。ものすごく巨大な神木もあったな。そしてなんと! そこには天然温泉もあったのだ。その温泉は水質も素晴らしく、湯船に一度浸かるだけで肌はもうツルツル、本当に最高の温泉だった。まぁ、しいて難点を言えば宿泊した施設の洗面所で顔を洗おうと思ったら蛇口から出てくる水も温泉だったということかな。あれには参った。もちろん素晴らしいのは景色と温泉だけではない! 君は天然の山女魚を食べたことはあるか? あれはうまいぞ。養殖もそれなりにうまいのだが、やはり天然ものは違う! 格別だ。君も機会があれば是非食べてみるといい――」


「あの、ミスターメル、話が見えないのですが、これは一体なんの話をしているんでしょうか?」


「ん? あぁ、本題を話す前には前提を話すのが筋だろう。まぁ若干話は逸れたが…… とまあ私たちは風光明媚な田舎町に来ていた…… 越境体顕現に合わせてな」


 この男も越境体が表れる位置を把握しているのか。それも観測器を使わずに。


「あぁ、君の憶測ははずれだ。私も観測器を利用して位置を特定している。観測器は君たちだけのものではないのだよ。まぁ観測部、だったか、君たちの上層部と私とはいわゆる共闘関係のようなものなわけだ」


 5年前のマリアへの接見でマリアが関係各所がどうとか、と言っていたのはこの男のことだったのだろうか。


「観測部と私は様々な利害関係で持ちつ持たれつでやってきた。それをこいつはあろうことか前回の越境体顕現の際、私を裏切ったのだ!」


「だ~か~ら~! あたしがやったんじゃないって! あん時の当番はリリィだったの! あの子があんなことするなんて思ってなかったの!」


「ふん! 他人のせいにしたってごまかされんぞ! そのおかげで私は貴重な人形を失ったのだ! しかも2体もだ!」


 わからんことだらけだ。会話についていけん。まぁいい。観測器の当番というのもいまだによくわからんしな。


 俺はここでも傍観者か……


 ――俺はどこにいようが傍観者のままだ。なす術もなくただ見ていることしかできない。


「聞いて! リリィもなんであんなことしたのかよく覚えてないって言うの! ただ~、越境体顕現直前に、休憩中に街に出た時に~、なんか変な女に声掛けられたって言ってたけど」


「あ? それがどうした?」


「そいつになんか言われてからなんかよく覚えてないって……」


「ふむ、そいつ名前は名乗ってなかったのか?」


 たしか――――



 アナフェマって――



 その言葉を聞いた瞬間メルは目をつぶり、腕を組み、内燃機関に火を入れたかのように細かく体が震えだす。次第に顔になんとも形容し難い笑みがこぼれる。



「くそっ! あの女か! あぁ、辻褄が合った! くそ忌々しい妹弟子め!! いつもいつも嫌がらせしやがって!!!」


 突然大声で叫ぶメルにラヴァは驚いて尻餅をついた。


「まぁいい。真相は分かった。やつがやりそうなことだ。2年前の越境体はまだ例の製薬会社の御曹司のところにいるのか?」


 尻餅から起き上がり、しゃがんだままのラヴァが質問に答える。


「う、うん、そうなんじゃない? ほんとはあんたが回収する予定だったんだもんね。ま、まぁ、あたしが悪いわけじゃないんだけど……」


 悪びれない様子のラヴァ。それを聞いて再度メルの怒りに火が付く。


「お前の意思でなくてもやったのはお前だろうが! 少しは反省しろ!」


 しょんぼりするラヴァ。

 しかしラヴァの意思でないにせよ実行はラヴァがやった…… 越境体をこのメルという男から奪取して、この男の、人形、がなんなのかはわからんがそれを2体壊した。

 このポンコツにそんな芸当できるとは到底思えんが……


「はぁ、いいか。今度は邪魔するなよ。そしてもしあいつが来ても絶対に相手にするな。確実にややこしいことになる。わかったな!」


 うんうんと頷くラヴァ。メルはテーブルに置きっぱなしになっていた俺の飲みかけのワインを手に取り、飲み干していく。


「あぁ、飲まずにはやってられん! 誉君! もういい! 入ってこい!」


 そういうと扉の外で待機していたのか、セミロングの髪型、黒いスーツを着た美しい女性がひとり部屋に入ってきた。


「先生。お疲れさまでした。物騒なことにならなくて内心ホッとしております。ラヴァ、お元気でしたか?」


「あ~! ほーちゃん! 相変わらずか~いいね~! チョコ食べる~?」


 ラヴァと誉と呼ばれた女性は顔なじみのようだ。二人はしばし談笑に耽っていた。


「誉君! どこかで飲んで帰るぞ! ラヴァ! いいか! 邪魔するなよ!」


 そう言ってメルと誉は扉のほうへ歩いていく。そして振り返り彼はキースの顔をまじまじと見て真剣なまなざしでこう告げた。


「キース君晩酌中お邪魔した。ひとついいかな? これは忠告というか、助言だが…… 」



 ――死相がでているぞ。気を付け給え。



 その言葉を残し彼らは部屋を後にした。


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