BMP Inc.
私の名前はキース・フィッツジェラルド、今年で数えで33歳だ。ここに来てもう8年になる。この国へは仕事でやってきた。
この国に来た直後は本国とは全く異なる生活様式や食べ物、国民性や国内の情勢の違いに戸惑ったが、8年経った今では自分で言うのもなんだかすっかりこの環境に順応している。
――――ブルームーンプロジェクト(以下BMP Inc.)
私が所属する企業名だ。誰もが知っているであろう、世界最大のネット通販サイトや巨大物流センターを多数運営する多角的企業だ。
8年前本国の統括部からこの国のエリアマネージャの職に任命されこの地にやってきた。
それからの数年間は地獄だった。国内西から東へ、忙しなく、休みなく飛び回る日々。
日々の業務に忙殺されそうになりながらもなんとか業務をこなしていた。あの頃の俺はゼンマイ仕掛けのロボットのようだった。朝ゼンマイを巻かれて働いてゼンマイが切れたら寝る、目が覚めるとまたゼンマイは巻かれる……もう限界だった。
――そんな時だった。
今から5年前、俺は本国の統括部に呼び出された。真っ白でなにもない部屋。そこには二人の女性が椅子に座っていた。妙齢の女性と老齢の女性。
仕事ではなんのミスもしていないはず、すべてうまくやってきたという自負はあった。だがまぁこの国では突然呼び出されてクビなんてことは珍しくもない話だ。
ふん、まぁいい。数年間働かずに暮らすくらいの蓄えはある。どこか違う国へ行ってしばらくはのんびりするか……などと思案に耽る。だが総括部から告げられたのは予想外の言葉だった。
――――観測部への配置転換
始めて聞く名の部署名だった。観測部? そんな部署聞いたこともない。そもそもなにをする部署なんだ。観測? 天体観測でもするのか? 思考が頭の中でグルグルと回転する。
「なに、簡単なことです。我々が指示する場所へ赴き、我々が指定した対象を観測するだけですよ。何も難しいことはありません」
老齢の女性が言った。
体のいい追い出しか? 閑職に追い込んで辞めさせる? わざわざそんな回りくどいやり方をせずともクビを宣告すればいいだけの話だ。話が見えん。
怪訝さが顔にでていたのか、あまり感情が表情にでるタイプではないのだが……
老齢の女性はにこやかな微笑みを湛えながらこう続けた。
「怪しまれるのも無理はありません。あまりにも荒唐無稽な話でしたか? では詳しくお話しましょうか。観測部というのは――」
――――ここからは私が
老齢の女性の言葉を遮り、もう一人の女性が語りだす。
歳はいくほどだろうか。まだ十代中ごろといったところか。大人びてはいるが、まだまだあどけなさは拭えない。この年で大企業の重役か、なにものなんだ。
「こんな年端もいかない少女がなぜ? といったお顔をしてらっしゃいますね」
まただ。今度こそ顔にはでていなかったはず。いや、まぁそう思うのが普通といえば普通か。当てずっぽうで言ったのか、そもそも年齢のことをよく言われるのか。
「いえ、そんなことは決して。で、話を進めていただいてもよろしいですか?」
「えぇ、たぶんあなたはここで私がなにを言っても信じてはいただけないでしょう。ですのでちょっとした遊びを考えてみました」
遊び? なにを言っている?
「ここに一枚の紙があります。これをあなたにお渡ししますので、今から言う言葉を書いて大事に取っておいてください。そして三日後に、またここへお越しください」
「――それ、だけですか?」
「えぇ、よろしいでしょうか?」
私は頷くと女性から一枚の紙を受け取った。なんの変哲もない紙。ルーズリーフから少しだけ切り取っただけのどこにでもある紙だ。私はその紙に彼女に言われた文字を書いてその場を後にした。
◇
――紙を受けとってから一日目
久々の休日らしい休日だ。エリアマネージャーの引継ぎはすでに済んで、特にやることもない。こんな日は久しぶりだ。昨日まで仕事に忙殺されすぎて、休みになにをしたらいいのかわからない。とりあえずカフェでも行って朝食でもとるか。
朝食をとったあと、気になっていた映画を観に行くことにした。映画なんて何年ぶりだろう。昔は好きなジャンルの映画があると必ず観に行っていたのに……
なにを観ていいのか決められずに子どものころに見た映画のリバイバル上映を観てしまった。やはり名作は何度観てもいい。
仕事をしだしてから昼食をとる習慣がなかったので、昼食はとらなかった。慣れないことをして体調を崩しても仕様がないしな。
ワインと晩に食うステーキ肉を購入して家に帰る。帰宅して時計を見た。まだ15時だ。こんな時間に家にいるのは何年ぶりだろう。なんだか悪いことをしているようでバツが悪い。
辺りはまだ5月なのもあって明るいが、することもないので、早々にワインを開ける。早すぎる晩酌に、20時には眠りについてしまった。せっかくの休日にもったいないことをした。
◇
――紙を受け取ってから二日目
昨日早く寝すぎたせいか、朝4時に目が覚めた。それでもこんなによく寝たのは本当にいつぶりだろう。多分学生の時以来だろう。目覚めもよく、ハムエッグを作り、早すぎる朝食をとる。
そうだな、今日は買い物にでも行くとするか。この辺りだとS区の再開発地区が一番賑わっている。新しいジャケットでも買うとするか。
仕事で着るスーツ以外の服を買うのも久しぶりだ。スーツの流行は当然チェックしているが、普段着の流行は全くわからない。まぁ店員に見繕ってもらえば問題ないか。
時計を見る。まだ8時30分だ。少し早いが出掛けるとするか。玄関で靴を履き、スカーフを胸ポケットに仕舞う。もう一度携帯電話で時間を確認しようと画面を開いたとき……
――プルルルッ プルルルッ
――番号非通知
非通知番号の着信は普段取らないようにしていたが、なぜかその日は何も考えずに通話ボタンを押していた。
「もしもし、キースさんですか? わかりますか?」
「――観測部、ですか?」
「えぇ、そのとおりです。よかったですわ。電話にでてくださって。実はキースさんにお願いがあってお電話いたしました。もしかして今からお出かけでしたか?」
――!!
「どこかに監視カメラか盗聴器でも仕掛けてあるのか」
「いえいえ、そんな物騒なものは仕掛けてはいませんよ。ただなんとなくそうなのかな、と思いまして。あぁ、本題をお伝えしますね。キースさん、出掛けるのを2時間遅らせてはいただけませんか?」
なにを言っているんだ? 意味が分からん。俺のためのサプライズパーティでも開く準備か? 2時間遅らせるのになんの意味がある? なんなんだ、なにかのテストなのか?
この二日間の俺の行動でなにかのテストをしていたのか、それくらいしか思いつかない。仕方ない、ここは電話の向こうの女性の提案に乗ってやろう。
「わかりました。2時間後に外出します」
「よかった! キースさんなら言う通りにしてくれると思っていました。あ! それとお渡しした紙はお持ちですよね? 出掛ける前にもう一度書いた内容を見ておいてください」
ん? 紙? あぁ、すっかり存在を忘れていた。受け取った時に財布に入れてそのままだった。
「わかりました。出掛ける前に再度確認します」
ありがとうございます、それではまた。と女性が告げ通話が終了した。
ふん、まぁいい。こうなったら言う通りにしてやろう。クロスワードパズルでもやって時間を潰すか。こうなったらきっちり2時間計ってやる。
2時間ジャストで玄関の扉を開け外に出る。そういえば紙を見ろとか言ってたな。これになんの意味があるかはわからんが、言う通りにしておこう。この行動も見られているかもしれん。全ての行動が評価対象なのだろう。
紙に書かれた文字を見る。これになんの意味があるというのだ。
時刻は午前10時40分。S区再開発地区はもう目と鼻の先だ。俺は一服でもするか、と近くにあった高台の公園でタバコに火をつけ、ブティックで買う服のことと、たまには昼食でもとってみるか、なんてことを考えていた。
「あんたがキース?」
一人の少女が立っていた。
なんだこのガキは。燃え滾るような赤色の髪、小柄な体格。迷子かなにかか。だが今俺の名前を呼んだ気がする。
「お嬢さん今私の名前を呼んだかい?」
「ラヴァよ、ラヴァ。あんたが今度の相方か~ な~んかつまんなさそうな男ね~」
質問に答えろ、と言おうとしたが、相方? なんの話だ。こいつが次の部署……観測部の俺のパートナーってことなのか? なるほど、こいつに会わせるために統括部の女は二時間遅れていけと言ったのか。
「あー、ミスラヴァでよかったかな? えー、私はキース・フィッツジェラルドだ。君がこれから観測部、だったか、そこで共に働く同僚ということでいいのかな?」
「あ~、そんなことよりもうすぐ始まるわ。ここまで被害がくることはないと思うけど、一応警戒しときなさいよ」
始まる? 被害? 警戒? 何を言っている?
――と、思ったその瞬間それは始まった
――――ドッ、ドッ、ドッ、ドッドッ――バキッ、バキッ――、ザ、ザ、ザザァァァァァ――ー!!!!!!!!
な、なんだ、地震かっ! 揺れがかなり強いぞ! くそっ、立っていられん。いや、とりあえず頭を守らんと。周りには特に倒壊しそうなものはないか。とりあえずしゃがむ――
突然の縦揺れに思考が一瞬停止する。だが、すぐさま最善手を考え、しゃがみ込み持っていたカバンで頭を覆った。
「おい! ミスラヴァ! 大丈夫か? お前もこっちに来てしゃがめ! 倒壊するようなものはないが、どこからなにが飛んでくるかわからんぞ!」
赤髪のラヴァという少女に忠告したが、聞こえていないのか、それとも聞く耳を持たないのか、両手を腰に当てて仁王立ちしている。
「こんなのすぐに収まるわよ。いい? 終わってからが本番なんだから」
なんでそんなことがわかる? それに、なんだ本番って? 理解が追い付かない。そうこうしている内に揺れが収まってきた。体感にして1分程度だったろうか。
ふっー、ようやく収まったか。まるで見ていた悪夢が夢だったと気づくように、安堵の表情を浮かべていたその時――
「――――リライトマギアが始まる」
彼女がそう言うと、先ほどまでの轟音が嘘のように収まり、代わりに無数に立ち並ぶ高層ビル群が中心から外側に向かって、まるで膝を抱えて屈まるかのように、消えていく。
「なんだ、なにが起きているんだ、おい、ラヴァ、答えろ!」
「うっさいわね、私も直接見るのは初めてなんだからあんま大きい声ださないでよ! あ、あとあんた、もうすぐすんごい光がバーンってなるから、目~背けときなさいよ」
――なにを言って、と口に出しかけたと同時に紫銀末によく似た色の光がほんの一瞬、ほんの一瞬だけ辺りを照らした。目を背けていてもなにか得体のしれない感覚が肌でわかる。
「――――さ、終わったわよ」
ラヴァはそういうと肩に掛けていたポシェットから携帯電話を取り出す。
しかし……今俺がいる公園は被災地から少し離れた高台にある。ここから被災地を見渡すと、再開発地区のあった場所に大きな穴が空いているのがよく見える。
いったいどれだけの被災者がでたのだろう。建物の被害も甚大のはず。
いや、待て。あそこ一帯は大規模な再開発中でほとんどの会社や店舗は他の場所に移転していたはず。ある程度の被災者はでただろうが、こう言ってはなんだが不幸中の幸いだっとというべきか……
「あ~、もしもし、マリア? あたし、ラヴァ。うん、終わったわよ。観測完了。あ~、そんでさ~、一応聞いときたいんだけど――」
観測部の上司に報告でもしているのか、だが口ぶりからすると同僚か。いや、わからんな。見るからに常識を知らなさそうなガキだからな。
「――ほんとに大丈夫なの? このおっさん。前のやつみたいになったら嫌なんだけど。えっ、おっさんに代わるの?ちょっと待ってて――」
ほい、と投げるように携帯電話を渡される。どうやら電話の主が俺に話があるようだ。
「はい、お電話代わりました。えぇと、ミス……」
「マリアでけっこうですよ。この前お会いしましたね。覚えてらっしゃいますか?」
あぁ、あの白い部屋で会った妙齢の女性……やはりこのラヴァとかいうガキ、上司に向かってタメ口を聞いていたのか。まったく信じられんな。
「えぇ、もちろん覚えております。それで――――」
会話を遮るようにマリアはとても優しい、小鳥が彼女の周りで羽を休めそうな、心地いい落ち着いた口調で語りだした。
「キースさん、ここから先はあなたの判断にお任せします。このまま観測部で隣にいるラヴァと業務を継続する意思がお有りでしたら、先日差し上げた紙をご覧になってください。もし私たちを薄気味悪い、胡散臭い、仕事を辞めて他の国でしばらく羽を伸ばしたいとお思いでしたら紙は破り捨てていただいて構いません。全てキースさん、あなたにお任せします」
しばし躊躇する。もちろん電話にいるマリアという女も、隣にいるラヴァとかいうクソガキもどちらも胡散臭い、薄気味悪い。
だが、ここまでしておいて今更全てを投げ出すのは――――
「えぇ、覚悟はできていますよ。これからは観測部の一員としてBMPのお役にこれまで以上に立てるよう粉骨砕身で業務に邁進して参ります。よろしくお願いいたします、ミスマリア」
「それはよかった。ではあとのことは隣にいるラヴァにお願いしてありますので、ラヴァの支持に従ってくださいね。それとマリアで結構ですよ。あっ、最後にラヴァにもう一度お電話代わっていただいてもよろしいかしら?」
――えぇ、もちろん、とラヴァに電話を渡す。
「な~に?」
「いい? ラヴァ。隣にいるキースさんは――あなたより年上ですよ。言葉遣い、気をつけなさいよ。ではまた近々会いましょう。では」
ハッ! とした顔でラヴァがこちらを見ている。そしてなぜかモジモジと申し訳なさそうな顔をしている。なんなんだ、わけがわからん。
「ごめん、いや、ごめんなさい。年上って知らなくてさ~、あ、知らなかったです、はい」
なにを言っている?
「なんで、これからはキースせんぱいって呼ぶです。ごめんなさい、あたしさ~、敬語、だっけ? 慣れてないからさ~、いやないので」
あ~、俺が年上だから敬語を使おうとしているのか。別に向こうのほうがこの部署では先輩なのだから別にタメ口でも問題ないのだが。まぁ向こうがそういうならあえてなにも言わないでおこう。
「あ~、そんでキース先輩。覚悟、オッケーなんすよね?ならもうあたしはこれ以上はなんにも言わないっす。紙、見ちゃってもいいですよ。」
そう言われて俺は財布からマリアから受け取った紙を取り出す。その紙を開く間際にラヴァがつぶやいた。
「紙見る前にちょっと聞いていい? キース先輩ってどこから来たのか覚えてる?」
質問の意図がわからない。だがもう深く考えるのは止そう。
――アリカシエラ北部連邦国だ。
アリカシエラ北部連邦国、25の自治区からなる連邦国家だ。広大で肥沃な土地と最先端産業技術、数々の観光資源、高レベルの人材、そして酒井最大級の軍需産業を持つ自他ともに認める超大国だ。
――――ふーん、そう……
わからん、質問の意図がわからん。こんな子どもでも知っているようなことを聞いてどうする。だが……
だがなんだこの違和感は。突然の頭痛、万力で頭を締め付けられるような鈍い痛み。そして朝に食べたハムエッグが逆流してきそうな猛烈な吐気。
――いいよ、見ても。
唾を飲み込む。ええい儘よ。
――――アメリカ
「あ~、USAって書くとなんの略だかわかんないかもしれないからってカタカナで書かせたみたいよ。せんぱいこの国の言語も堪能なんでしょ?」
アメリカ……
なんだ、アメリカなんて単語あったか? 人の名前か? なんだ? でも、どこかで聞いたことがあるような……手の届きそうなところに答えがあるのにどうしても、あと一歩届かない……
知っている、たしかに俺はこの言葉を知っている。だが考えれば考えるほどに頭の痛みは強くなって、意識は朦朧としていく……
「やっぱダメか~、前のやつとおんなじだね~。せんぱ~い、自分の国の名前も忘れちゃったの~?」
――――――!!
霧が晴れた。
そうだ。俺の生まれた国。USAだ。なぜ、なぜ忘れていた。いや、記憶が混同する。俺の出身国はアリカシエラだという俺とアメリカだという俺。
――――――うおぉおぉぉぉぉおおおおおお!!!!!!!!――――――
「あ、やべ、バグってる。え~っと、こういう時はどーすんだっけ? そうだ!」
――ぱしーん!!!
「おらっ、おらっ、しっかりしろせんぱい! 受け入れろ。たいしたことじゃない。なっちまったもんはしょうがないんすよ! おらっ!!」
容赦なく降り注がれる少女の平手打ち。俺の両頬はみるみるうちに腫れあがり、奥歯が一本ぐらついている。
――わか、わかっ、分かったからちょっ、ちょっとま、待て、ぐうぉ、ぐえっ、ぶっ……
「目を覚ませ! せんぱい。負けるな! あたしのパートナーになりたいんだろ! こんな可愛いあたしを愛でたいんだろ! 愛でさせてやるから戻ってこい!!」
朦朧としていた意識が痛みで覚醒してくる。あぁ、わかった。そういうことなのだな。
そうだ、仕方がないのだ。蒙昧な俺にはこの現実を受け入れる他ないのだ。前まではアメリカだったけど今はアルカシエラになったのだ。もういい。受け入れる。
――ラヴァ!!!
ラヴァの肩がビクっと揺れる。突然の大声に驚いたようだ。
「ありがとう、ラヴァ。もう大丈夫だ。うっぷ、お前の献身のおかげで俺はなんとか立ち止まれたようだ。礼を言う」
「あ、あぁ、まぁね、さすがあたしよね。いいわ、今回のは貸しね。なんか甘いものでも奢りなさいよね」
俺は“あぁ”と答えつつ、少し時間が経ってから、なんでこんなにボコボコにされておいてこいつに甘いものを奢らないといけないんだと、理不尽な怒りに震えていた。
たくさんの作品の中から当作品を読んでいただき誠にありがとうございます。
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