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禍津泡にて

用賀狼蛾が最初に思ったことは、これは誰だろう、だった。

とても美人だ、何もかもが好みだ、十束以外にもこのような者がいたとは。


理解は、遅れてやってきた。

黒峰十束が、慈しむような笑みを浮かべているのだと。

己以外の、誰かに向けて――


ヒュぅ……


と喉が鳴った。耳鳴りが酷い。

音がする、遠くから。

なにかを言っていた、なにかを叫んでいた、なにかを欲していた、何一つとして言葉にならないが、言葉にならないがゆえに伝わった。


まったく同じ気持ち、同じ想念であると。


これは、きっと終わりだ、行き止まりだ、決定されていないだけで確実に訪れる破滅の予兆だ。許せない、許してはいけない、完全で良き幸福を阻む一切は、すべて否定されなければならない――


狼蛾の口がばかりと開いた、次元の狭間もばかりと開く。

心底からの叫びが唱和し、蒼留原を満たした。


執着し、欲し、裏切られ、それでもなお盲目的なまでに求めて縋り、得たいと願う。

遥か遠く、極東の島国で『ヤンデレストーカー』と呼ばれる想念が、禍津泡として幻出した。



サラも十束も弾かれたように立ち上がった。

サラは、かつて聞いた音だった。

十束は、現象として知っていた。


想念の共振による、異世界の出現。


狼蛾が空に向けて吠えるその先から万色の泡が生じ、周囲一帯を閉じる。

見れば荒野はすでに無く、リノリウム張りのタイルが敷き詰められ、無秩序にビルが、家が、教室が伸びる。

光景の変容に炙られるように、狼蛾は黒い影に覆われ、姿を変える、同時にそこかしこから黒い影が伸びる。


種族も、年代も、背丈も、性別も、なにもかも異なる影形だが、瞳だけが同一だった。

光を反射しない、対象のみをひたと見つめる眼球が。


狼蛾を覆った影が、食らうようにその形を縮め、別の姿へと変じる。

長い髪、ちいさな身体、ゴシックロリータ服、生気ない姿。それが口を開く、光のない目で呪いのように。


 だれよ、そのおんな




「あっはっはっはァー!」


たまりかねたようにサラが跳ねた。

倒しても構わない妖異の群がいる、我慢などできるはずがなかった。

右手を開き、幻出させる、これらを倒せるものを。

小豆、塩、白米、鰯の頭――すべて違う。手応えとして異なる。

かつて手にしたものの内、もっとも適切なものを、手に掴む。


それは、ただの岩であった。


ゴツゴツとしたバレーボール大を即座に、全力で投げる。

鈍く散文的な音をさせ、病的に細い影の頭に直撃。あえなく崩れ落ちさせた。

振り終わったときには、もう次の岩が手にある。勢いを殺さぬまま更に振り抜く。一回転をするたび全力投球が成された。

ヤンデレは大抵の場合、遠距離武器を持たない。


「破ッ」


対抗想念による対処ではなく、単純な暴力が有効――

目の端に捉えて認識しながら、十束もまた駆ける。五歩を踏破し拳を打つ。

金槌を持った影を二十歩以上は吹き飛ばし、その腹の風通しをよくさせた。


そのまま隣の大きな影に中段後ろ蹴りを放つ。

ただの攻撃ではなかった、十束自身その認識は薄かったが、かつてのインターハイ王者の暴力であった。

肉体的一般人では叶うはずがないと想わせるものだ。


撃ち抜かれたマンターゲットのように、あるいは暴風を前にした布のように、蹴散らされた。

その度に、紙片のようなものが舞った。


「……?」


ふわりと動き、十束だけに入り込んだ。

攻撃、ではない、むしろ力がついている感覚すらある。


「――ッッ」

「気にしてる場合じゃないか……!」


鬼相のちいさな影が――狼蛾を圧縮したそれが、符を周囲に浮かべながら進んだ。

無論のこと黃旺サラへ向けて。


「狼蛾!」

「どいて」

「無理を言うな!」


悲しい叫びであった。


「用賀邦の者が、禍津泡を起こしてどうする! ここで止まれ!」

「あのおんなが、ぜんぶ悪いッ!」

「なんの話をしてる!?」


混乱しながらも、続けた鍛錬はなすべきことを過たない。符の群を抜け、強く踏み込み、正拳突きを放つ。

完璧な打撃は、影の分厚さを抜け、狼蛾本体にまで触れる。


「トツカは、しらなくていい」


触れただけだった。

影に減速されて有効打とならなかった。

そもそも、たかが高校生トップの全力で殴られた程度で諦める想いをヤンデレとは呼ばない。


指の動きに合わせて符が動き、床のタイルに触れ、噴出するように黒い柱を生じさせた。

高さが十束の倍ほどもある粘体状のそれが、追いかけるように次々と現れる。

囚われたらどうなるかは不明だが、ろくなことにはならない。

柱は倒れること無く、細い触手のようなものを無数に伸ばしているのだから。


「畜生……!」


上手く距離を取られた格好だった。

当然のように人型の影がまた攻撃をしかける、カウンターを頭部に喰らわせ打倒した。ぬるり、と影物質が滑る。


「……む」


影から何かがこぼれ、再び十束に入り込もうとした。

ヒラヒラと動くそれを、今度こそ宙で捉えた。


「――」


それは、写真だった。

十束のものだ。

ただし、顔部分が張り替えられていた。

遠景写真のちいさな箇所ではあったが、上に貼られた顔は用賀邦高祖のものである。


コラージュ写真であった。



奥歯を噛み締め穴が開くほどそれを睨みながらも、十束はどこか冷静に納得していた。


下を見れば、倒れた影の一部が剥がれていた。

見覚えがあった。用賀邦の、追手としての彼らも影に紛れていた。


ああ、なるほど――


なぜ追手達が写真を撮ろうとしたのか。これのためだ。

コラ写真を使い何をしようとしたのか。今の現状だ、この制服に向けて想念を打ち込んだ。

想念を打ち込みどうしようというのか。十束を変えているのだ、用賀邦高祖その人に。


禍津泡は人を変える。

この制服は禍津泡に近い性質を持つ。

ならば、この制服に影響を与えれば、想う通りの者になる。

既に女子高生化している、その方向性を少しばかり整えるだけでいい。


用賀邦は、代々に渡り禍津泡を征するための研鑽を続けた。

十束は、「長くいなかった最もふさわしい者」だった。


つまり、黒峰十束は、生贄だ。

本人にだけ、その自覚のない。


ああ、ああ、と声がする。

呻くような、囁くような、影の声。

高祖のうつくしさを、その高潔を、その公平無私を、完全な存在を、ただ称える。

影たちが、光のない目で、手元のコラ写真を見つめながら。


全員が、十束がそうなることを願っている――


「そんなんだから、フラれるんだよー?」


影たちが、動きを止めた。


「用賀邦高祖だっけ? その人は、たぶん堅苦しくて肩がこってたんだよ、次の邦では――黃旺邦では、すごいはっちゃけて、中学のころ着てた特攻服をもっかい作って好きに暴れた」


サラは笑う、心の底から馬鹿にする。


「あたしの邦では、特攻姫って名前で呼ばれてた、鬼より怖いって有名だったよー?」


影たちがサラを睨む、奥歯を噛み締める音が唱和する。

違う、違うと呻く。

そうではないのだ、それはないことになったのだと、高祖へのヤンデレストーカーが押し寄せる。


「やっぱりアンタらか」


一切の表情を消してサラは言う。


「それは知ってた反応だ。アンタらはそうだと知って、なかったことにしたな。理想の高祖とは異なる証拠の全てを、黃旺邦そのものを、消し去ったんだな。禍津泡を使って」


手にした岩を握り潰しながら、叫ぶ。


「くっだらねえ理由で殺しやがって! 仕掛けられたケンカだ、テメエら全員敵だ! 今度はこっちがブッこむからな!」


学生服を脱ぎ、サラシを見せつけながら言う。


「あたしの十束!」

「……なに」

「征せる?」

「時間がいる!」

「わかった、ケツ持ちまっかせてー!」


裏返した学生服は、特攻服だった。白地に黒く文字が踊る、喧嘩上等、傍若無人と、高祖その人の筆跡で。

解釈違いの物的証拠に、影たちが奇声を上げて押し寄せる。

サラは笑い、手に引き寄せた。それは使い込まれた釘バットであった。

容赦なく鬼のように振り抜いた。



十束は目を閉じ、集中する。

己の内部、否、己が着ている制服への沈降だ。


現状の問題は、狼蛾だ。

彼の想いと異界の感情が結びつき、禍津泡を幻出させた。追手たちはその便乗に過ぎない。

これを阻むのは、物質化した影だ。彼を覆う想念そのものだ。


ならば、これに対抗する想念が必要だ。


ふ――と息を吐く。

目を閉じたまま、ただ過去を想起する。


鉄の扉が見える――いや、これは電車だ。

身体におかしな負荷がかかり、気持ちばかりが焦る。なぜ? 遅刻しそうだからだ。走って、行かなければならない、最速で。


ドアが開いた。

春の風が吹き込む。

十束は全力で駆けた。無遅刻無欠席を台無しにするわけにはいかない。


どこかの影たちが喚く、走るな、あわてふためくな、それは高祖ではないと。

知ったことではない、注意の声など速度で引きはがす。

タイル張りに被さるように、通学路が見える、十字路を最短コースで曲がる。

影の柱たちが慄き避ける。


「十束っ」


そこにいた、誰かにぶつかった。


――遅刻しそうな想い人とぶつかる、それは間違いなく恋のはじまりである。

ヤンデレストーカーの想念では、これを受け止めることはあっても阻むことはない。


「あ……」

「滅ッ!」


視線が交差し、最速移動を乗せた十束の蹴りが突き刺さった。

それは、ぞぶり、と黒色を越え、用賀狼蛾の本体に衝突、そのまま振り抜き影から引き剥がした。

黒い粘体状のものが絡みつくが、残らず千切れ、狼蛾本体を遠くへと吹き飛ばした。


完全に分離した瞬間、かるい音を立てて世界が壊れた。

禍津泡が、弾けた。

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