箱の中のペン
寒い寒い氷の大地の真ん中に、ポツンと一つの木箱がありました。
誰が置いて行ったのかは分かりません。一つだけ分かるのは、その木箱の中に卵が入っていること。
ピキ、ピキピキ、パカッ。卵が割れる音がして、中から何かが這い出て来ました。
それは可愛らしく小さな、薄茶色のペンギンでした。名前を、ペンといいます。
ペンは箱の蓋を開けて首を突き出し、辺りを見回しました。すると一面、白く冷たそうな氷です。
「……仲間は、いないのかな?」
普通、ペンギンには生まれた時から仲間がいます。でもペンは氷野の中、一人でした。
「誰かー」と呼んでみます。が、誰からも返事はありません。
ペンは箱から抜け出しました。仲間を探さなくちゃ、と思ったのです。きっと仲間とはぐれてしまったのでしょうから。
氷の地面を歩きました。ペタペタペタ、ペタペタペタ。しかし仲間は見つかりません。
そのうちにお腹が空いたので、ペンは魚を獲りに海辺へやって来ました。
「美味しそうな魚はいないかなあ?」
海に頭を突っ込み、魚を一匹食べてみます。すると結構美味しくて、さらに三匹パクパクパク。
そのとき、突然大きな声がしました。
「うまそうな赤ちゃんペンギンだ。食べちゃうぞー」それは、巨大なシャチでした。
ペンはびっくりして、急いでシャチから逃げ始めました。
よちよちよちよち、急げ、急げ、急げ。
けれどもシャチは、どこまでも追って来ます。「待ーてー」
氷の大地まで戻って来ました。
すぐ後には、歯をギラギラさせているシャチが迫っています。
シャチが大口を開け、ペンを丸呑みにしようとした時です。ペンは、すぐそこにあった木箱へ飛び込みました。
シャチの頭がガツンと木箱に当たります。
「出て来ーい!」
叫びながら木箱を開けようとしますが、体が大き過ぎて全然開けられません。
シャチは「クソ~!」と帰って行きました。
「ふぅ」安心して、ホッと息を吐くペン。
でも体はまだブルブルと震えています。
「そ、そうだ。仲間を探してるんだっけ」
思い出したペンは、再び氷野を彷徨い始めます。
そして見つけました。黒と白の絨毯――いいえ違います、それはペンギンの群れです。
「おーい」呼びかけると、群れがこちらに気が付きました。
「あっ、小さなペンギンだ!」
ゾロゾロ、ゾロゾロゾロ。いっぱいのペンギンたちが、ペンの前にやって来ました。
そしてその中で一番大きく、鶏冠の生えたペンギンが出て来て言いました。
「私は皇帝ペンギン。お前は、誰だ?」
「あたしはペン。一人ぼっちだから、仲間が欲しいんだ」
ペンはそうお願いしてみました。けれども皇帝ペンギンは、大きく首を振ると、
「見ろ。私たちの体の色と、お前の体の色を。私たちは白と黒だが、お前は薄茶色で汚い。だから、私たちの仲間には入れない。早くどこかへ行ってしまえ!」
とペンを追い出してしまいました。
「あたし、他のペンギンとは違うんだ。仲間になれないんだ……」
そう思って、ペンはわんわん泣きました。
泣いて泣いて泣き喚いて、やっと泣き止んだ頃、ペンはもう決めていました。
「これからは、箱を被って生きよう」
外の世界は怖いのです。
シャチがいます。他のペンギンたちがいます。だからペンは、箱の中に隠れてひっそり生きていくのです。
それからずっと、ペンは箱の中で過ごしました。寝るときも、起きて歩くときも。
寂しくても我慢しました。だって、外の世界に出る方がよっぽど恐ろしかったから。
これでいいんだ。そんなある日のことでした。
海辺で魚を獲っていると、突然、こんな声がしたのです。
「そこの箱に隠れているのは、誰ですか?」
ペンは話すのが怖くて、黙っていました。それでも声は喋りかけてきます。
「どうして、そんな箱の中にいるんです?」
「……怖いから」ペンは思わず、答えます。
「どうして怖いんですか?」
「外には、あたしを狙うシャチがいる。外には、あたしを仲間はずれにするペンギンたちがいる。だからあたしは箱ペンギンでいいの。どっか行ってよ」
「私はアホウドリのホウです。私はあちこちを旅する渡鳥なんですよ。狭い木箱の中に籠っているなんてもったいない。広い外の世界へ出て、一緒に旅をしましょう?」
旅と聞いて、ペンは思わずちらと箱から顔を覗かせました。すると目の前には、大きな白い鳥。これが声の主、ホウなのでしょう。
ホウを見た途端、ペンは泣き出しました。
やっぱり、ペンはずっと一人で寂しかったのです。我慢していたけれど、それが急に湧き出してきて、涙になりました。
「あたし、一人は嫌だよ。でも外の世界が怖い。怖いの。だから……」
「じゃあ、私がついてあげます。私も実は、仲間とはぐれて一人だったんです。ねえペンギンさん。友達に、なりましょう?」
「とも、だち?」
首を傾げるペンに、ホウの右の翼が差し出されます。
友達が一体何かは分かりません。けれど、ペンは気づくとホウの翼に自分の翼をそっと重ねていました。
「ありがとう」
その日から、ペンは箱に閉じこもるのをやめました。
そしてホウの背中に乗って、大空を旅することにしたのです。
大空から広い氷野や真っ青な海を見下ろすと、なんだかとてもいい気持ちがしました。
あるとき、ペンたちがまた海辺で魚を食べていると、あのシャチがやって来ました。「食べちゃうぞー」
でもペンはもう怖くありません。なぜってホウが――友達が、いてくれるからです。
ペンが背に飛び乗ると、ふわりと宙へ舞い上がるホウ。悔しげに空を見上げるシャチですが、空までは追いかけて来れません。
「やったー!」ペンは大喜び。
「よかったですね、ペン」
こうして二人で旅をするうちに、ペンとホウはとても仲よしになりました。
そんなある日、二人は大きなペンギンの群れと出会いました。生まれたてのペンを追い出した、あの皇帝ペンギンたちです。
「おお、あのときのペンギンか!」皇帝ペンギンがペンの方へ駆け寄って来ました。
「うん。そうだけど、どうしたの?」
「あのときは悪かった。許してくれ」
突然、皇帝ペンギンが謝ったので、ペンはびっくりです。
「実はあのとき、群れが悪いシャチに襲われていて、逃げる途中で急いでいたから、わざと嘘をついたのだ。実は、ペンギンは赤ちゃんの頃は茶色の体なのだ。ほら、お前の体を見てみろ」
そう言われて自分の体を見たペンは、またまたびっくり。なんと、薄茶色だった体が白と黒に変わっているではありませんか。
「この前のことは謝る。だからお前、私たちの仲間になってくれないか?」
そう言われてもペンは困ってしまいます。
前のことは許してあげました。でもペンはまだ、ホウと旅の途中なのです。
しかしホウは笑って、こう言いました。
「ペン、これからはペンギンの皆さんと生きていってください。私はここでお別れです」
「え? 何言ってるの、ホウ。あたしはもっとホウと……」
「私はこれから、もっと北の方へ行きます。けれどペンギンのあなたは、暑くてそこへは行けません。だから今は、さよならです」
「で、でも……」
「もう、ペンは一人じゃありません。それにあなたは、外の世界を怖がる幼いペンギンのままではないでしょう?」
言われて、気がつきました。
ホウはペンのことを考えていてくれたのです。外の世界が怖くないよう、守ってくれていたのです。まるでお母さんみたいに。
でももうペンは赤ちゃんではありません。ちゃんと毛だって生え変わりました。だから、ホウに頼らず生きていくのです。
「わかった。これからはペンギンのみんなと頑張って暮らしていくね。……今までありがとう、ホウ。バイバイ!」
「さようなら。私は旅を続けて必ずここへ戻ってきます。そのとき、また会いましょう」
手を振って、二人はさよならをします。
ホウは黒い翼を広げて大空に舞い上がると、そのまま遠くへ飛び去って行きました。
「ペン、昼飯どきだ。魚を獲るぞ!」
皇帝ペンギンたちが呼んでいます。
「今行くよ」と言ってペンが振り向くと、そこにはなんとあの箱がありました。実はここは最初にホウと出会った海辺だったのです。
ペンはじっと、木箱を見つめます。
ペンが生まれて、隠れ続けていた木箱。
「でももうあたしには、いらない」
そう、箱を思いっきり海へ放り投げたペンはよちよちと、仲間たちの元へ走っていくのでした。
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