ヤクザ者②
ジャンガが目を覚ました時はすでに夜は更けていた。
「お頭!」
と、歓声を上げる部下たちを尻目に、ぼんやりとする頭で少し考えて、すぐに全てを思い出したジャンガは、ガバッと飛び起きる。
ここは、と前後左右に首を振って、
「あ!」
と叫んだ。
見慣れた室内である。ここはジャンガの居室であった。
といってもそこは彼が勝手に占拠している廃屋の一室である。そこら中が煤と埃塗れとなっており、むしろ外同然といった体であるが、それでも屋根があるだけましである。
ジャンガは部下たちにもみくちゃにされながら、凝然と目を見開いて一点を睨みつけている。その視線の先には宿敵、ザントの姿があった。
き、貴様! と声を荒げるジャンガを、ザントはまあまあ、と両手で諫めて、
「おっと、さっきは悪かったよ。主人の手前、ああするしかなくってさ」
そうザントは肩をすくめる。
「こんなこと言うのもあれだけどさ。オレも借金をカタに自由を奪われてる身の上でね。委細はそこの連中に聞いたよ」
ジャンガは驚愕して、ギロリと部下連中を睨みつける。彼らは弁明するように、
「す、すみません、お頭。でも、このザントさんのおかげで、全員が騎士団の包囲を抜け出せたもので」
「なに? 騎士団?」
「はい。あの後すぐ、騒ぎを聞きつけた騎士団連中が一気に押し寄せてきまして。ほら、お頭の戦闘は派手でございますから。ザントさんがしんがりを務めてくれたおかげで、何とか奴らを撒いて、村まで逃げてこれたんで。へぇ」
ジャンガは目を真ん丸くしてザントを見た。
彼は相変わらずの飄々たる態度である。ジャンガはいよいよ混乱してしまって、目を白黒させる。
「い、一体どうなっている?」
「ええと……、つまりお頭、その、ザントさんに助けてもらわなければ、我々は今頃破壊活動やら反体制活動やらの罪で騎士団につかまって、牢屋で縛り首をまつようなことになっていたんで……」
「それはわかる、が、何故こいつが俺を助ける?」
ザントに集まる視線。彼は居心地悪そうに苦笑して、
「特に理由はないけど……な。強いて言うなら、一度拳を交えた相手だし。久しぶりに昔を思い出す戦いらしい戦いをさせてもらったんだし、……な。見捨てていくにはちょっと忍びなくてな。つまり、大した理由はない」
と、ポリポリと頭を搔く。
これにはさすがのジャンガも口をあんぐりと開けて、しばらく何か言葉を発しようとパクパクさせていた。やがて気の抜けたような顔になり、ハァとため息を一つついた。
「たった、それだけか……」
「ああ、まあな。代わりにと言っては何だけど、あんたが眠ってる最中、いろいろ事情は聞かせてもらったよ」
「そうか……」
ジャンガは気持ち気まずそうに、
「ならわかっただろう。俺たちの大義。奴を是が非でもやっつけなくちゃならない理由……。……ザント、あんたはまた邪魔をするのか?」
「……さあな。時と場合による」
ザントは大きく一つ欠伸をする。そして朽ちた木壁にもたれかかり目を閉じた。
ジャンガはしばらくそれを眺めつつ思案していた。ベッドから立ち上がり、部下の制止を抑えて、外の空気を吸いに出る。
幻想的な月夜である。
明かり一つない霧がかった廃村に降りかかる天からの淡い月光。
朧気に浮かび上がる廃村の景色は、暗澹とした不気味な蜃気楼中にゆらゆらと揺らめく。不思議なことにその揺らめきの中から、かつての、活気あふれる村の姿が浮かび上がってくるように感じた。
懐かしい情景。ジャンガは小さく微笑んだ。
「親父……、若頭……、村のみんな……」
小さく呟く。煙草をくわえ幻惑の月光に向かって大きく煙を吐く。
5年程前まで、この村は王都辺境にあるあまたの村々の中でも、比較的に存在感のある、活気のある村であった。
村はかつてとある騎士が引退した後、王都近郊の遊休地に田畑を開拓し自給自足の生活を始めたのが始まりである。その騎士というのが中々に人徳のある人物で、いつの間にか彼の周りには追いかけてきた数人の女性だとか、王都の剣呑さに嫌気がさして逃げてきた若い夫婦だとか、流れ風来坊だとかが居付いた。
するとだんだんと村らしくなってきたが、なぜかこの男のもとに集まってくるのは所謂ところの武闘派の人間が多かった。
自然とどこぞの傭兵団の駐屯地のようになってしまったのだとか。
それが100年も前のこと。彼の子孫は代々村長として村の発展を支えた。が、人口が増えるにつれて、食い扶持を稼がなくてはならないってんで、持ち前の武力を活かすことにした。
周辺の村々の警護を買ってでる代わりに、所謂みかじめ料をもらい、それで生活を立てていたのである。
さて、そんな生活が現代まで脈々と受け継がれてきたわけであるが。
前述のとおり、つい5年前のこと。順風満帆に見えた傭兵生活は突如として終わりを告げる。
概略だけ簡単に述べる。
5年前の村の崩壊からさらに2年程さかのぼる。
隣街から、一人の美しい17才の少女がこの村に移住してきた。
当時の里長の息子、ジャンガが若頭と呼んでいるエメリクという30余の男のもとに嫁ぎに来たのである。
それから1年ほどは何事もなく平穏な毎日が続いていたのであるが。
長い冬が明け草木が芽吹き始める頃のことだ。突然、エメリクが死んだのだ。死因は毒物による毒殺であった。
それと時を同じくして、彼の妻である少女が姿を消してしまった。エメリクが持っていたあまたの金品とともに。そう、その少女こそが現在ベリーグッド商会に囲われているソンである。
悲劇の連鎖は続いた。
唯一の息子の死を嘆いた村長は、それから間もなく狂い死にしてしまった。予期せずに一族の正当血統を失った村の兵力は見るも無残に弱体化してしまった。周辺の村々からは見限られ、みかじめ料も入らなくなった。するとどんどんと村からは人口が流出し、1年もたたないうちに廃村になってしまった。
ジャンガらはこの村の遺志を継ぐ数少ない生き残りたちである。
彼らは若頭らの無念を晴らすため、ソンをこの数年間探し続けた。力も伝手も金もない彼らにとっては、それこそ艱難辛苦の連続であった。ソンはずるがしこい。持ち逃げした金品で、各地を豪遊しながら転々としていたようだ。
やがて、その資金も底を尽きる訳であるが、一度味わった蜜から中々抜け出せなかったと見えて、借金に借金を重ねてその生活をかろうじて維持していたとのこと。返済の魔の手、追手はこれまで以上に激しく拠点を変えることで誤魔化していた。が、所詮は女一人、逃亡生活も長くは続かなかった。ひっ捕らえられたソンは、借金を形に女郎屋へドナドナされた訳である。
女郎は3つタイプに大別される。
景気の良い職業と割り切って働く職業女郎。こちらはある程度自分の好きなペースで働けるし、自由もある。退職するタイミングも個人で決められる。
逆に借金女郎は、その名の通り借金を形に身体を売っている女郎で、その借金全額の返済がなされるか、年季が明けない限りは自由はない。
また奴隷女郎というのもある。これはもっと悲惨。また機会があったら触れようと思う。
言わずもがな、ソンは借金女郎である。
今までの絢爛豪華な生活から鑑みればまさに凋落といえるのであるが、ある意味では彼女にとっては好都合であったのかもしれない。
女郎の世界はこの世で最も閉鎖的な世界だ。大罪を犯し追われる身の彼女にとっては、良い隠れ蓑となったのかもしれない。
また元来の好色家で、チヤホヤされるのが好きな彼女にとって、仕事自体の苦痛は対してなかった。ここに数年懲役されるだけで借金は帳消し、そのあとはお客さんから適当に良い人間を見繕って結婚をし、また悠々自適な生活に戻ることができる。
そんな未来設計をすら描いていた彼女の頭からは、かつて暮らしていた村のこと、殺害した夫のことなぞ、とうに脳内から消え去っていたようだ。
しかし、いくら彼女が忘れ去っていたとしても。
いまだジャンガらにとってソンは不倶戴天の仇敵である。
金銭欲しさに村の長一族を殺し、村の滅亡の原因を作り出した、このアマ……。なにがなんでも鉄槌を食らわせねば……。お天道様を二度と仰げない。
「3つ方法がある」
と、暗闇の中から低い声が聞こえる。ザントだ。
「一つは、ソンの年が明けるのを待つこと。そうすりゃあ、女郎屋と関係なくなるわけだし、オレが口をはさむ余地はなくなるからな。
二つ目は、ソンを買い取ることだな。彼女につけられる値段がいくらかはわからんが……、金さえ払えばだれでも身請けできる。
そして三つ目、これは公的な権力を使うって手法だ」
「公的な権力?」
ジャンガは暗闇に投げかける。
「そう、即ちだな……。例えば、ソンのその殺人が事実だったとして、それが白日の下にさらされればどうなるか、だ。きっと騎士団が動き出して、女は女郎屋には入れらなくなる」
「………………。ふん、それができれば既にやっている。今更騎士団に泣きこんだところで、な。それに……」
「それに?」
「仮にソンが騎士団に拘束されたとして、実際、俺たちにすれば奪う相手が変わるだけだ。お前から奪うか、騎士団から奪うか。……見方によっては、状況は悪化する」
「なるほど、さすがだな。まあ、その心配はもっとも」
夜霧の中からぼんやりと浮かび上がるザントの顔面。その顔には醜悪な笑みが彫られている。
「オレも昔はいろいろとあってな……。多種多様な知り合いがいるんだ。まあここはオレに任せて、2,3日、ここでゆっくり養生していてくれよ。決して悪いようにはしないよ」
「なんだと?」
「なあに、ちょっとした気まぐれだよ。ソンのやつはオレが手はずをつけてやる。その代わり、だ。この借り、安くはないぜ、そこんとこの覚悟はいいんだろうな?」
返事も忘れて呆然と佇むジャンガ。
ザントの姿はゆらゆらと再び暗澹とした世界の中に吸い込まれていく。
ジャンガは、まだ夢を見ているのかしら、と目をしばらくぱちくりしていた。やがて自室に戻ってみると、そこでは数人の部下が変わらず残っていたが、すでにザントの姿はなかった。
*
「ザント!」
女郎屋に帰ったザントのもとに、いの一番に駆け寄ってくるソン。青ざめた肌や目に浮かぶ焦燥を何とか隠そうと、気丈にも笑みをその顔に掘りながら恐る恐るといった声色で尋ねてくる。
「ど、どうなったんだい?」
「ん? たわいない弱い奴らだったよ。しかし、しつこさだけは一人前だったな。まあ、騒ぎにならんように、王都の外で殺してやったさ」
「そ、そうかい! さすがだよ、ザント!」
嬉しそうに気色をよくして、ザントに抱き着く。ザントは一瞬顔をしかめるが、無理やり振りほどいたりせず、なされるがままになっていた。
ザントは心の奥底で、うーん、この女がな、と疑念を抱きかける。そんな胆力が果たしてあるのだろうか。非常な強盗行為をするようには決して見えない。
しかし、だ。
一方で彼は十二分に知り抜いている。女というのは決して計り知れない、屈強な男よりも幾層倍の気味の悪い恐ろしさを秘めるものだと。
なので彼女の色目と色気に表面的には引っかかったふりをして、今夜の誘いを嬉々として受け入れるように見せた。彼女の内面をあぶりだすには、二人きりのほうが都合がよいからだ。
やがて、その日の廻しを休んだサラは、そんな思惑などつゆほども気づかずに、やたら扇情的な格好でザントの居室に入り込んできた。バタンと扉が閉まったのを見定めて、ザントはサラを引き寄せ、しおらしくしな垂れかかってくる彼女の体を抱きしめながら、首筋に小さな針のようなものを差し込んだ。
痛い! と身を固くする彼女を、さっと振り払って、ザントは冷酷な目でサラを見下ろす。彼女は驚愕に目を見開いていたが、ザントのその表情をみとると、急に顔を青くして、
「え、え? ザント? どういうこと?」
と、首筋を抑えてあたふたしていたが、やがて目の焦点が合わなくなり、口を半開きにして苦しそうな吐息ばかりをはぁはぁと漏らすようになった。
ザントは何時ぞやの邪悪な表情に変わる。
扉を内側からトントンと二度たたいた。と、同時に再び扉が開き、一人の中年男が室内に入ってくる。白髪交じりの逆立った短髪、太い眉毛、落ちくぼんだ瞳、眉間に深く刻まれた皺。口元から覗く発達した犬歯。尋常一様でない獣臭さを感じさせる男だ。
「ハハハ、こいつか、今度の金の生る木は!」
男は野卑た声を漏らす。
「おっと、もう少し声は小さくな。あんたのことだから人には見られていないとは思うが、ここは女郎屋。壁に耳あり障子に目あり、だ」
「おっと、悪ぃ悪ぃ。だが大丈夫か? こいつはここの女郎だろ?」
「ああ、そうだ。何の問題もない」
「……ならいいがな」
「これからこの女の後ろ暗い過去を洗いざらい喋らせる。グリフォは調書を取ってくれ。そして、あわよくばひっ捕らえちまってくれよ」
「ふむ、それは訳はないが。問題は報酬だな。オラァ、本来なら今頃は予約していたソニア嬢とにゃほついているところだったのを、ザントを優先してきてやっているんだ」
と、眉をひそめるグリフォと呼ばれた男。
ザントは頬をポリポリとかいて、気まずそうに肩をすくめる。
「まあ、それはいずれ。オレとグリフォの仲だろ? 今回はツケといてくれよ。間違いなくきっちり返すからよ」
グリフォは釈然としないながら了承をする。
彼は現役の騎士である。
その外見はむしろ傭兵や盗賊の類に近しいが。
彼の所属するのは、国内でも1,2を争う格式と戦力を誇る軍隊である。
表向きの彼は国の権威の象徴だ。が、その裏は果たして……。
どんな組織にも必ずと言っていいほどはみ出し者はいるもので、それは公明正大な騎士においてももちろん当てはまる。ヤブ医者がいるようにヤブ騎士もいるものだ。
暴力、越権、賄賂、裏取引。それらすべてのプロフェッショナルというべき悪徳騎士の筆頭がこのグリフォという男である。
ザントとグリフォが出会ったのは、まさにザントが女郎屋に居残り始めた頃であった。
客として訪れている常連のグリフォとしばしば会話を交わすようになり、その中でお互いに近しいものを感じ取ったのだろう。
公権力の裏の裏の抜け道を知り尽くしているグリフォ。
奇特な遍歴、稀代の悪知恵、圧巻の武力などを兼ね備えるザント。
彼らが仕事上のパートナーになるまでに時間はかからなかった。
さて、今回の仕事はシンプル。
この女の過去の所業を、ザントが昔とある女性からもらい受けた強力な自白剤で、すっかり白状させる。それを証拠に騎士のグリフォにひっ捕らえさせる。さすがの女郎屋といえども、公的権力には逆らえない。ソンは無事に女郎屋から解雇され、ザントも彼女を守る大義名分はなくなるわけだ。そしてここからがグリフォの本領発揮。お得意の書類偽装やらで、彼女をあえて王都外の牢屋送りかなんかの回りくどい刑罰にしてしまう。
するとその護送中に運悪く強力な魔物だったり盗賊団だったりが出現するのである。
護送人、この場合はザントとグリフォだな、は命からがら逃げかえってくるのだが、ああ無念、そこにソンの姿はなくその行方は一切知れず……。
こんな絵をかくのがグリフォの十八番なのである。
しかも万が一つにも失敗がないというのだから、ザントは毎度毎度その奇才の物凄さには驚嘆を禁じ得ないのである。
3日後、いまだザントから受けた傷がいえず村にとどまらざるを得なかったジャンガ一行のもとに、驚くべきプレゼントが届けられる。それは毎夜毎夜の夢にまで見た、怨敵ソンであった。
「ど、どういう風の吹き回しだ!」
と、歓喜に堪えない気持ちを押し殺しつつ、ザントの異常な行動に釈然ならざるものを感じるジャンガは礼を述べるのも忘れて彼にかみつく。
その視線は、彼の後ろに立っている一人の騎士との間を行ったり来たりしている。まるで要領を得ないようだ。
「ん? 単なる気まぐれだよ。あんたらからはオレやそこのグリフォっていう騎士と、同じようなにおいを感じた。それに腕も結構立つ。だから恩を売る意味で今回は協力してやったのさ」
「お、恩を売るだと……? ちょ、ちょっと待ってくれ、全然意味が分からねえ。本来敵であるはずのあんたが何で……。それに何でここに騎士がいるんだ? あいつは何者だ? 俺を捕まえに来たか?」
「アン? そんな面倒くせぇことはしねえよ。こちとら、ザントに頼まれて、ただのお使いさ」
ぶっきらぼうにその騎士、グリフォが言う。
「この女はお前にやる。こいつはもう、この世から抹消済みだ。煮るなり焼くなり好きにしろってもんだ」
「い、いいのか?」
ジャンガの視線にザントは肩をすくめて言う。
「ああ。どうやら、アンタらの言ってたことは本当らしいし。そうなればソンはどうせ死刑になる身の上だ。だけど、いずれこの借りは返してもらう。落ち着いたら、オレたちの為に、いやオレたちの仲間となって、色々と働いてもらうぜ」
ザントとグリフォはそのままそそくさと廃村を後にした。
すでに日が陰りかけている。早く帰らないと、用心棒の仕事に穴をあけることになる。仮にそうなると、ペナルティで罰金が給与から差し引かれてしまう。それは困る。彼にとっては人身売買なんかより、そちらの方が大事なのだ。
ジャンガは彼のその感覚を全く理解できず、ただ目の前の出来事が夢なのか現実なのか、未だ把握できずにいた。
体中から冷や汗とも脂汗ともわからぬ液体がだらだらと流れ落ちる。ザントの去り行く幻影に飲み込まれまいと、大きく一つ喉を鳴らした。ブルリと身震いした。