お別れのプロローグ ⑤ (挿絵あり)
満月の月明りに照らされた、名も知らぬ数十種類の色彩鮮やかな花たちが自らを誇張するように咲き誇り、同じく美しい羽根を広げた夜行性の鳥たちが自由に飛び交う其処は……まるで楽園。
整然と手入れが施された燦爛たる庭園の遥か向こうに、目を見張るほど豪華な白亜の宮殿が建っている……のだが。
それに至る眼前に、どう見ても不似合いな断崖絶壁が邪魔をする。
宮殿への到達を阻むかのように大きく横に広がる穴は、ちょっとした湖ひとつ分ほどありそうで、もちろん簡単に飛び越えられる距離では無かった。
穴に沿って迂回しさえすれば差程問題は無いのだが、それはそれで結構な距離である。少しでも先を急ぎ、宮殿へ到達したいと逸る僕たちに水をさすものだった。
「奈落……」
吸い込まれそうな穴を不安そうに覗き込んだ美桜が呟いた。
なるほど、奈落とは言い得て妙。
この楽園を極楽浄土と喩えたなら、到底似つかない魑魅魍魎が這い出して来そうなその穴は、覗くだけで気絶しそうなほど暗く、そして不気味なほど底知れず……正に地獄を表す奈落と呼ぶに相応しいものだった。
「ん……どうかした? 美桜?」
穴の底を探るかのように目を凝らす美桜に声を掛けた。
「ううん、何でもないわ」
「こんな穴、落ちたらひとたまりもないな……。考えただけで身震いするよ」
言葉の通り僕は身体をブルっと震わせた。
こんもりと盛り上がった穴の淵に恐る恐る並んで立つと、奥底から微かな風が吹き上げて美桜の長い髪を揺らした。
シーンと静まり返った辺りに、ヒューっと風の音だけ。
鳥たちはそんな僕たちの様子を窺うように頭上を優雅に旋回する。
あの鳥のような翼があったなら……今すぐ美桜を抱えて宮殿まで飛んで行くのに……。
この楽園に敵の影は全く見受けられず、ただ静かにそして緩やかに時が過ぎる。
心臓が口から出そうなほど走り続け、傷だらけになるほど戦っていた僕たちふたりに訪れた束の間の休息。
生命を継ぐ者の存在意義、人間になる為の最終目標地である子宮は……もうすぐ目の前にあった。
――あとは、ふたりで。
肌を撫でる心地よい風と夜露に濡れた花木の匂い。そして物憂げな表情で奈落を見下ろす美桜の横顔を月光が朧げに照らすと、僕の心と身体を縛り付けていた緊張の糸が、フワッと音を立てて解けていった。
何故だろう……?
幻想的な楽園ロケーションの効果も相まって、沈黙が気不味さを助長させる。
ふたりっきりの機会なんて今まで何度もあったのに、此処にきて美桜を目の前に今更ドキドキするなんて、一体どうしたって言うんだ?
人間になる目的を果たす時が、目の前に近付いているから?
もし作戦が成功しなかった場合、二度と逢えない気がしたから?
それとも……。
沈黙が次第に不安に変わっていき、得も言えぬ焦燥感が僕を襲った。
決して沈黙に耐えきれなかった訳ではない、ここで言わないと一生後悔するぞ……焦燥感はやがて脅迫感となって、喉の奥をムズムズと燻った。
そしてとうとう脅迫に屈し、心とは裏腹に口が勝手にペラペラと動き出した。
「美桜っ!」
大きな声で唐突に呼ばれたにも拘わらず、まるでそうなる事を知ってたかのように平然と振り向いた美桜は、黙ったまま静かに僕の眼を見つめる。
「ぼ、僕は……僕は、ずっと君の……事が……」
ところがその口は、勝手に動き出した割に歯切れが悪くつっかえた。
ここまで言いかけて、その先の言葉がまだ遠くにある。
もう少し、ほんのもう少しだけ勇気があったら……。
そんな根性無しの僕をジッと見つめる瞳は、意地悪にもその先の言葉が何なのかを知っていた。
優しく僕の両頬に手を当てると、美桜はその勇気の足りない口を埋めるように……。
突然、その唇で塞いだ――。
彼女の白くしなやかな指が動物のように耳の裏側を這い、撫でられるだけで僕の背筋にビリビリと電流が流れ、塞がれた口からは言葉にならない吐息が漏れる。
「ん、んっぐ……」
その手は次第に耳から後頭部に回り、僕の頭を完全に固定した。
お互いの呼吸を肌で感じあいつつ、貪るように吸いつく唇。
僕の頭の中は次第に真っ白になって、このまま細胞として溶け合ってしまいたい欲求と、それでも人間になって結ばれたい欲求……どちらも叶わぬ事と知りながら、頭の中の天秤がどちらかに振れようとする。
作画:ミキ・ルーテシア
透明な糸を引きながらゆっくり唇を離すと、美桜は今までの大胆さが嘘のように顔を赤らめ、恥ずかしそうに僕から目を逸らし俯いた。
はにかんだように唇を歪めるその表情が堪らなく愛おしく、オスという生き物である僕の決心に再度火をつけた。
大きく息を吸い込み……言葉の先を告げようと口を開いた刹那――。
「さよなら、瞬……。私、人間になって…………………………をしたいから」
『ドンッ!』
そう言って、無防備だった僕を奈落へと突き落とした――。
漆黒の底へと真っ逆さまに落ちながら、両手は虚空を掴む……。
美桜の甘い香りと柔らかな唇の感触だけを辿って、懸命に言いかけたその先の言葉を紡いだ。
「僕は……ずっと君の事が……そして、これからも――」
初めまして、主人公の瞬です。
お読み頂いてありがとうございます。
これから僕たちが繰り広げる活躍を楽しみにしてて下さいね?
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