学園生活のビオトープ ③
僕がそう声を掛ける間も無く、瞬時に汚物を見るような険しい表情を浮かべたかと思うと、開いたシャツの胸元をギュッとこぶしで閉め、空いたもう片方の手で下腹部の下着を素早く確認する……。
そして、口を尖らせながら開口一番。
「ちょっと瞬、あんた私に変な事してないでしょうね?」
開いた口が塞がらないとは、こういう事を言うのだろう。
「あのぉ……? 今、なんて仰いました?」
「だから……その、寝ている私を無理やり……」
あまりにも理不尽、身勝手極まりない被害妄想に耳を疑った。
「起きたら美桜がその格好で寝てたんだろ。神に誓って何もしていない安心しろ」
それでもまだ皿のように目を細め、疑わしき視線を向けてくる。
「……ってか、大体からして部屋に黙って入って来て、僕のベッドで勝手に寝るのやめてくれない?」
「あら、来られて不都合な事があるみたいな言い方じゃない? どーせ、夜な夜なエッチな動画でも観てるだけでしょ?」
「観てないってば……」
「神に誓って?」
「いや……それは」
なんだよ……変に勝ち誇った顔しやがって。
「まぁ、良いわ。だって私の部屋は最上階で、瞬の部屋は二十階でしょ? ここのエレベーターって、頭悪くて全然止まってくれないんだもん。最上階まで行って忘れ物でもしたら大変なのよ。だから帰って来るのも行くのも一旦こっちに寄った方が便利なのよねぇ……」
って、理由になってない!
「と、ところで瞬……いつまでこっち見てんのよ……。は、恥ずかしいじゃない……。早くアッチ向きなさいよっ!」
「えっ? こ、今度は何だよ……。そんな格好でいる美桜が……ブフォッ!」
顔を赤らめながら、僕を目掛け全力で投げ込んだ枕が顔を直撃した。
枕と言えどもそれは、重みのある右ストレート級の衝撃だった。
「ブラ着けるからアッチ向いてて……って言ってるのっ! この鈍感っ!」
「イタタタタッ……」
鈍感も何もそんな事わかる訳ないだろ。ブラジャーなんか着けた事も無いんだし、どんなタイミングで女の子が着けるかなんて……。
顔から落ちる枕をキャッチすると、僕は美桜に言われるがまま壁を向いて目を閉じた。
「いいわね? 良いって言うまで絶対コッチ見ちゃダメだからね? わかった?」
「はいはい。わかってますよ……」
目を閉じると不思議と聴覚が冴え渡ると言うが、どうやら本当のようだ。
布が肌を滑り、擦れる音が耳を伝わって、それがイメージとして脳内に具現化される。
今頃、きっと背後では一糸纏わぬ姿の美桜が……。
「もう良いわよ」
「あっ……終わりですか? 意外と早いんですね?」
美桜はベッドから軽やかに飛び降りると、ソファに座る僕の隣に腰掛けた。
今度はシャツの裾から見える太腿が艶かしくて、悟られないように目を逸らし適当な言葉を探して声を掛けた。
「お、おはよう、美桜」
少し間が空いて、美桜はジッと僕を見つめながら。
「おはよう、瞬」
それに気付いて視線を美桜に向けたが、ほんのちょっぴり開いた唇が艶めかしくドキッとする。
フェロモン指数の高い顔を更に近付けて来ると、気怠さを含ませた声で僕を呼んだ。
「ねぇ、瞬……」
「な、なんだよ?」
媚びるように潤ませた物欲しげな瞳に、またしてもドクンと大きく心臓が跳ねる。
「ぼーっとしてないで、早くコーヒー入れてくれないかな?」
「…………」
僕の部屋に勝手に上がり込んで、ベッドを占領し痴漢呼ばわりした挙句、鈍感とまで罵り、挙句にはコーヒーまで淹れろと催促する。
なんだろう……この、とてつもなく理不尽な感じ。
でも美桜は、僕が抵抗しないことを知っている。
「はいはい、お姫様の仰せの通りに」
僕はそう言って再びキッチンまで行き、インスタントのドリップを用意した。
一、簡単ドリップと書かれたコーヒーの袋を開け、カップにセットする。
二、いつも愛用してる熊印のポットのお湯を、美桜専用カップの適量まで注ぐ。
三、二を繰り返す、それだけの簡単な作業だ。
部屋に淹れ立てのコーヒーの香りが漂うと、美桜はクンクンと鳴らした鼻をご機嫌な鼻歌に変え、陽気に身支度を始め出した。
「瞬、先に鏡借りるわねーっ」
男の部屋には到底似合わないピンク地に白い桜柄のマグカップ。これも美桜が勝手に買って来て、自分専用だと置いていった物だ。
鏡に向かって髪を整える美桜に溢さないようそっと手渡す。
腰まである薄く透き通った桜色の髪を掻き上げ、髪留めのゴムを口に咥えたまま「んっ」とだけ返事をすると、素早く髪をまとめ上げる。
すぐさま空いた手でカップを受け取り、ズズッと一口啜ると淹れたばかりで熱かったのか、大きな瞳を一段と見開いた。
そして再びゆっくりと確かめるように口含むと、今度はニッコリ微笑む。
「ありがとう……。瞬の淹れるコーヒーが、本当に一番美味しいわ」
「それは、どういたしまして」
インスタントのドリップコーヒーなんて、ポットのお湯を決まった量入れるだけ。正直誰が作っても味なんて皆同じなんだろうけど、それを本気で言ってくれる美桜の笑顔に僕は逆らえないのかも知れない。
気が付くと、時計の針は七時を回っていた。
そろそろ出ないと間に合わないな。
先に身支度を済ませた余裕顔の美桜は、再度鏡に向かって身だしなみのチェックに余念が無い。
白いブラウスのボタンは上まで閉めずにわざと開け、はち切れそうな胸元を飾る赤いリボンも敢えて緩めに首へと通す。その上から羽織った紺地のジャケットの丈は短く、純白のスカートにグレーの二本線が、露わになった太腿の魅力を一段と引き立てる。
キスするように鏡に近付くと、敢えてオーバー気味にひいたリップが艶めいて、僕の心を何度もドキドキさせた。
そんな姿に見惚れる僕と鏡越しに目が合うと、不満そうに頬を膨らませる。
それから左腕に嵌めた古めかしい腕時計を、何度も人差し指で叩きながら準備を急かした。
「もうっ! 瞬まだなの? 早くしないと始まっちゃうよ。瞬のせいで新学期早々遅刻なんて、ほんっと有り得ないんだからねっ」
いやいや「アレ取って」だの「スマホが無い」だの、挙句の果てには「コーヒーもう一杯淹れろ」だの……。散々と貴女の準備に付き合わされて、僕の支度が出来なかっただけなんですけど?
「……ってか、なんで自分の部屋から行かないんだよ?」
「はいはい。口を動かさないで手を動かす」
美桜はパンパンと手を叩くと、ニコっと笑って僕のカバンを差し出した。
「はいっ、これ持って」
ネクタイを途中まで締めた僕は、片手でカバンを受け取り渋々と玄関へと向かった。
「準備オッケー? 行くよ、瞬!」
ひと足先に勢い良く開けた玄関の先には、生まれたばかりの太陽が燦燦と輝き、まだ春寒の残る肌寒い澄んだ青い空と、遠くに望む新緑が爽やかに色付いていた。
二、三歩ほど小走りして廊下の手摺に捕まると、美桜は春の息吹を身体中に染み渡らせるように深呼吸。
「見て、良い天気。どうか今日も、いい事ありますよーに!」
クルっと振り返ると、遅れて髪の毛もフワっと舞う。それはスローモーションのように元の位置に収まると美桜は笑顔を残し、開いた玄関扉のフレームから姿を消した。
「エレベーター待つの嫌だから先に行くねーっ!」
「ちょっと! 待ってよぉ美桜……おい、待っててばーっ!」
そうでなくても朝の時間は出発が重なり、エレベーターがなかなか止まってくれない。
二十階から階段で降りるなんて、想像しただけで眩暈がしそうだ。
僕は急いで靴を履くと玄関の鍵を閉め、美桜が待ってくれているのを願いながら慌てて追い掛けた――。
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凹みそうになっても元気が出ます。




