魔剣との出会い
剣と魔法の世界。かつて要塞都市として栄えたケンディアも今では田舎町として人々は平和に暮らしていた。ケンディアの食堂で働く少年琉は、まだこの町の外の世界を知らない。
彼が様々な苦難を乗り越えた時、魔王を倒し世界を救った勇者を陰ながら支える最強の傭兵となるなど誰が予想出来たであろうか。
この物語は普通の少年が師や出会った人々に生きる術や命の尊さを学び、成長してゆく話である。
ここは、ナルケンディア。
正式名称、ナルトラース国第一要塞都市ケンディア。
第一要塞都市なんてのはかっこだけの名前で、ただの国境にある辺境の田舎町だ。
ここは数多くの種族が何十万と暮らすナルトラース国の中央都市から東に八千キロ離れた場所に位置する。ケンディアの町の外には国境を阻む高い壁がそそりたつ。この壁のすぐ向こう側は、ナルトラースの何倍とも言える大陸一のラテルライン帝国が異国の王達と凌ぎを削る大激戦を行っている『らしい』。
『らしい』というのは人から聞いた話で、俺は実際に目にしたことがない。
このナルトラース国は後方に高くそびえ立つ大陸一のナルトラ山脈を背にし、隣合わせている国といえば同盟国であるラテルラインぐらいのものだからだ。
この国は農業国で国民のほとんどは高い生活水準を維持している。となれば、何故ラテルラインが攻めてこないかと疑問に思うヤツもいるだろう。
答えは簡単。このナルトラースの王ナルトラ八世の次男キルサムがラテルラインの皇帝だからだ。
実質、ナルトラースはラテルラインの絶対的安全圏にある食糧庫と言っても過言ではない。
毎月一度だけ、このケンディアの門を通りナルトラースで取れた良質の農作物がラテルラインに送られる。それに伴い、多くの商人や旅人が行き来するのだ。
だが、その中にはラテルラインから逃げ出す賞金首や、それを追う賞金稼ぎも紛れていた。
「毎度ぉ、頼まれてた酒持って来ました!」
「あぁ、そこに置いといてくれよ。あら、いつもの酒屋のお父つぁんじゃないね」
「へい。今日はケンディアの門開放ですから忙しくって。一日だけ雇われでさぁ」
男は大きな酒樽をよっこいせと側に下ろす。
「そうかい。お金はいつものように週末まとめて払うからさ。ほら、琉! 三番テーブルにオニオンマッシュパイ追加上がったよ! 六番にはクラムの香草焼きがすぐ上がるからね。早く持っていきな」
経営者兼料理長である女将がフライパンを片手に声を張り上げる。年の頃は四十半ば。俺の母親が生きていたら同い年ぐらいだろうか。
酒マークのついた帽子をかぶった酒屋の男が、裏口から入って裏口から出て行く。表口は行列が出来ているからだ。
「へーい! ったく、人使い荒いぜ。いい加減、うちも今日ぐらいは給仕のバイト雇えばいいのに」
ここオラド亭では月に一度のケンディアの門解放でごったがえす客で溢れ返っていた。
居候である俺は食費と家賃込みで今日も給仕のバイトに勤しんでいる。
一人で。
店内には既に8つあるテーブルは満席で、カウンターの8席もいっぱいだ。
「ごちゃごちゃ言うくらいなら足と手を動かしなっ! 家賃上げるよっ!」
「わかってますよ! よっと!」
山盛りになった二つの大皿とスープのカップを両手に、パイの皿を頭の上に。混み合う店内をお客にぶつからないよう運んでゆく。
周りから多少の拍手が上がるが気にしない。別に曲芸披露して金が手に入る場所じゃない。
あぁ、以前おひねりくれた客もいるが、あの女将が根こそぎかっさらって行ったな。
三番テーブルには一人の男がケンディア産の酒を嗜んでいた。長い髪を後ろに結っており、紫色の武闘着に銀の腰布を当てている。その腰に差していた立派な長剣は今、側の壁に立て掛けてある。
(賞金稼ぎかな。それにしても立派な剣だ。売れば一年は遊んで暮らせそうだな)
俺に剣の知識はない。そもそも、産まれてこのかた一度も剣を握った事もない。ここケンディアはいたって平和な田舎町で、ケンディアの門解放時以外に訪れる旅人は皆無と言っても過言ではないぐらいだ。その為、剣を用いての争い事などほとんどない。民達のいざこざは大抵は拳で決着をつけている。
そんな余計な事を考えていたからか、いたずら好きな酔っ払いが行く手に足を出していた事に気付かず、前のめりにつまずいた。
頭の上のパイが前方に落ちる。
(間に合ってくれよ!)
「!?」
酔っ払いのおっさんの足を小ジャンプで飛び越え、右足の甲でパイの乗ったを皿をキャッチする。床すれすれで冷や汗をかいたのは言うまでもない。
(ひやぁ、助かった。また給料から引かれるのはごめんだからな)
気付くとお猪口に酒を注いでいた男がこちらを見ている。
「あ、すみません。パイお待ち」
「小僧、なかなかいい動きだ。何か武道でも身に付けているのかな?」
男の鋭い眼光はまるでナイフのように俺の眼に突き刺さるようであった。
「いや、身軽さだけが特技なんで。武道なんか習った事もありませんよ。さぁさ、パイが冷める前にお召し上がりください」
「ふむ。それより、こいつはうまそうだ。いただくとしよう」
「ごゆっくり」
俺は残った大皿を手にそそくさと男の前を後にした。
(賞金稼ぎなんかに因縁つけられたらたまったもんじゃないね)
「疲れたぁ!」
その日、全ての客が食事を終え店じまいになったのは午後八時であった。まだ、店の外には行列が出来ていたが、あらかた仕込んでおいた食材が底を尽きたのである。
疲労もあるが、それ以上にぐぅと腹の虫が鳴き始めて餌を求めてくる。
「お疲れさん、琉! あんたの分の飯も残ってないから外で食ってきな」
「ナイスタイミング!」
女将は小銭を放り投げる。それを片手で受け止めて大きくため息をついた。
「ちぇ、10ダランかよ。あんだけ働いたのに……これじゃ、焼き飯食って終わりじゃん」
「つべこべ言うなら返しな。飯代出してやるんだから有り難いと思いな」
「おっと! んじゃ、行ってきまーす」
女将に反論するよりも今はこの空腹を満たさなければどうしようもない。
(今の時間にやってる店は……やっぱりあそこだな)
オラド亭からしばらく歩くと小さな飲食店がある。珍しい料理があると評判で深夜まで営業している飯々楼という店だ。
店主はラテルライン出身で、何でも向こうでは有名な中華料理という料理を出している唯一の店だ。
「お! 琉、こんな時間に来るなんて、さては女将にこきつかわれて来たな。どうせ今日も炒飯だろ? 特別に盛りにしてやるよ」
「サンキュー! 有り難いや」
気さくなこの店主は黄さん。まだ三十過ぎの独身男性だが、苦労人らしく痩せこけた頬に五十過ぎの陰りを見せている。彼の作る炒飯という名の米を炒めた飯がうまい。
「しっかし、うちは食材が無くなるほどお客が入ったのに、ここは閑古鳥が鳴いてるね」
「あぁ、中華料理はラテルラインの貧民層の料理だからな。あっちから来た商人達は一切口にしないんだよ」
「そっか。でも俺はこの味好きだな。米なんてこの国ではなかなか口にしないからね」
黄は涙を流しながらでっかい使いこんだ鍋……中華鍋を振り子のように揺すっている。
「あんがとよ。嬉しいこと言ってくれるね。餃子もサービスだ」
「ちょっと、店長! 琉にあんまりサービスしたらうちらが食べていけなくなっちゃうじゃないですか。ただでさえお客が入らないのに。琉も炒飯ばっかり注文しないで、フカヒレスープとかお金入るやつ頼んでよね」
髪を二つのお団子のように頭の上にまとめた若い女性が水の入ったコップを差し出す。唯一の従業員であるリンさんだ。二十歳になったばかりの彼女は町一番の美人で、町の男達の結婚の申し込みが殺到しているらしい。しかし、本人にその気がないのか全て断っている。
ちなみにフカヒレスープとは、ラテルラインの南部にあるでっかい湖らしいところに生息する狂暴な魚のヒレのスープらしい。百ダランもするので貧乏な自分はまだ食べた事はない。
「いいじゃないか。リンちゃんも今日は遅いし、もう上がっていいよ」
「はーい! 琉、あんまし店長いじめたらだめよ」
「俺もいつまでも子供じゃないんだから、姉貴風吹かさないでくれよ」
俺はリンさんの三つ下、今年十六になる。小さい頃から彼女は俺を弟のように接して来た。
(俺はリンさんのこと、姉なんて思っていないんだからな)
「そんな意地張ってるとこが弟っぽいのよ、ね!」
人差し指でおでこをツンとはじかれる。いたずら好きな弟を叱るみたいに。
嫌じゃないが、なんだか気恥ずかしくなる。火照って来た顔をごまかす為、コップの水を一気に飲み干した。
カランカラン!
その時、扉のベルがなり見知った奴が入って来る。
「リンさん、今宵もご機嫌麗しゅう! ん? お前もいたのか、ごみ溜めの野良犬野郎」
「クルセナード……さん」
(ちっ! クルセナードか)
長い前髪をかきあげ、片手に真っ赤なバラを手にしたキザでいけすかない男。国王からケンディアを預かる市長の一人息子であるクルセナードである。
実はこいつもリンさんに婚約を申し込んだ一人だ。しかし、他の男達が諦めるなか、こいつだけは執拗にリンさんに手を出そうとしている。
「クルセナードさん、すみません。もう閉店の時間なので……」
黄さんが申し訳なさそうに頭を下げた。この町でクルセナードに逆らうことは店終いを約束するようなものらしい。
飯が不味いとか、ハエが飛んで衛生上良くないとか、給仕の娘がデートを断ったとか、クルセナードがケチをつけた店は軒並み潰されている。
「うるさい。私の用事はこの小汚い店ではない。麗しのリンさんだ。激細りおっさんは黙ってろ!」
「げ、激細りおっさん!?」
ある意味、的は得てる。
「あと、野良犬も失せろ。おっさんもだ。ほら!」
「おっと!」
パシッ!
そう言うなり、クルセナードは百ダラン硬貨を二つ投げ寄越した。
「一時間外に出てろ。リンさんとは大人同士の話があるからな」
(大人同士だって?)
俺は鼻で笑った。ちなみに奴は俺の一つ上の十七だ。
「くぅっ、貧乏がいけねぇんだ。すまんよ」
黄さんは百ダラン硬貨を握り締め、うらめしそうな顔をしながら店の外に出て行った。
「ほら、お前も早くしろ」
「どうしよっかなぁ?」
「琉ちゃん! 私は大丈夫だから早く外に……」
リンさんの不安げな顔で俺を見ている。俺は受け取った硬貨をポケットに入れて出口に向かう。
「分かればいいんだ」
「ただし、お前もな!」
グイッ!
「うおっ!」
俺は奴の襟首を引っ掴み、奴ごと店の外に出た。
一対一なら喧嘩では分があると思っていた俺は外に出た瞬間、無数の光を暗闇の中に見出だした。
ワンワンッ!
ガウルルッ!
これはワイルドドックだ。ひと噛みで人間の肉を食いちぎる強靭な顎を持っている。五人の大人が一匹ずつリードを繋いでいるが、その体は今にも手を離してしまいそうなほどワイルドドック達に引っ張られている。これではどちらが飼い主かわかりゃしない。
「バカめ。俺が一人で来ると思ったか。町中にいた荒そうな野良犬達だ。ほら、野良犬なら野良犬同士で仲良く喧嘩してろ」
ドッ!
俺は円陣を組んだ犬達の真ん中に突き落とされた。あぐらをかいて座りこんだ俺を見て、観念したのかとばかり得意気に勝ち誇った顔をするクルセナード。
「さぁ、今なら土下座すれば許してやらない事もないかもしれないぞ」
(はぁ)
ため息をついて頭をかいた。
「お前ら馬鹿か?」
「な、なにぃ!? 我慢ならん! やれっ!」
一斉にリードから手を離すクルセナードの召し使い達。解き放たれた犬達は一斉に……一目散へと走り去った。
唖然とするクルセナード。
「あのさ、躾がなってない野良犬が人の言うこと聞くわけないだろ」
ごく当たり前の話だ。
店の玄関から飛び出して来たリンさんも笑っている。クルセナードは気まずい雰囲気の中、召し使い達を叱りつけ「覚えてろ」と叫んで宵闇の中消えて行った。
二人で大笑い。
茂みに隠れて様子を伺っていた黄さんも拍手しつつ、笑いながら出て来る。
(あんたは笑うとけじゃないけどな)
二人と別れての帰り道。
(ショートカットするか)
来た道の大通りを避け、藪を突っ切るコースを選択する。この藪の坂道を下れば大回りをする大通りより五分ほど早く店に帰れるのだ。
俺は両手で藪をかき分けて進む。見上げると綺麗な満月が雲の隙間から顔を出していた。
(お月様か。あっこにも人間が住んでるのかな。行く方法はないけどさ)
町一番の学者先生が夜空に浮かぶ月や星という物を教えてくれたのを思い出す。
このナルトラースには人属はおよそ二割しかいない。後は獣人属とエルフ属が占めている。
ナルトラースの王もエルフ属だ。彼等は魔術を得意としており、火を起こしたり、風を吹かせたり、時には雨を降らせる事も出来るという。人間や獣人には扱えない能力だ。
また、獣人属は優れた運動神経と五感を持っている。肉弾戦で人間は彼等と対等に闘う事は容易ではない。
それに比べて人間はなんて弱い生き物なんだろう。
魔力も五感も劣っており、優れたモノは何一つない。
(なんで人に生まれて来たんだろう?)
俺は顔さえ知らず、町の公園に俺を置き去りにした両親をたびたび憎んだ。
捨て子の俺を拾って育ててくれた神父は昨年病で亡くなった。医者に聞くと、ガンという不治の病だったらしい。
人のいい爺さんだった。俺に最後まで人の役に立てと言いながら死んでいった。
これを決定打に、所詮神様なんていないんだと分かった。あんなに毎日神にお祈りを捧げていた爺さんも、最後は苦しみもがきながら死んだんだからな。
(結局は己の力のみを信じるしかないんだよ)
そんなこんな事を考えながらあと少しで藪を抜けるところで、すぐ側を流れる小川の中に二人の人影を見つけて立ち止まる。
(こんな夜中に魚捕りか?)
最初はそう思ったが、よく見れば片方の人物は先程店で酒を飲んでいた賞金稼ぎだった。
となれば、もう一人は恐らく賞金首だろう。布を巻き付け帯を締めただけの変わった服を来ている。
二人は一斉に抜刀する。
「ヒラテミキよ。覚悟せよ、もう逃げられまい」
「あぁ、そうだな。ガンリュウコジロウ殿が相手ならば下手に逃げられるまいさ」
(ヒラテミキ?ガンリュウコジロウ? 聞いた事ないけど、二人ともラテルラインから来たんだろうな)
駆け出す二人。月の明かりがゆらめく二人を川面に映し出す。そして、すれ違い様、二人の剣が月光を浴びて煌めいた。
勝負は一瞬だった。
ヒラテミキは首筋から血を吹き出し川面に突っ伏した。
(賞金稼ぎが勝ったのか!)
しかし、長い剣を構えたまま微動だにしないガンリュウコジロウは、突然吐血し膝をつく。
「おせぇよ、効くのがよ……」
まだ息があるのか、ヒラテミキは顔を上げうそぶく。
「貴様、毒を盛ったか!」
「あぁ、貴様が店で飲んでいた酒にな。酒屋の目を盗んで差し替えといたのよ」
(まさか、あの時の男か!?)
目深にかぶった帽子で姿は見えなかったが、背格好は酒屋の使いで来た男にそっくりだった。
「不覚だ」
バシャッ!
賞金稼ぎの男も川面にうつ伏せに倒れた。それを見届けるかのように、賞金首の男も不敵な笑みを浮かべながら命が尽きたのか再度突っ伏して動かなくなった。
(これは大変な現場に遭遇しちまったな)
とりあえず、賞金稼ぎの体を調べる。脈はない。既にこと切れているようである。懐にはたんまりと金が入った財布が入っていた。
(あぁ、うちで飲んだから。こんなにあるんならもっといい酒が飲めるとこに行きゃいいのに)
神にすがるのは嫌だったので、ラテルラインで信仰されているらしい仏さんという偉いさんに死後の魂の導きをお願いして、財布を頂戴する。
死人には金は不要だからだ。追い剥ぎだろうが何だろうが、金は生きている者にこそ役に立つ。
一応、三途の川の渡し賃として三ダランだけ懐に入れておいた。
「これは……」
次に目が行ったのは剣である。男の手にある長い剣が切っ先を血で染めていた。
丁寧に硬直した指を一本ずつ柄から外す。かなり手間がかかったが、その後は川の水で血を洗い流した。
(これは名のある剣に違いない。売れば相当な金になるな)
剣の価値など分からないが、月に向かってかかげると美しく輝いている。
(綺麗だな……てか、光が強くなっていくぞ!?)
その輝きは次第に強くなってゆく。
ポンッ!
「うっはぁ! 久し振りの現世の空気だぁ!」
「な、何だ! 妖精か!」
剣から手の平に乗るほどの小さな妖精が現れ、煌めく羽を揺らしながら背伸びをしている。
「妖精とは失敬ね。あたしは魔剣モノホシの精霊」
「はぁ?」
魔剣モノホシの精霊と名乗る不可思議な生き物の視線は、倒れた賞金稼ぎと俺の顔を行ったり来たりしていた。
「あんたが新しいマスターね。よろしく!」
「マスター? 俺は酒場で働いているがマスターじゃないぜ」
精霊は拍子抜けして目を細める。
「じゃないわよ。ご主人様ってことよ。コジロウの命が尽きて、あんたがあたしを手にしたから、今はあんたがあたしのマスターってことよ。だから、どんな願いも叶えてあげるわ」
「じゃあ、金をくれ」
「それは出来ない相談だわ。人が作った物には興味ないの」
(やっぱりハッタリじゃないか。まさか、精霊じゃなく悪魔か! 魔剣と言ってたしな)
俺は精霊そっちのけで川底をさらってゆく。
「?」
「へいへい。マスターね。ま、明日までだけど……お、あったあった!」
川底に沈んでいる剣の鞘を拾う。剣を抜き放った時にコジロウが投げ捨てた物だ。
「どういう事よ!」
「この剣は明日、道具屋に売りに行くから」
「ええっ!!」
パチンッ!
剣を鞘にしまうと同時に、彼女の姿も消えてしまった。どうやら鞘から抜き放たれた時にしか姿を現さないようだ。
俺は誰かに見られてないか周囲を確かめ、足早にその場を後にした。
オラド亭に戻るなり、大変な事が起きていた。
「あ、あたしは何も知らないよっ!」
「黙れっ! 客に毒入りの酒を出したのはお前だろう!」
女将さんが数人の兵士に縄でくくられている。
(あ、やっぱりか)
俺は側の茂みに剣を隠し、女将と兵士の間に入るべく駆け出した。
「琉っ! 助けとくれよ。こいつらがあたしが客に毒を盛ったってきかないんだ」
「当たり前だろう! 先程、息を引き取った男で八人目だ。共通するのは皆、ここで酒を飲んだ男達だ」
そりゃ、そうだろう。あの賞金首は酒樽に毒を入れていたんだ。飲んだ客は皆、死ぬに決まっている。
「違うんだ。酒屋が毒を盛ったんだよ!」
「そう言うだろうと思って酒屋を調べたが毒の類いは一切なかった。ただ、今日だけ忙しかったから人を雇ったと言ってたな」
犯人は酒屋じゃないからな。あの賞金首に間違いない。
俺は兵士達にありのままを伝えた。賞金首が賞金稼ぎを毒殺する為に仕込み、相討ちになり、小川で倒れているところを見たと。勿論、財布と剣を失敬した事は伏せたが。
「小僧の言い分は分かった。しかし、客に毒入りの酒を振る舞った事も事実。女将は一年の獄中生活を送ってもらう」
「な! 嘘だろ! 嘘と言っておくれよ!」
兵士の一人が顎をさする。
「そうさなぁ、ならば保釈金として三万ダラン用意しときな」
「そんな……」
三万ダランなんて金がある筈がなかった。これは兵士の勝手な言い値である事は即座に分かった。
(こいつらもクルセナードの手下だな。畜生っ!)
先程の失態の腹いせにクルセナードは店を潰そうとしているのだろう。しかし、非はこちらにあるので言い逃れは出来ない。
「分かった。明日、三万ダラン持っていくよ」
「決まりだな」
「琉っ! あんた!」
女将さんは分かっている。今まで俺が貯めた給料を全額足したとしても三万ダランには全く届かないという事を。
「安心してな、女将さん。必ず明日までに金は用意する。だから、女将さんには指一本触れるなよ! 女将さん、牢は冷えるから今晩だけ我慢してくれな」
羽織っていた厚手のジャケットを女将さんの肩にかけ、俺は一目散に駆け出した。
背中越しに女将さんが自分の名前を叫んでいるのが分かったが振り向くわけにはいかない。
(金は……用意するさ!)
カンカンカンッ!
「一着バカンスハイ、二着ラッキーモンキー! 配当は大穴の百倍だぁ!」
競カロン場。
カロンというウサギに似た小動物を競わせる賭博場だ。そのスピードはウサギを遥かに越える為、審判に目の良いエルフの狩人を用いている。
しかし、国営とは言ってもこれで生活を棒に振る輩も少なくない。
今、俺もその輩に仲間入りを果たしたが。
(なんで、今日に限って大穴連発なんだよっ!)
コジロウの財布には一万ダランが入っていた。ほんの二回。倍にするだけで良かった筈だった。
(手堅く一番人気の単騎一点張りだ!)
しかし、ギャンブルがそう上手くいく筈がない。そもそも、競カロンなんて初めてやるのだ。
コジロウの財布とおまけに自分の財布もすっからかんになり、がっくりと項垂れる。
ポンッ! と背後から肩を叩く人物。
振り向けば奴がいた。クルセナードだ。
「残念だったねぇ。競カロンは難しいからね。ハズレても仕方ない」
(まさか!)
「あぁ、ちなみにここは国営だが、運営はうちが任されているんだ。知らなかった? ハッハッハ!」
やられた。見事に完膚なきまでに叩きのめされた感じがする。俺は奴に手を上げる気力さえ湧かず、その場を後にした。
翌朝。
くしゅんッ!
俺は自分のくしゃみで目が覚めた。
「ここは……あぁ、国民公園か」
あろうことか自暴自棄になった俺は情けなくもふて寝してしまったらしい。
朝の寒さと懐の寒さがダブルで身に染みる。
「昨日はなんて最悪な日だったんだよ」
頭を抱えてベンチの上でうずくまる。
(しかし、そうも言ってらんねぇよな)
切り替えの早いとこと悪あがきだけが俺の長所でもある。立ちあがり、公園のベンチの背を飛び越えた。
昨日の茂みを探すと例の剣が姿を現す。誰かに見つけられて盗まれていたらと思うとゾッとした。
ブンブンと頭を振り、剣を手にして歩き出す。目的地は道具屋だ。
町外れにある小高い丘の上に店を構えているのが、女将さんの知り合いであるアトムさんのアトム道具店である。
繁華街ではなく、こんな外れに店を構えるだけあって、かなり風変わりだが、店長のアトムさんもそれに劣らず変わった人物だった。
早朝にもかかわらず店の扉にはopenの看板が掛かっている。
「アトムの爺さんいるかい?」
店内には見たこともない不思議なアイテムがそこかしらに乱雑に積まれている。ガラス細工の球体やら、紐をくくりつけただけの棒きれ、遠い昔世界を救った勇者の身に付けていた靴紐とか。いうなればガラクタだ。
だが、店の奥にはアトム爺さん秘蔵のコレクションがあるのを俺は知っている。一度だけ見せてもらった事があるが、それは素晴らしい武器防具の数々であった。ドラゴンの鱗をなめして造り上げられたアーマーや、ナルトラ山脈の永久氷壁に眠っていたとされる氷の短剣やら、そこらの武器屋では決して見ることの出来ない希少な一品が揃っている。
「なんだ、琉か。お前さん店の仕込みの手伝いはいいのか?」
「それどころじゃないんだよ」
気の知れたアトム爺さんには全て包み隠さず真実を打ち明ける。
「鮎ちゃんもえらい災難だな」
「だから、女将さんを助けたいんだ」
話を聞いても普段ののほほんとした表情を崩さず、長い白髪混じりの顎髭をいじっている。
「んで、その刀をわしに買ってくれと? 盗品じゃろうが。わしも遂に泥棒の仲間入りか」
「この剣、刀って言うのか? ま、そんな事はどうでもいいや。とりあえず見てくれよ。買うかどうかはそれから決めてくれればいいから」
アトム爺さんはやれやれといった感じで長い刀を受け取る。その目に子供のような興味津々といった光が宿るのを俺は見逃さなかった。
(きっと名のある刀に違いない。しかも、精霊つきの魔剣だ。必ず高く売れる。アトム爺さんの蓄えで払いきれない値がつくなら、町一番の武器屋に持ち込めばいい。うまく行けば一生遊んで暮らせる金が手に入るかもしれないな)
後日、異世界転生した勇者に聞いて知った事だが、向こうの言葉で今の俺の妄想は『捕らぬ狸の皮算用』と言うらしい。
鞘から引き抜くと、薄暗い店内でも、窓から差し込む朝日を反射して素晴らしい輝きを放っている。
「ほぅ。よく手入れしてある。この刀は東の国のジパングで打たれた品じゃな」
「ジパング?」
ナルトラを出た事のない俺には初耳の国の名だ。
「ジパングにはサムライという戦士がおってな。この刀はサムライの為に打たれた品なのじゃ。腕の良いサムライなら、刀で斬れぬ物はないとも言われておる」
「す、すげぇ」
何でも斬る事の出来る刀を使うサムライ。あの賞金稼ぎもサムライだったのだろうか。
「しかし、残念じゃが買い取る事は出来んな」
「は? いや、ちょっと待ってよ! 凄い武器なんだろ? 何で買い取れないんだよ。あ、もしかしてアトム爺さんには手が出ない程の値打ちものとか!」
爺さんは首を横に振り、刀の刃の根元……鍔元という部分を見せて言った。
「刀の値打ちはの。ここに銘が打ってなければ値がつかんのじゃよ。銘とは、この刀を打った者の名じゃ。有名な刀鍛冶が打った物なら小さな国を買い取る事が出来る程の破格な値がつく……が、これは銘なしじゃ。刀の値が分かる者なら金を出して買う者はおらん」
「そ、そんな……」
億万長者の夢が一瞬にして泡となり消えてしまった。
「それに刀は普通の戦士には使う事が難しい。だから、ジパングのサムライの為だけに作られた武器なんじゃよ」
アトム爺さんは言うなり刀を鞘に戻そうとした。すると、突然刀身が輝きを増し、昨晩の精霊が姿を現す。
「ふぁ、朝早くから起こさないで欲しいな」
眠たげな目をこすり、不機嫌そうな精霊。
「こりゃ、たまげた。こいつが琉の言ってた精霊か」
「こいつとは失礼な若僧だ。あたしは世界にまたとない魔剣モノホシの精霊だ」
若僧。アトム爺さんを若僧扱いする精霊って。
「マスター。あたしは人の心が読めるのよ。齢三百年のあたしに比べりゃ若僧ってこと」
爺さんは目をまん丸にしながら精霊を見つめていた。
「まさか、本当に精霊を宿す武器じゃったとは。気が変わった。琉、わしにこの刀譲ってくれ! 金ならわしの全財産を出してもいいわい」
爺さんはまん丸な目を瞬きもせず見開いたまま、精霊と刀を交互に見つめている。
「そうか! じゃあ……」
「ダメよ」
精霊ははねつけるようにいい放つ。
「俺がマスターになったからか? じゃ、命令だ。売られてくれ。人が作った金を出せって願い以外なら聞いてくれるんだろ?」
マスター権限を逆手に取って反論してみる。
「違う。マスターが誰にあたしを譲ろうとも、それはやぶさかじゃないのよ。この小僧にあたしを譲るのだけは無理なの」
「じゃあ、何でだよ?」
なんで人に譲るのは構わないのにアトム爺さんだけには譲れないんだ。
「あたしは魔剣。持ち主の生命を吸い取って糧にしてるの。この若僧はダメ。だって……」
「だって?」
納得いかないアトム爺さんと俺は精霊の次の言葉を待った。
「こいつ、明日死ぬから」
魔剣モノホシとの出会い。
それは彼が辿る過酷なまでの険しい道のりの始まりに過ぎなかった。
監獄された女将さんと死を宣告されたアトム爺を彼は救う事が出来るのだろうか。
次回予告
女将さんを救う為、魔剣モノホシを手放しクルセナードに渡す琉。
クルセナードは最強の魔剣モノホシの力を己のものとし、リンの心を奪ったうえ、世界制覇を目標に大国ラテルラインへ向かう。
魔剣だけでなく最愛のリンを奪われ、全てを失った琉の前に彼の生涯の師と呼べる人物が現れる。
彼こそは大陸随一のカンフー使い満天瑞祥なる仙人であった。
ここまでご覧頂き、ありがとうございました。