第六話 三次川の戦い・緒戦 参
「まあ、こだわりすぎたな。『完璧な勝利』とやらに」
三郎はため息混じりに呟いた。
「軍を三つに分けて包囲する、そこまでは良かったんだ。ただ、それが防がれた時点で、包囲にこだわらずに次善の策に移るべきだった。具体的に言うなら、両翼に増援を出さずに、中央に援軍を送って、そのまま中央を突破すれば良かった。二百対二百なら互角でも、二百対四百なら向こうが二倍だ。こっちだって破られていたかもしれない」
もっとも、その場合の策も考えてはいたが。
「もっと言うなら、初めから全軍で正面衝突すれば良かったんだ。二百対千人なら、流石にお手上げだった。まあ、犠牲は多く出ただろうけどね」
一流の将とは、いかに味方の被害を少なくし、敵に多くの被害を与えるか、ということを実践する者である。
拓馬光信は愚将ではなく、一流の将たらんとしたあまりに、策に溺れたのだ。
「まあ、それだけ浅はかだったんだよ。そもそも、川の段丘や、森、湿地、そういった地形の判断も出来ずに理想的な作戦にこだわった時点で、負けは確定していたんだ。……『実践に勝るものなし』だな、これは私の自戒でもあるけどね」
さて、と三郎は息をついた。
「アンタはどうやら八咫家にとっちゃ仇討ちの相手らしい。私はそんなものこれっぽっちも興味ないんだが、私の家臣達は興味があるみたいなんだ。アンタの首は、せいぜい皆の私に対する忠誠心アップに利用させてもらうさ」
静かに笑った三郎に、凛としつつも美しい響きを持った声が届く。
「敵将、討ち取ったりーッ!!」
南斗軍本陣、そこで素っ頓狂な声が上がった。
「なに、八咫の小倅が、敵の先陣を退けただと?」
豚、いや嘉納頼高は使い番が報告した内容を聞き直した。まったく予想していなかったのである。
「ハッ、しかも敵将、拓馬光信を討ち取った模様です!」
「なに、あの麒麟児とも謳われた拓馬光信をか!?」
頼高は使いを下がらせた後、鎌瀬満久を呼び出した。例の狐である。
「八咫の穀潰しめが、敵の先陣を打ち破ったぞ。大将首も取ったらしい」
「は、聞き及んでおります」
「貴殿、なぜそのように落ち着いておる!? 失敗した八咫家から領地を召し上げる手はずではなかったのか!?」
「我らは敵の本隊と睨み合っているゆえに動けず、まだ着陣していなかった八咫軍に戦わせる。そう仰られたのは嘉納殿ではございませぬか?」
「それは、そうだが」
「それに、戦況が有利になったのは喜ばしいことです」
「しかし、大将首を取ったとなると、功が大きすぎる。恩賞も与えねばなるまいし……」
「……では、こうしてはいかがでしょう?」
狐は鋭く眼を光らせて耳打ちする。豚は見る見る内に満面の笑みへと変わっていった。
勝利を収めた八咫の陣中はお祭り騒ぎだった。
「「えい、えい、おおーッ!!」」
歓喜の声が幾度となく繰り返される。
「武藤殿がお戻りになられたぞー!!」
三郎が振り返ると、輩を引き連れた舞耶が馬に乗って戻ったところであった。
舞耶の掲げる槍の穂先、そこに布に包んだ首級が括り付けてある。
数刻前まで拓馬光信だったものだ。
舞耶が三郎の姿を見つけると、馬を寄せて傍に降り立った。
「ただいま、戻りました」
「大手柄だったな、舞耶」
そう言って舞耶の頭をかきまわす。頭の後ろで結った黒髪がくしゃくしゃになる。
「な、ちょっ、おやめください!! 幾つだと思っているのですか!?」
舞耶が手をはねのけて、飛び上がって抗議する。
「ああ、悪い。つい、昔の癖で」
顔を赤くして睨みつける様は、武勇を誇った偉丈夫を討ち取った将には見えない。そう、三郎が知っているあの頃の舞耶と変わりないのだ。
「まあ、よく無事で帰ってきた」
「……はい」
そこへ、一人の将が報告する。まったく空気の読まないやつである。
「殿、申し上げます。怪我を負った者は、五十六人。帰らなかった者、死んだ者は一人もおりませぬ! いやはや、お味方、大勝利にございます!!」
おおおおおおおおおおお、とさらに歓声が一同を包んだ。
まったくもって完勝と言えよう。四倍の相手に対して勝利を収めたのだ、しかも敵の大将首を取り、一人の犠牲もなくしてである。
これを実戦が初めての、穀潰しの引きこもりの刀も振れない軟弱者と呼ばれた三郎がなし得たのである。
まさに、奇跡の勝利である。
「それじゃあ、これで大手を振って帰れるな!」
三郎はほくほくの笑顔でそう言った。一刻も早く帰って、本の続きを読みたかったのである。
「なにを仰いますか!」
バシッ、と舞耶に背中を叩かれる。甲冑の上からでも痛いんだから少しは加減して欲しい。
「まだ、敵の先陣を叩いただけです! 戦の本番はこれからでございますよ?」
緒戦は完勝! しかし、敵はまだまだ残っています!
次回からはいよいよ大合戦が始まります!
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