第五十五話 明陽川の戦い 玖
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五十五話、お届けします!
長政は一直線に戦場を駆けた。
引き連れるのは親衛隊とも言うべき選りすぐりの十騎である。
数は少数ではあるものの、その突貫力をもってすれば一隊を混乱にせしめるには十分であった。
実は、戦国時代に「騎兵による突撃はなかった」とされている。そもそも、騎兵という兵種が存在しないのだ。騎馬に乗るのは将と名のつく身分の者たちであり、彼らに従う兵たちはみな徒歩である。馬はもっぱら移動手段として用いられ、戦場では将だって下馬して戦っていた。
騎兵を何十騎も横に並べて、一様に突撃させるという運用は、戦国時代には行われていなかったのである。
だが、少数の騎馬による突撃があったこともまた事実であった。戦場において臨時に騎馬武者のみを編成し、突撃をさせていたのである。騎馬による突撃が、機動力と突貫力、衝撃力を併せ持ち、戦局を変えうる力を持っていたことは確かなのだ。
三次川の緒戦において三郎が舞耶に突撃させたのも、そして長政が今敢行しているのも、それらに類する騎馬武者の突撃であった。
長政は、八咫軍を視界に捉えている。八咫軍は別働隊と打ち合い、無防備にもこちらに背後を晒しているのだ。
……八咫、見えているであろう、お主のことだから見えているのであろう! だが、どうすることもできまい、お主の取れる手はもう残されておらぬ! だが、安心しろ、すぐには首を取らぬ、確実に息の根を止める。
長政が馬上でほくそ笑んだときだ、八咫の軍からこちら目掛けて一団が突出してきた。
数は少ない。騎馬武者が一人と、その供回りが五人である。決して十騎の騎馬突撃を止め得る戦力ではなかった。さらに見ると、騎馬武者は朱色の甲冑に長髪を棚引かせた姫武将ではないか。
「そうか八咫、それがお主の最後の一手か!」
長政は噂に聞いていた。八咫軍に名うての勇将がいることを、そしてそれが女武者であり、当主の側近であることも。
「であれば、ここを破ればお主の手は尽きるということだな。いや、すでに尽きたか」
長政は己に続く騎馬武者達に目配せをした。それを合図に騎馬武者が展開する。一団が五騎ずつに左右に分かれ、長政はその左側の最後尾に付いた。二手に分かれて向かってくる姫武将の側をそれぞれ抜けようとしたのだ。
「いずれかを止めても、もう一方さえ通ればよい。ここで八咫を討つ必要はないのだからな、突撃して一瞬の隙でも作れれば、それでよいのだ! 八咫、やはりお主の手は尽きておったぞ!」
長政の号令一下、騎馬がさらに加速する。
だが、長政の目前で敵が信じ難い行動に出る。騎馬武者に付き従う徒歩兵が右に転進し、右側の部隊を迎え撃とうとする。そして、残る姫武将が単騎でこちら目掛けて突進してくるではないか!
正気か!? 血迷ったか!?
長政を含め、その場にいた鹿島の者は全員がそう思った。
だが、依然として姫武将は前進を止めようとしない。そして、馬を駆けさせながらも、持っていた弓に矢をつがえて引き絞っているではないか。
「いかん、散れ!」
長政が声を上げたが、もう遅い。放たれた矢が、先頭の武者が乗っていた馬を射抜いていた。
馬が悲痛な嘶きを上げてその場に崩れる。乗っていた武者も突然のことにどうすることも出来ず放り出される。
長政は思わず唇を噛んだ。
あの姫武将は、初めから馬を狙って射たのである。
将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、まさにその故事の通り、実践してきたのである。
その対応の速さもさることながら、なんという射撃の正確さか。
騎乗弓射は馬を静止させて射つ場合と、馬を走らせながら射つ場合の二通りがある。当然、命中精度で言えば前者のほうが圧倒的に有利であり、走りながら射つには相当の練度が必要になる。だが、あの姫武将は自らの馬を走らせたまま、第一射目で正確に先頭の馬を射抜いたのだ。並の腕前ではなかった。
「固まるな! 一人でも奴を躱せば良い!」
長政はさらに味方を散らせた。誰か一人でも、敵軍の背後にたどり着ければ、それで勝機が訪れるのである。なんとしても、ここを突破せねばならなかった。
だが、姫武将はそれを許さなかった。
次の一射でまた一頭を射抜き、次は三射を要したが今度は武者を射落としたのである。
残りは長政を含めて三騎である。ふと、右を見やれば、あちらの五騎も敵の五人の槍兵によって足止めを食らっているではないか。
……これでは埒が明かぬ。かくなる上は。
長政はここに来て方針を改めた。残りの二人に合図を送る。そうして、馬首を右に返した。二人もそれに続く。
姫武将を相手にすることをやめたのである。それよりは、徒歩兵を相手にするほうが易いと見たのだ。横から付けば奴らの足並みが乱れる。その隙に改めて右の五騎のうち誰かが抜ければそれでよかった。
だが、姫武将も即座にそれに反応した。
長政と徒歩兵を結ぶ直線のコース、それに割って入るように駆けてきたのである。その間も連続して射撃を行い、ついに長政を残して他の二人を撃ち落とした。
……やはり、あやつを止めるしか手立てはないか。
長政は抜刀した。姫武将と刃を交えようというのである。
長政は剣の腕前も一流であった。あの麒麟児と謳われた拓馬光信と同じ師に学び、その稽古で光信に劣ったことは一度もなかったのである。
長政は馬を姫武将に寄せた。向こうも弓を捨て抜刀する。
大上段に振りかぶる姫武将。対する長政は刺突の構え。
馬のすれ違いざま、長政の突き出した刃を、振り払うようにして姫武将の刀が防いだ。
……出来る。弓だけではなく、剣も立つというのか。
惜しい、実に惜しい。
双方の馬が逆進して遠ざかる。二人は共に馬首を返し、再度迫らんとした。
「お主、八咫の側近であろう!」
長政は姫武将に声をかけた。
いかにも! と、姫武将が応える。
「惜しいことだ、お主ほどの腕があれば、一人で身を立てることもできよう! なぜ、このようなところで甘んじている!」
「知れたこと!」
姫武将が凛として言い放った。
「某は三郎様の家臣だ、主君の命に従うのが、臣の務めだ」
「では、俺がお主の主君になろう」
なに! と、姫武将が声を上げる。
「俺の家来になれ、倍の禄を与える。足らぬというのであれば、お主の言い値でも良い。……聞けば、お主の主君は城の褒美を与えられながら、それを手放したそうではないか。欲のない主君を持つと、苦労が耐えぬであろう! そのような、さもしい思いはさせぬ、俺の家来になれ!」
「……褒美は思いのまま、ということか?」
「当然だ、能ある者には褒美を与える、これが鹿島の家訓だ」
「それで、必要がなくなれば捨てるのだろう?」
長政は顔をしかめた。
「……たしかに、三郎様は困ったお人だ。毎日のように寝坊して顔を出さぬし、決裁は放って外に遊びに行かれるし、帰ってきたと思ったら大金をはたいてガラクタを買ってくるし!」
「フン、とんだ甲斐性なしではないか」
「だが、三郎様は必ず我らを守ってくれる。三郎様は、いつでも我らを守ることを考えておられる。あの甲斐性なしが、我らを守るために骨を砕いて努めておられるのだ! 貴殿はそれが出来るか!」
長政は押し黙った。
長政は姫武将の論理をまるで理解が出来ない。
何故に無能ごときのために自分が骨を砕かねばならないのか、むしろ骨を砕くべきは無能のほうであろう。仮に自分が骨を砕くとすれば、役に立たない無能を駆逐するためである。その理屈が、この姫武将にはまるで通じないのであった。
「……所詮はお主も無能の域を出ぬか。であれば、用はない」
「同感だな」
「手間を取らせた。――終わりだ」
その時、二人の耳に地を駆ける足音と大声が届いた。大軍が、迫ってきていた。
長政は勝利を確信した。鉄砲隊と合流を果たした本隊が、追いついたのだ。
もはや突撃をするまでもない、八咫軍がいかに強くとも、姫武将の武勇がいかに優れようとも、この兵力差を前にしては無力であった。
「なんとか防いだつもりであったろうが、それも徒労に終わったな。ここで果てるがよい、八咫も、お主も」
「その言葉、そっくりそのまま返そう!」
姫武将がニヤリと笑う。
長政はまた顔をしかめた。
やはり、言動の分からぬ娘であった。恐怖におののいて錯乱でもしたか、あるいは単に負け惜しみを言ったのか。
いずれにせよ、このような無能は取るに足らぬことであった。八咫さえ討ち果たせば、あとのことはどうでもよい。
そうして、長政は振り返った。そこにあるべき、己の軍を確認するべく。
だが、
「――な」
そこで見たものは。
「何故だ、何故だ、何故だああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
それは、丸に三つ扇の旗印。南斗の軍であった。




