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第五十三話 明陽川の戦い 漆

 岐洲城は三本の大河が合流する、下流の中洲の上に建造された城塞である。

 当然、その中州は豪雨の度に河川の氾濫による被害を受けてきた。

 拓馬家は岐洲城造営の折に、この中州に強固な堤防を築いた。岐洲城の築城には二年以上の歳月が費やされていたが、その内の一年はこの堤防の治水工事によるものだったと言われている。

 この堤防のおかげで、岐洲城は五十年もの間、洪水の被害に怯えることなく安定して戦うことが出来ていたのである。

 だが、ある意味それは諸刃の剣であった。


 三郎は、自らが岐洲城を占拠した際に、その構造上の弱点に気付いた。

 つまり、この堤防が破壊されれば、岐洲城は一瞬にして戦闘力を失うのである。

 それは憂慮すべきことであるものの、万が一の場合の保険になるとも考えた。

 三郎は岐洲城を落としたときから、恩賞として自分にこの城が与えられるであろうことを予想し、同時にその領有権を放棄する代わりに岐崎湊での徴税権を申し出ることも決めていた。

 そちらのほうがメリットが多いという計算があった上でのことだが、国家防衛上の最重要拠点であるこの城を、他人に譲り渡すことに一抹の不安を覚えていたのも確かである。

 三郎は、自分以外の誰が城主になろうとも、その城主のことを信用する気にはなれなかったのである。


「どうせ、バカばっかだしな」


 そこで、岐洲城が敵性勢力に再度奪われるような事態になった際に、岐洲城そのものを容易に無力化できる手段を、自分の手に持っておくことを三郎は考えたのである。

 一度は岐洲城を攻略した三郎であったが、同じ手段がもう一度使えるとは微塵も思っていなかった。仮にもう一度攻めることになるなら、今度はもっと楽をして落とせるようにしたい。

 そうして考え出したのが、中洲の堤防に細工を加えることであったのだ。


「備えあれば憂いなし、ってね」


 三郎は、岐洲城を次の城主に明け渡す前に、爆薬を詰め込むための穴と、崩壊させやすくするための亀裂を堤防に施した。もちろん、亀裂には支えのための木材を挟んでいたが、燃やせばすぐに元の亀裂になるのである。細工を気取られないように、木材を外から見えないように石でカモフラージュすることも忘れなかった。

 三郎はこの件を、自分と舞耶と、それから京の三人だけの秘密とした。その他の人間には一切明かさなかったのである、秀勝にも、南斗家の人間にも。

 これが、今回功を奏することになる。


「本当は、使いたくなかったんだけどね」


 三郎は、城主として入った鎌瀬満久が敵に寝返ることまでは予測していなかった。

 だが、岐洲城が敵の手に渡ることはすでに想定していたのである。これが、長政の戦略を根底から覆す、決定的な一打となった。






 第九次岐洲城攻略戦とも言うべき、鎌瀬満久対大戸京、南斗秀勝の連合軍の戦いは、そのほとんどが水上で行われたものだった。

 満久は呼び寄せた熊瀬水軍を河口に展開し、自らは城に引きこもって防衛に努めていたのである。

 京としては、堤防に施した細工さえ使えば、岐洲城そのものを攻略することは簡単であると知っている。その細工を使うためにも、仇敵とも言える熊瀬水軍をなんとしても排除せねばならなかった。

 大戸水軍は軍船五百艘、それに対し熊瀬水軍は軍船六百艘と、数の上ではやや熊瀬水軍側が優勢であった。

 戦闘は夜半を通して行われたが、序盤は数的優位のある熊瀬水軍が押していた。だが、明け方になって形勢が逆転する。潮の流れが変わったのである。それを読み切った大戸水軍が熊瀬水軍を半包囲するように展開し、一気に殲滅させたのであった。


 そうして、水上の自由を確保した京たちは、悠然と岐洲城の側を通過し、細工のある堤の先端へと上陸した。

 何も知らない鎌瀬満久と城兵たちが城に閉じこもったまま眺めているのをよそに、細工に爆薬を詰め点火、安々と堤防の爆破に成功したのであった。

 堤防は僅かな穴が開いただけでも決壊する。爆破の数分後には、堤防内に濁流がなだれ込んでいた。

 堤防内の地面は水面よりも低位にあるため、岐洲城は瞬く間に水浸しとなった。堀も土塁も門も柵も、防御施設の殆どを押し流されてしまったのである。

 大混乱に陥った鎌瀬の兵たちは、半分が水に流され、もう半分は城内にひしめき合っていたところを、大戸水軍の火矢によって焼死させられた。

 ただ、大将の鎌瀬満久は行方知れずとなった。崩壊した高矢倉ごと川に落ちたと、幾人かの兵が証言しているものの、その後の姿は誰も見ていない。

 こうして難攻不落を誇り天下の堅城とも謳われた岐洲城は、五十年目にしてその形跡をほぼ失いながら、再び落城したのであった。






「岐洲城が、落ちた……」


 鹿島長政は呆然として呟いた。

 岐洲城の落城、それは長政の想定を遥かに超える事態であった。

 前回、岐洲城が三郎によって落城したのは、城主の三宅継信がうかつにも城から打って出たためである。岐洲城の防御施設が破られた結果ではないのだ。

 そのため、長政は鎌瀬満久に城外に出ないよう厳命していた。城にこもっている限り、落ちるようなことはないと踏んでいたのである。

 もっとも、それが京による堤防の破壊工作が楽々と行われることに繋がっていたのだが。


 これで、岐洲城が落城したとなれば、長政の戦略は前提条件を失う。

 三郎の一手が、長政の戦略を上回った瞬間であった。

 こうなれば、長政の取れる手段は限られる。

 戦略目標である、「南斗軍の壊滅」を実行するには、この戦場で達成する他に道はないのである。

 そして、それを成し得る戦術が、ただ一つだけ残されているのだ。


 ククク……、と長政は喉を鳴らした。

 その笑い声が徐々に大きくなる。

 いつしか、戦場に長政の笑声が響いていた。

 長政の側近たちがギョッとして、自分の主を見る。

 劣勢に追い込まれた主人が、狂いでもしたのかと思ったのだ。

 だが、長政は狂ったわけではなかった。いや、初めから狂っていたのかもしれなかったが。


「八咫め、俺を追い詰めたつもりだろうが、そうはならんぞ」


 長政は前方を見つめた。

 そこでは、自軍が日俣行成の指揮する南斗軍によって包囲されている。もはや、全滅するのを待つばかりであった。


 ……俺は何を躊躇していたというのか。初めからこうしていればよかったのだ。そうだ、俺は容赦はせぬと、自分で言っていたではないか。八咫のような男を相手にして、情け容赦などする余裕は一切なかったのだ。危うく、俺は俺を見失うところであった。


 感謝するぞ、八咫。お主は、本当の俺を教えてくれた。

 感謝するぞ、八咫。お主は、俺を本気にさせた。

 感謝するぞ、八咫。お主は、俺が殺すに値する男だ。


「――撃て」


 長政が短く放った言葉に、周囲の将兵は反応できなかった。

 自分の聞き間違いだと思ったのである。そうでもなければ、本当に長政が狂ったかのどちらかであった。


「殿、今、なんと!?」


 将の一人が長政に確かめる。


「撃てと、そう言ったのだ」

「しかし、撃てば味方を巻き込むことになりますぞ!」

「だから、何だというのだ」


 将は戦慄を覚えた。


「フン、そのような些細なことに惑わされるから、お主たちは無能なのだ。俺はここで八咫を仕留めねばならない。そのために、多少の犠牲を伴うのは当然のことであろう。ましてや、このまま手をこまねいていれば、あの一隊は全滅するではないか。それを救うには、敵の包囲網を瓦解させることが一番なのだ。そのもっとも効果的な手段が、ここから撃つことであるのは、いかに無能のお主たちでもわかるだろう」


 将たちが次々と青ざめていく。長政の言うことは正しい。だが、あまりに正しすぎる。


「どうした、何故動かん」

「し、しかし――」

「お主らは、そこまで無能になりたいと言うのか!!」


 長政が怒気を顕にする。それは、周囲の人間の心胆を寒からしめた。


「お主たちは何故ここにいる! 戦うためであろう! 敵と戦って勝つためであろう! ならば、何故勝つために動かん! 動かぬ者はすべて無能だ! 無能に生きる価値などない! 死にたくなければ、勝つために戦え!!」






 鉄砲の銃撃音が、戦場に轟く。


「そうか、やったか。だが、それは――」


 舞耶は三郎の呟きを聞いた。


「それは、破滅への一歩だ」


 その呟きには、哀れみの色が濃く含まれていた。


「舞耶、全軍に伝達。最終段階だ」

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