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第五十二話 明陽川の戦い 陸

すみません、遅れて申し訳ないです!

第五十二話、お届けします!

「なあ、ずっと不思議だったんだけどさ?」


 京が傍らの南斗秀勝に向かって問いかける。船上に仁王立ちするさまは勇ましくも艶やかだ。


「八咫軍はなんであんなに強いのさ?」

「どういう意味だ?」


 聞き返すのは、あぐらをかいた秀勝である。

 船は不慣れであるが、さすがは歴戦の勇士、馬にでも跨っているかのごとく落ち着き払っている。


「いやさ、あの朴念仁の殿様が相当な切れ者だってのはわかるよ。けどさ、いくら頭がよくったって、下の連中がボンクラだったらどうにもならないじゃない。だけど、八咫軍はずっと戦功を重ねてきてる。……あの強さはなんなのさ?」


 秀勝はしばらく黙った後、静かに語りだした。


「……儂は今でこそ、南斗軍最強と言われているが、つい先年までは別の名で呼ばれておった。――『双璧』とな」

「『双璧』? ってことは、アンタみたいなのがもう一人いたってこと?」

「そうだ。もう一人の名は、『八咫朋宣(とものぶ)』」

「八咫って、まさか」

「先代八咫家当主、現当主である八咫三郎朋弘殿の父君だ」


 へえ、と京が感嘆を込めて口にする。


「八咫家は武門の家でな、代々の当主は猛将揃いであったし、さらに武勇第一といった家風が末端の兵にまで行き渡っておるのだ。強さの秘密はそこだ」

「なるほどねえ。でも、今の殿様はとんだ軟弱者じゃない?」


 京が訊くと、不意に秀勝が笑いだした。京が怪訝な顔をする。


「ガハハ、確かに今の八咫殿は知恵が回るばかりで、武芸はからっきしだな! ホレ、なんと言ったか」

「刀は振れないし弓は引けないし馬にも乗れない!」

「そう、それだ! ……だがな、本人の武勇は置いても、あの御仁の指揮ぶりは猛将と呼ぶに相応しい。普段は飄々としていながら、ここぞとばかりに前に出るあの胆力は、まさに八咫一族の名に恥じないものだ」


 数多くの戦場を経験してきた秀勝だからこそ、三郎の指揮には舌を巻く思いであった。だいたい、戦場において人間の思考はおおむね二つのタイプに分かれるのだ。猪突するか、臆病になるか、そのいずれかである。それは、やはり死への恐怖心をいかにして克服するかということに他ならない。

 秀勝だって、これまでの積み重ねによって駆け引きこそ出来るようになったものの、猪突する癖そのものは治っていない。だからこそ、最も効果的に突撃が成功するように準備を整えるのであるが。

 だが、三郎はまったく底が知れない。臆病にも動かないでいるのかと思えば、一気呵成に攻め立てる。しかも、その攻勢が尋常ではないのである。かと言って、攻勢で押し切るのかと思えば、さらに別の手立てを用意していたりするのだ。柔剛併せ持ち、それを臨機応変に使い分ける。味方として戦っていても、その戦いぶりの巧妙さには驚嘆することが多いのだ、もし敵として戦うなら、不気味さのあまり生きた心地がしないだろう。


 今、目の前に広がる光景を見て、秀勝はそう強く思わずにはいられなかった。


「まこと、恐ろしい御仁よ」


 秀勝は正面を見据えた。つられて、京もその視線の先を見つめる。


「そうだねえ、面白い殿様だよ」


 京は頷き、腰に手を当てた。

 京も自分たちが出した結果をにわかには信じられなかった。

 いや、自分たちはあくまで三郎の指示に従ったまでだ、三郎はあの時から事あることを予見して備え、そして自らが現場にいなくともこの状況を作り出したのだ。


 ……ほんと、面白いよ。


 京はもう一度頷き、笑った。


「そろそろ、あっちにも報せが届く頃かな」

「ウム。さぞかし、待ちくたびれておることだろう」


 京と秀勝、二人の眼前には、()()()()()()()の姿が浮かんでいた。






 拓馬軍の別働隊三千は、一斉に川を渡ってきていた。

 陣城に居座っているであろう南斗軍の後背を襲わんと来ていたのに、その陣城がもぬけの殻であることに気付き、本隊を救援すべく急いで川を渡っていたのである。

 そのため、順を追ってではなく全軍で同時に渡河し、対岸に上陸したときには横に長い横隊の形を成していた。


 それを見て、三郎様! と、舞耶は声をかけた。


「また、中央突破をなさいますか? 横に長ければ、一部を突貫するのは容易ですし、少数の我らが取れる手段は限られておりますから」

「うん、それもいいね」


 三郎がそう応えたが、言葉に力が籠もっていない。

 舞耶は不思議に思って三郎の顔を後ろから窺った。

 すると、三郎は目を見据えてじっと敵軍の様子を順に眺めているのである。

 舞耶は言いかけた言葉を飲み込んだ。


 ……三郎様は必死に考えておれれるのだ、もっとも効果的な策を、皆に被害を出さずに敵を蹴散らしてしまう策を、今この場においても考えておられるのだ。

 その邪魔をしてはならない。某は、三郎様を信じる。


「あそこだ!」


 三郎が指しながら叫んだ。その先は、上陸した拓馬軍のうち、北の一団である。


「敵のあの一角に向かって突撃するんだ。ただし、突破をする必要はない」

「? 何故です?」


 すると、三郎は振り返って笑顔を見せた。


「突破をするまでもないからさ」






 拓馬軍別働隊のうち、北の一隊は他の隊よりも早く渡河を終え、すでに戦闘態勢を整えて戦場に駆け出していた。


「急げ! 鹿島の軍を救けてやるのだ!」


 隊の将が声を張り上げる。

 その声音からは苛立ちが感じられた。

 それは、味方が劣勢に追い込まれているという焦燥感から来ているものではなかった。足を引っ張る味方を救援しなければいけないという、侮蔑的な感情から来ていた。


 ……これだから、あのような若造に任せることなどなかったのだ。あの者は実績もないくせに口だけは大きいのだからな。それに、例の敵にまた奇策を用いられたら、どうするというのだ。いや、どうせ、すでに奇策にあってるから、劣勢に追い込まれてるのではないか?


 そう考える拓馬の将、彼は三次川の合戦を思い出して、思わず身を震わせた。あのときの敗戦は、時を経た今でも悪夢としか思えなかった。

 その時、


「殿!」


 と、側近が声を上げる。


「敵の一団がこちらに向かってきております」

「なにい? いかほどだ?」

「は、およそ三百!」

「なんだ、小勢ではないか。そのような敵など、恐るるに足らん、構わず前し――」


 そこまで言って、将は一つの不安を覚えた。

 三百という数字には見覚えがあるのだ。もし敵が、その記憶にある例の相手なら、ただの小勢などではない。


「待て、その一団の家紋は何か?」

「は、黒い鳥です!」


 将は戦慄した。黒い鳥の家紋なぞ、滅多に用いられるものではないのだ。該当するのは、一つしかない。それは、八咫烏(やたがらす)である。


「退却! 退却せよ!!」

「は、しかし!?」

「うるさい! 死にたくなければ、退却するのだ!!」

「ダメです、間に合いません!!」






 八咫軍三百五十と、拓馬軍別働隊のうちおよそ一千は正面から激突した。

 双方ともに前進しあっていたのだが、接触する直前、拓馬軍は浮足立った。なにせ、大将から退却命令が出たのだ。目の前に敵がいるというのに、戦わずに逃げろという命令を出されて、最前部は混乱をきたした。

 その隙を逃す三郎ではない。


「――突撃」


 三郎の下知に八咫軍が応える。およそ三倍の敵に向かって臆することなく全力で衝突した。

 八咫軍の初撃は拓馬軍に痛烈な被害をもたらした。それは、人的な被害ではない、恐怖心による士気の低下という、戦場で最も忌避すべき事態であった。


 拓馬の将は声を張り上げた。


「引けーッ!! 戦うな、逃げろーッ!!」


 羞恥心もなにもあったものではなかった。いや、敵の実力を評価していたという点では、まだ利口であったと言えようか。

 拓馬軍一千は最初の手合わせをしただけで、早々に退却を始めた。その逃げようは手にした得物を放り投げ、脇目も振らずに一目散に川へと飛び込む有様であった。


「三郎様、追いますか?」


 舞耶が敵の様子に半ば呆れながら訊く。


「いや、いい」


 そう答える三郎は、やけに落ち着いていた。


「敵は、なぜ戦いもそこそこに逃げ出したのですか? 兵数は明らかに敵のほうが多かったではありませんか」

「ああ、彼らは、拓馬本家の軍だからね」


 三郎は見抜いていたのである、この敵軍が、拓馬本家から長政に貸し与えられた軍であることを。

 鹿島家は拓馬家の一家臣である。そのため、その動員兵力は限られている。実際、長政が今回自軍として動員していたのは三千。それでも、今回の嘉納頼高の動員数が二千だったことに比べれば、一家臣にしてはかなりの大身であることは間違いない。

 ただ、鹿島家の軍だけでは南斗軍の遠征に対抗できないため、拓馬家より二千五百の軍を貸し与えられていたのである。

 長政は、数が少なく激戦になることが予想される本隊を自らの軍で固め、残りの五百と合わせて拓馬本家の軍をすべて別働隊に編成していたのである。

 それはある意味では成功だった。拓馬本家の兵たちは長政の命令こそ従っていたものの、長政に対する忠誠心はなかったのである。それも当然の話ではある、彼らは俸禄を鹿島家からもらっているのでなく、拓馬家からもらっているのである。忠誠の対象は、拓馬家の当主に他ならない。ましてや、一家臣の下で働くなど、気持ちのいいものではなかった。

 現代で言うなら、親会社の社員が、子会社の社員の命令に心地よく従えるか、ということである。

 拓馬の兵たちは、ここで命を投げ売ってまで勝利を得ようという気は毛頭なかったのだ。

 そして、拓馬の兵たちは三次川を知っている。あのときの痛い敗戦は彼らの心に深く刻まれているのだ。

 そう、八咫という言葉を耳にして、思わず恐怖を抱いてしまうほどに。


「別働隊の旗印を見ていて、南の一団だけが異なっていることに気がついたんだ。あれが、鹿島家の軍で、残りは拓馬本家から与えられた軍だと、わかってね。鹿島の兵は戦意が高いけど、拓馬の兵はその限りじゃないだろうから、まずは戦いやすい方から戦おうと思ったんだ。まあ、予想以上の戦果だったけどね」


 三郎は頭を掻いた。半分は呆れと、もう半分は照れ隠しだった。


「さて、敵はまだ残っている。隣の一団も拓馬本家の部隊だ、同じ様に攻め立てるぞ」






 八咫軍は逃散した北の一団を追撃せず、そのまま南に転進して中央の一団に襲いかかった。

 中央の一団は北の一団と同じく拓馬本家の軍千五百である。

 北の一団が逃げていくさまを目の当たりにして動揺が走っていたところへ、八咫の旗印を見た途端にそのほとんどが退却を始めていた。

 もはや踏みとどまって戦おうする者は誰一人おらず、こちらも槍を交えることなくもと来た道を逃げ帰ってしまった。

 残るは南に位置する鹿島の軍五百である。

 彼らはさすがに抵抗する構えを見せたが、兵力差はわずか百五十。

 あの鬼秀勝と並び称され、南斗軍の双璧と謳われた八咫軍が、ここに来てその真価を発揮する。

 抵抗しながらも本隊を救いに前進しようとする鹿島の軍を、見事に足止めすることに成功したのだ。

 ここに、長政が組織した別働隊三千は、その戦闘力を完全に失ってしまったのである。


 さらにこの時、一つの報せが戦場に届いていた。

 それを聞いた三郎は、思わず手を叩いた。


「そうか、京も秀勝殿も、やってくれたか」


 三郎はまた頭を掻いた。


 ……また、借りを作ってしまったな。あの人達は借りを作るとうるさいからな、帰ったら大変だ。


「さて、どうするかな、鹿島長政」


 状況は作った。やっこさんが、岐崎湊のあの男なら。この状況でどう判断するか。それは、恐らくあれになるはずなんだ。

 そう、なにせあれが、()()()()()な判断なのだから。

 だが、それこそが……。






 鹿島長政は、戦場を見て唸った。


「さすが、八咫というわけか」


 現状、拓馬軍は圧倒的な不利に陥っている。

 本隊は南斗軍の包囲下にあり、今や元の半数以下に討ち減らされている。

 その救援に向かうはずだった別働隊の三千も、たった三百五十の八咫軍によって崩壊してしまったのである。

 残っているのは、手元の鉄砲隊五百のみなのだ。

 長政は、鉄砲隊に抜刀させて戦場に送り込むことも考えたが、それによる戦果が乏しいことも目に見えていた。それよりも、鉄砲隊を温存し、一度撤兵することを、有力な選択肢のとして考慮し始めていた。

 ここで南斗軍を撃滅するという戦術目標は叶わずとも、戦略的には必ずしも今回でそれを達成する必要はないのである。

 なにせ、岐洲城がこちらの手にある限り、南斗軍に逃げ道はないのだ。

 一度体勢を立て直し、再度有利な状況を作り出してから攻め立てるほうが、十分な戦果を得られるはずだと、長政の戦略家としての頭脳が導き出していた。

 あとは、この場で逆転出来る手段がないか検討するだけである。


 ……そうか、まだあれがあるではないか。


 長政が一つの策を思いついたその時、伝令が駆け込んでくる。


「申し上げます! い、一大事にございます!!」

「なんだ」

「そ、それが……!」


 伝令が息も絶え絶えにしゃがみ込む。

 長政は苛立ちを覚えた。戦場において、一瞬たりとも時間を無駄にしてはならなかった。

 大事というのであれば、即刻報告するのが道理である。

 長政は伝令を掴み起こした。


「なんだ、申せ」


 長政の凄みに、伝令はうろたえたが、意を決して言い放つ。


「き、岐洲城が!」

「だから、なんだ!」

「岐洲城が、敵の手に落ちました!!」

「なにィ!?」


 鹿島長政が生まれて初めて上げた、叫声であった。

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