第五十一話 明陽川の戦い 伍
中枢部を失った拓馬軍右翼部隊は、もはや戦闘集団としての機能を失いつつあった。
戦闘開始から十分を待たずして、その数を半分に討ち減らされていたのである。
だが、拓馬軍とて、これを手をこまねいて見ていたわけではなかった。
拓馬軍鶴翼のもう片方、左翼部隊が南斗軍の後背を襲わんとしたのである。
左翼部隊の将は、味方を鼓舞するように叫んだ。
「敵は右翼を包囲せんとするあまり、こちらに背を向けておる! あれを後ろから急襲し、味方を救うのだ!!」
そう、たしかに南斗軍は拓馬軍右翼を包囲することに成功したが、それは拓馬軍の残りの部隊を無視し、全軍を以って包囲したからである。
拓馬軍中央の鉄砲隊は急激な後退により混乱をきたし、現在は再編中である。だが、左翼部隊は無傷のまま残っており、しかもその位置は、南斗軍の鶴翼の陣、その背後にあるのだ。
ここで南斗軍の中央部に攻撃を加えれば、南斗軍の包囲網は瓦解し、現在包囲下にある右翼部隊は九死に一生を得ることになる。さらに、そのまま中央を突破できれば、南斗軍を左右に分断し、今度は拓馬軍が南斗軍を各個撃破する好機となるのである。
「奴らは一時の有利を取るために無謀な行いをしたのだ! 最終的に勝つのは我ら拓馬軍だ! 行けェーッ!!」
左翼部隊の将は、自ら先頭を切って南斗軍に攻め込んだ。
拓馬軍左翼部隊の動きに気付いた舞耶が叫ぶ。
「三郎様!」
「ああ、皆に伝達。第三段階」
拓馬軍左翼部隊の急襲は功を奏した。
南斗軍の中央が、背後からの攻撃に耐えきれず左右に分かれていったのである。
「見たか、南斗の弱兵共め! このまま突入!」
左翼部隊の将は、右翼部隊を救出するべくそのまま前進することを選択した。
すると、そこへ前方からその右翼部隊が押し寄せてくるではないか。
彼らは、自分たちを包囲していた敵が左右に分かれるのを見て、そこに活路を見出し必死の突入をしてきたのであった。
左翼部隊と右翼部隊、共に互いに向かって前進しあい、勢い余って真正面から交錯する。
あっという間に、双方入り乱れとなり、前進も後退も出来なくなってしまった。
――マズイ!!
左翼部隊の将はさすがに感づいた。戦場において立ち止まるなど、格好の的でしかない。
「止まるな! 進め! 前に進むのだ!!」
そう叫ぶ将の頭上を、数多の矢が雨のように降り注いでいた。
「今だ! 止まったところを狙い撃ちにしろ!」
三郎の声と同時に、南斗軍の弓隊が一斉に矢を放った。
三郎は拓馬軍左翼の攻撃があることを予見し、自軍中央部には敵との交戦を避けて左右に分かれるように、予め指示を出していたのである。
わざと敵を通すことで、その後に敵の左翼と右翼、双方が空隙になだれ込み、正面衝突を起こして立ち往生することまで含めて、三郎は予測していたのだ。
そうして、準備させていた弓隊に号令をかけたのである。
この一撃は痛烈を極めた。
なにせ、拓馬軍は大きな的となって戦場で立ち往生しているのである。次々と矢の餌食となった。
「よし、弓隊止め! 掛かれ!」
三郎の合図で弓が射撃を中断する。そして、混乱の極みに達した敵へ、猛然と南斗軍が襲いかかった。完全に包囲された拓馬軍は、為す術もなく打ち倒されていった。
「そうか、八咫。これがお主の狙いだったのか」
長政は淡々として、自軍が血祭りに上げられていく様を見ていた。
後退して隊列が乱れていた鉄砲隊の再編は済んだものの、このまま射撃を繰り出せば味方にも被害が出てしまう。
長政の手勢では、彼らを救うことが出来なかった。
「だが、これで終わりだと思っているなら、八咫、お主もここまでの男だな」
長政の目は、前方の戦場、そのさらに奥を見つめている。
たしかに、長政の手勢は鉄砲隊のみである。だが、拓馬軍はまだ無傷の部隊が残っているのだ。
そう、別働隊として大回りさせていた三千もの部隊が、ようやく戦場に到着したのである。
啄木鳥戦法の本領は、ここからであった。
「もはや小細工はいらぬ。数で押し切る」
包囲陣を敷き、無防備にも背後を晒している南斗軍へ、三千の兵が襲いかかる。
「三郎様、敵の別働隊が、川を渡ってきました!」
「ついに、お出ましか」
三郎は頭を掻いた。
これで、南斗軍と拓馬軍、双方の兵力差は逆転する。しかも、南斗軍は包囲している敵と交戦中であり、その背後は無防備なのだ。再び、不利な状況に追い込まれたことになる。
……さて、じゃあやるとするか。あともうひと踏ん張りだ。
「舞耶、八咫の皆に伝えてくれ。――出番だと」
「はい!」
舞耶が伝令を呼んで連絡事項を伝えている。
その間に、三郎は近くにいた将に声をかけた。
「日俣殿!」
日俣行成、三次川の戦いに続いて、明洲原の戦いにおいても、混乱した軍を立て直し、粘り強く戦っていた南斗の将である。
「なんだ、八咫殿! この忙しい時に!」
「それは良かった。それでは!」
「おい、何を言って」
「私は別の用がありますので、ここはお任せします」
三郎はすでに舞耶と共に馬上の人となっていた。
「お、おい、待て! 任せるとは、一体何事か!?」
「ああ、これでも私は日俣殿のことを評価しているんです。では、よろしく!」
「あ、ああ!? うん、え、ええええええ!?」
怒りたいのか喜びたいのかよくわからない悲鳴を上げる。
それでも、次の瞬間には兵たちに指示を繰り出していた。
バカの巣窟である南斗家臣団の中でも、この行成はまだ戦の心得があると、三郎は見ていたのだ。もちろん、南斗秀勝は別格であるが。
……バカだなんだって一括りにしてちゃ、何も見えないからな。一人ひとり、別の人間なんだ、何かしらの取り柄はあるさ。
三郎は行成にあとを託し、舞耶に馬を駆けさせた。
その先に並ぶのは、八咫軍三百五十名である。
三郎は、八咫軍を戦闘には参加させずに待機させていたのだ。後ろから来るであろう別働隊に備えて、遊軍として手元に残していたのである。
「みんな!」
三郎は、八咫の皆に向かって叫んだ。
「すまない、これが今回最も楽な勝ち方なんだ。他にももっといい策があるのかもしれないけど、私に思いついたのはこれが精一杯だった」
兵たちには予め作戦の内容を伝えている。それが、彼らに大きな負担を強いるものであることも。
それでも、三郎は勝たねばならなかった。軍を預かる総大将として、八咫家の当主として、彼らの主として。
「皆には苦労をかけるが、ここが踏ん張りどころだ、力を貸して欲しい」
三郎の呼びかけに、兵の一人が応える。
「三郎様に思いつかないのなら、他の誰にも思いつかないですよ!」
そうだそうだ! と、次々に声が上がる。
「三郎様の策が一番だ!」
「今までだって、間違いは一度もなかった!」
「おらぁ、三郎の殿様に、一生ついてくって決めてるだ!」
三郎は思わず頭を掻いた。面と向かってこうも称賛されると、やはり気恥ずかしかった。
側では、舞耶がニコニコと微笑んでいる。
「よし、行こうか。――全軍、突撃」
応! と、力強い声が巻き起こる。
八咫軍総勢三百五十、迫りくる拓馬軍別働隊三千に向かって、突進を開始した!