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第四十一話 明洲原の戦い 壱

 拓馬領を侵攻する南斗軍、その先鋒は『鬼秀勝』こと南斗秀勝が預かる三千である。夜も明けきらぬ、早朝に進発した。

 それに遅れること、一時(およそ二時間)、嘉納頼高率いる南斗軍本隊七千が出撃する。

 岐洲城に残るのは鎌瀬満久以下、千五百である。岐洲城の防衛と有事の際の後詰めとしての任に就いている。

 また、これら陸上部隊を援護するために、海上には大戸水軍の船二百艘が控えている。京も頭領として水軍を率いていた。

 陸上と海上、双方の連携を取りながら、南斗軍は沿岸を東に侵攻する。

 目指すべきは拓馬家の本拠、瀬野城。

 瀬野城は羽支平野の中心を縦断する改野川(かいのがわ)沿いに立地している。城内を東西南北の街道が貫き、付近の城下町を土塁と水濠が取り囲む、一種の城塞都市の様相を呈していた。

 岐洲城から瀬野城までは、およそ五里(約二十キロメートル)。なにもなく行軍できるなら、ちょうど一日で到達できる距離である。

 だが、当然拓馬領内には城や砦が配されており、それらの抵抗を排除しながら侵攻するため、実際に瀬野城に迫るには二日後になることが予想されていた。

 しかし、この予想は、すぐに覆されることとなる。


 さて、我らが八咫軍であるが、南斗軍本隊の最後尾に位置していた。それは、戦略上の意図があったわけでも、誰かの嫌がらせがあったわけでもなかった。

 大将である三郎が、いつものように寝坊したのである。






「ふわああああああああああああああああああああああああああ~~~~~」


 間抜けなあくびが辺りに響く。

 発したのは、八咫軍五百の大将、八咫三郎朋弘である。

 目尻に涙を浮かべて、馬に揺られながら目をこすっている。

 敵国の中を侵攻中であり、いつ何時敵が現れるかもわからず、一同がピリピリしているというのに、この男の周囲だけはまるで緊張のかけらも感じられなかった。


「三郎様、大丈夫ですか?」


 そう問うてくるのは、三郎と同じ馬にまたがる舞耶である。もちろん、今朝いつになっても姿を見せない主人を起こしたのも、この舞耶であった。


「ああ、だいじょうふわああああああああああああああああああああああ~~~~~」


 口に手も当てず、間抜け面を晒している。

 舞耶は呆れてため息を吐いた。


「三郎様、眠いからって居眠りはなさらないで下さい。落馬でもしたら、最悪命を落とします」


 三郎は思わず後ろの舞耶に振り向いた。

 いつもなら、


「この甲斐性なしがああああああああああああああああああああああ!!」


 とでも言って殴りかかってきそうなものを、やけに大人しいのである。


 ……おいおい、なにか変なものでも食ったか?


 すると、舞耶が目を逸らしながら、またこう言った。


「居眠りされるのでしたら、某に身体を預けて下さい。三郎様のような貧相な身体くらい、某には軽いものですから」


「……は?」


 ええ、なにこの娘、どうしちゃったの? 急に優しくなって怖いんだけど! ああ、あれか! 怒りが限界突破して、優しくなったのか! それは良くない!


「なあ、舞耶。怒るときは素直に怒ったほうがいいぞ。溜めすぎると身体に良くないからな。発育にも影響があるって言うし、特に胸の――」


 舞耶の眉間が瞬時に寄る。


「ええいもう、いいです!!」


 舞耶が手で三郎を押しやって、強制的に前を向かせる。

 それでも、鉄拳制裁が飛んでこないのは、やはり三郎にとっては拍子抜けであった。


「……しばらく敵とは会わないのだから、休ませてあげようと思ったのに」


 舞耶が小声で独り言つ。

 三郎は、舞耶の意図よりも、発言の内容が気になった。


「へえ、どうしてそう思うんだい?」

「え……、カ、カンです!」


 舞耶が慌てて誤魔化す。

 三郎は不思議に思ったが、追求しなかった。


「まあでも、そのカンは正しいと思うよ。今頃、先鋒の秀勝殿も拍子抜けしてるんじゃないかな」






「なんだこれは! 拓馬の奴ら、本当に怖気づいて本拠にこもっているというのか!」


 驚きの叫びを上げたのは、『鬼』こと南斗秀勝である。

 瀬野城に至るまでに二つの支城と大小合わせて十個の砦が南斗軍を待ち構えているはずだった。先鋒である秀勝はこれらを排除する任が与えられていたのである。

 だが、それらの防御施設のことごとくが破却されており、一切の抵抗を受けずにすんなり通ってしまったのである。

 これでは、二日の行程を組んでいたのに、今日にも瀬野城に切迫できそうなのだ。

 だが、そこは百戦錬磨の秀勝である。


「これは、なにかあるやもしれぬな」


 この状況が敵が恐れて逃げ出したのではなく、なにかしらの意図を持って作り出したのではないかと、疑っていた。

 そうであれば、先鋒と中備えで軍を分けている現状はあまりよろしくない。出撃した南斗軍は総勢で一万を超えるが、今は二手に分かれて数が減っているのである。敵からすれば、各個撃破の好機であるとも言えるのだ。

 もちろん、敵襲に備えて秀勝は警戒を怠っていないが、遅れてやってくる本隊の大将はあの嘉納頼高であり、敵の抵抗がない状況に油断をしているであろうことは想像に難くない。


「ここで待機せよ! 中備えを待つ!」


 秀勝は経路にあった小高い丘で小休止を取った。もちろん、斥候をほうぼうに放ち、警戒は弛めていない。


 結果的にこの判断は正しかった。午後になって、遅れていた本隊を拓馬軍三千が急襲したのである。






 南斗家による拓馬領侵攻、その緒戦とも言うべき明洲原(あけすはら)の戦いは、午後一時頃に戦闘が始まった。

 明洲原とは、これまた羽支平野を南北に流れている明陽川(めいようがわ)の下流に位置する平原である。川の下流であるため湿地帯が拡がっており、平原の北側は台地になっている。

 この明洲原を抜けると、瀬野城まで向かう街道が北へと分岐し、その先で南斗秀勝の先鋒が待っているはずだった。

 そうして、南斗軍本隊が明洲原に差し掛かった時、唐突に拓馬軍が姿を現して南斗軍の側背を急襲したのであった。

 拓馬軍三千を率いるのは、鹿角の兜を付けた若武者、鹿島長政である。


「無能共が。どれだけ醜態を晒せば気が済むというのだ。これだから、奴らに生きている価値などないのだ。――かかれ」


 南斗軍本隊は七千の大軍である。だが、行軍中であったため、長い隊列となっており、嘉納頼高のいる中央部はガラ空きになっていた。

 そこへ目掛けて、長政率いる精鋭が突進する。


 慌てたのは豚の頼高だ。


「ええい、斥候は何をしておった! なぜ敵に気付かなかったのだ!」

「わ、わかりません! 突然、敵が!!」


 いくら、頼高が油断していたとは言え、仮にも斥候は放っていたのである。いや、もっと言えば、あの南斗秀勝だって十分に警戒していた。

 だが、長政はその警戒網をくぐって南斗軍本隊に肉薄したのである。


 長政は瀬野城から街道を外れて出撃し、明陽川の上流から川沿いを下って進撃させた。そして、明洲原の北側にある台地の影に隠れて潜んでいたのである。

 頼高の放った斥候は、明洲原の内部は調べていたものの、台地の向こう側までは調べていなかったのである。いや、台地まで足を伸ばした斥候はいたが、いずれも長政の手の者によって斬られていた。

 こうして、長政は三千もの軍の気配を見事に消し、あたかも突然出現したように見せたのである。


 ええい! と、地団駄を踏む頼高。


「慌てるな! 敵は我が方の半分ではないか!」


 叫んでみたものの、もはや自軍の動揺は覆せない。なにせ、目前に敵が怒涛の勢いで迫ってきているのである。


「……引け」


 頼高のつぶやきに側近たちは耳を疑った。


「引けーッ!! 海側に逃げるのだ!!」

「しかし、それでは隊列が乱れ、陣形が崩壊しますぞ!!」

「うるさい! このままではワシが死ぬではないか! 総大将を失って、どうする!!」


 言うが否や、頼高は馬を駆って逃げ出した。

 大将が逃げ出したとあれば、もはやその場に留まって戦う者などいない。

 南斗軍の中央は、パニックをきたしながら、海側へとなだれ込んだ。

 混乱の波は、中央部だけでなく取り残された前後の部隊にも伝搬していく。もはや、南斗軍は全軍崩壊の危機にあった。






「やれやれ、ほんと予想通りだな」


 呆れながらその様子を眺めていたのは、南斗軍最後尾の八咫軍、その大将である三郎だ。


「期待を裏切らない安定のバカっぷりだね。見事すぎていっそ称賛したいよ」

「しかし、そうも言っていられません。このままでは、お味方は全滅します!」


 傍らの舞耶が真剣な眼差しで言う。

 三郎は頭を掻いて答えた。


「ああ、その通りだ! ……はあ、仕事するか」


 舞耶が三郎を見る。いや、舞耶だけではない、八咫の兵が、三郎の一挙手一投足に注目している。

 彼らの視線には、期待と好奇心が含まれている。

 この人は、これから何をしてくれるのかと。


「じゃあ、行こうか。――突撃」

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