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第四話 三次川の戦い・緒戦 壱

 三次川(みすきがわ)の戦いが始まったのは、天寧(てんねい)二十年十月三日の午前十時頃であった。


 三次川は、勢良国内を東西に流れており、戦いが起こった場所はその下流に位置する。

 下流の川幅はおよそ五十メートルであり、水深が浅く流れも緩やかであることから、橋は架かっているものの徒歩での渡河も可能であった。しかしこのとき、南斗家によって付近の橋は破却されており、また西は丘陵地帯、東は海岸まで低湿地が広がっているため、拓馬軍は敵の待ち構えている正面へ徒歩で渡る他なかった。

 拓馬光信が、八咫軍を川向うから引きずり出そうとしたのは、こういった状況から自軍の被害を減らそうと試みたのもあったのだ。


 戦いは川を挟んで両軍とも弓の応酬から始まった。

 打ち合ったのは光信軍先鋒二百と、八咫軍のほぼ全軍に当たる二百である。ほぼ同数ではあるが、八咫軍は矢盾を展開し厳重に守りを固めており、光信軍の被害が一方的に増えるだけであった。

 ここで光信は軍を一度引かせた。作戦通り、八咫軍を誘い込もうというのである。

 しかし、一方の八咫軍は一向に川を渡ろうとしなかった。手足を引っ込めた亀のように、陣から出ずに様子を窺っているのである。


「うむう」


 と拓馬光信は唸った。


「八咫の奴らめ、少しは知恵を付けたようだな。無策に突撃するのは前の戦で懲りたと見える」


 ならば、と光信は次の手を打つ。


「そちらが動かぬというのであれば、こちらから包囲するまでよ! 中央はもう一度前進! それから、右翼と左翼に使いを出せ! 迂回して川を渡り、奴らを側面から攻撃せよとな!」


 よろしいのですか、と側近の一人が耳打ちする。


「西は森に遮られ、東には湿地が広がっております。渡河するには時間がかかりすぎるやもしれませぬが?」


 だが、光信は一蹴した。


「そのような些細なことに惑わされてどうする! 三方より包囲挟撃する、これこそが最大の戦果を生むのだ。なにせ、先の戦でも、同様にして完勝したのだからな!」


 なるほど、と側近は引き下がった。

 先の戦での勝ち様はこの側近とて覚えている。

 あの時も敵は八咫軍であり、その八咫軍を壊滅に追い込んだのだから。


 だが、拓真光信にはたった一つの、しかも大いなる誤算があった。

 今回、八咫軍を率いているのは、三郎であったのだ。






 八咫軍の本陣、そこで三郎は懐に忍ばせていた書を読んでいた。

 だが、実際は本の中身などまるで頭に入っていない。


 ……いやあ、やっぱ緊張するな! なんせ初実戦だもんな!


 負ければ死に直結するという恐怖はあるものの、一方で本物の戦に立ち会えることへの好奇心も確かにあった。その両方がないまぜになって、興奮で書を持つ手が震えていたのだ。


 そこへ、おおおおおおおおおおおおおおおお、という咆哮が鳴り響いた。


「三郎様、来ます!」


 舞耶がそばで大声を上げる。うるさい。


「はいはい、わかったよ。みんな、打ち合わせどおりに! あと、絶対に柵から出ないようにね!」


 ……ひとまずは食いついてくれたか。まあ、今のところは順調だな。


「それじゃあ、ご丁重にお出迎えしちゃって!」






 光信軍の中央が再び八咫軍に攻撃を仕掛けた。

 今度は矢の打ち合いに留まらず、さらに前進して接近戦に持ち込もうというのである。

 だが、光信軍の攻撃はまたも跳ね返されてしまう。

 それもそのはず、八咫軍は陣の前方、川の段丘面に沿って柵を巡らせていた。


 いわゆる陣城(じんじろ)と呼ばれる戦国時代後期に流行した戦術であった。野戦時に堀や柵を現地で造営し、攻め寄せる相手に対し優位な状況を作り出すのだ。最たる例は織田信長が武田軍を破った「長篠の戦い」であろう。


 しかし、この世界に信長は存在しない。いや、仮に生まれたとしても、数十年は後の話である。

 つまり、この戦術を知り得たのは前世から歴史を学んでいた三郎唯一人なのだ。


 この状況に地団駄を踏んだ者がいる。

 若き獅子と謳われた、拓馬光信である。


「ええい、なにをしておる!!」


 光信は怒りをあらわにして叫んだ。

 なにせ、先程から光信軍の攻撃はことごとく防がれているのである。いや、まだそれはいい。それ以上に問題なのは、


「右翼と左翼はどうした! なぜ一気に攻め立てぬ! 三方からの挟撃、これが我が完璧な戦法だと言うのに、これでは単なる正面からの打ち合いではないか!!」


 同時に攻めかかるはずの右翼、左翼部隊からの反応がないのである。

 左右の将が顔を見合わせ、恐る恐る注進する。


「そ、それが、両翼共に何処からか攻められておりまして……」

「なんだと!?」


 その時、左翼側から悲鳴が上がり、ほぼ同時に右翼側からは火の手が上がった。






 舞耶は目の前で繰り広げられている戦況を見て驚いていた。すべて、三郎が指示した通りになっているのである。

 戦が始まる前、三郎は皆を集めた軍議の場で作戦をこう語った。


「敵の狙いは少数の我々を両側面と中央の三方から取り囲み、包囲殲滅することだ。敵は左右に分かれて動いているし、春の戦でも同じ戦法でやられたんだって? まあ、なら確定だろう」


 春の戦の件を持ち出されて諸将が目を伏せる。その反応から見ても間違いないだろう。


「で、これに対して密集して守りを固めるだけじゃあ、どんどん削られるばかりで我々に勝ち目はない」

「では、いかがせよと仰せか!」


 一人の将が顔を真っ赤にして叫ぶ。


「こちらも、軍を三つに分ける」

「バカな! ありえん! こちらはただでさえ少数、数で押されてひとたまりもありませんぞ!」


 周りの将も一斉に非難の声をあげる。

 これだから素人は困る、武芸など携わったこともないくせに出しゃばるから、穀潰しが、黙っておれば良いものを、と陰口がほうぼうから上がる。

 三郎に頭を下げて頭領になってもらったというのに、分をわきまえないバカ共である。


「まあまあ、話は最後まで聞くもんだ」


 これだからバカは敵わないんだ、と三郎は肩をすくめた。


「いいかい、敵の右翼――こちらの左翼側に森が見えるだろう? 恐らく敵の右翼部隊はあの森からこちらに攻め込むはずだ。そこで、こちらは二十人でその森で足止めする」

「な!」――バカな! という言葉を、三郎は制して続けた。

「火攻めを使う。彼らが攻めようとした時に、森に火をかけて動けないようにするんだ。あとは森に隠れながら適当に戦ってくれればいい」


 諸将が顔を合わせてざわめく。


「次に敵の左翼――こちらの右翼だが、川に沿って低湿地が拡がってるだろう? 泥沼でいかにも動きにくそうだ。それから、こちら側の段丘でひときわ高くなっている崖がある。あそこの上から、湿地帯を通ってくる連中を弓で狙い撃ちにするんだ。こっちも二十人で」


 場の雰囲気が変わってくる。しかし、先程叫んだ将がまた声を上げた。


「されど、たった二十人では、足止めするにも限界がありますぞ!」

「うん、知ってる」

「まさか、死んでも止めろと仰るのか!?」

「ハア、こんなところで死ぬとかバカの極みだろ」


 軽々しく死ぬとか言ってもらっちゃあ困るんだよな。人的資源がどれほど貴重かわかってないんだ。


「いいか、あらかじめ言っておくけど、この策は一人の犠牲も出さずに勝つ方法だ。もう一度言う、ただの一人も死なずに、全員が生き残って相手に勝つための戦法だ。それを忘れないように」


 その場の全員がゴクリと唾を呑んだ。三郎の言った内容にも驚いたが、その大胆不敵な様に恐れおののいたのである。


「――さて、中央だが川の段丘面に沿って柵を立てるんだ。ここで残った全員で敵の中央を迎え撃つ。まあ、ここでは互角以上の戦いが出来るだろう。ここまでが第一段階」


 皆が静かに聞き入っている。おとなしくなったじゃないか、と三郎は微笑んだ。


「はい、じゃあ問題。三方から包囲することが前提だったのに、それが食い止められてしまった。だけどなんとかして取り囲みたい。そんなとき、どうするかな? はい、きみ!」


 もはや反論すらしなくなった先刻からの将を指す。


「……増援を送って、包囲を完成させます」

「うん、正解」

「?????」

「ここからが第二段階。敵が右翼・左翼に増援を送ってきたら――」


 三郎は笑顔になって今や完全に聴衆と化した一同を見渡した。


「こちらの右翼と左翼は、逃げる! それも、出来るだけ遠くに、だ」






「ええい、小癪な! 包囲が完成せねば意味がないではないか!!」


 光信が大声を張り上げる。


「こうなったら、右翼と左翼に予備兵力を投入しろ!」


 お待ち下さい! と側近の一人が声を上げる。


「それでは中央が手薄になりはしませんか?」

「ガハハ……! バカな、アレを見ろ!」


 光信は八咫軍の陣を指して叫んだ。


「奴らは柵から一歩も出ようとしないではないか! 中央を防戦するのに手一杯なのだ!」


 おお、なるほど! とほうぼうから声が上がる。


「この光信は戦の申し子ぞ! この程度が見抜けないで拓馬軍の先鋒を任されぬわけがなかろう! わかったら、さっさと包囲を完成させろ! そうすれば敵は一気に崩れる! 増援はそれぞれ百ずつだ! 急げ!!」


 まったくどいつもこいつも、完璧な勝利でなければ意味がないというのに、この体たらくだ! たった四分の一の相手になにをまごついているのだ!


 光信は怒りに身を包まれていた。戦場のような刻一刻と状況が変わり常に冷静な判断を必要とする環境において、それは最大の弱点とも言えた。

 三郎の術中にハマっているとはまだ露程も知らない。

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