第三十五話 蠢動する獣たち
「これは嘉納殿! よくお越し下さいました」
鎌瀬満久が恭しく頭を下げて歓迎する。
岐洲城の二の丸、その屋敷に嘉納頼高を招いていたのだ。
「おお、鎌瀬殿。此度は招いて頂き、嬉しく思うぞ」
ガハハ、と豚がふんぞり返って笑う。この男の笑いはどこで聞いても下品だ。
「先の戦では、鎌瀬殿も命を投げ売って戦ったのだ、こうして加増いただけたのは喜ばしい限りだな」
再び下品な笑いが響く。三次川の戦いで満久に救援を出さなかったのは自分であると言うのに、厚顔無恥にも程がある。
「私などより、嘉納殿がご無事で何よりにございます。今の南斗家は嘉納殿あってのことですから」
一方の狐も戦の最中に激しく豚のことを罵っていたことなど、まるでなかったかのように振る舞っている。
豚と狐が互いに馬鹿し合う、まさに茶番であった。
「それにしても、鎌瀬殿。いかがかな、城主の座は?」
「某ごときには勿体なき城です。されど、やはり国元の酒が恋しく思いますな」
「ハハハ、さもあろう」
また、頼高は汚い笑い声をあげた。
満久は頼高を客間に通した。当然、上座は頼高に譲っている。
頼高が床の間を見やると、そこには小振りながらも美しい装飾の入った香炉が置かれていた。
また、虎革の敷物を誇示するように襖の前に立て掛けている。
いずれも海外より輸入した高価な舶来品であり、そういった品に目がない頼高は思わず喉を鳴らした。
「さすがは鎌瀬殿よの、良き品をお持ちのようだ」
「恐れ入ります」
「このような品、取り寄せるには苦労されたのではないか」
「都に知り合いがおりますゆえ。それに、私めの民が税をしっかり納めるので、たいした支出ではありませんでした」
ほう、と頼高は感心した。
「今年はどこも不作だらけと聞いておったが、貴殿のところは無事であったのか?」
「ええ、不作であっても税額は変えておりませんので」
「おお、それは……」
さすがの豚もやや引き気味である。狐はいよいよ目を細めて語りだした。
「民衆など、絞れるだけ絞ればよいのです。少しでもつけあがらせると、ろくなことがありませんから。むしろ、奴らは私のために存在するのだと、思い知らせねばなりません」
頼高は満久の背後に黒い影が立ち上るのを見た。薄ら寒い思いをして、身を震わせる。
頼高は話題を変えた。
「そうだ、新たな出兵の件、当主様のご承認を頂いたぞ」
当主の承認といっても、南斗家当主は未だ十歳にも満たない子供である。あくまで形式上の話であった。
むしろ、頼高は筆頭家老という当主に次ぐ地位にあるため、当主が幼いのをいいことに後見人として南斗家のほとんどを牛耳っていた。
「それは良きこと。私も提案した甲斐がございました」
そう、新たな動員について、初めに提案したのはこの満久であった。
先の戦いの戦後処理がようやく終わったばかりで、兵の補充もままならない内に次の出兵が決まるなどそうある話ではない。
いや、敵方より攻め込まれたならまだわかるが、今度はこちらから攻め込もうというのである。狂気の沙汰ではない。
だが、二人にとっては関係のないことであった。部下や民衆がいかに苦しもうと知ったことではない。それらはすべて、己の欲望を実現するために存在するのだから。
「ウム、一昨日の内に使いを走らせたゆえ、すでに各々に陣触れが届いておろう」
「おお、すでにそこまで。いやはや、この満久、先の戦では不甲斐ないところをお見せしましたので、此度の出陣にて汚名をそそぎとう存じます」
さもあろう、と豚が大げさにウンウンと頷く。
そこへ、満久は声を潜めて耳打ちをした。
「……実は、嘉納殿にお耳に入れたきことがございます。ぜひお人払いを」
ほう、と興味を持った頼高が家臣に目配せして下がらせる。
二人きりになったところで、満久はようやく語りだした。
「南斗の家中で、敵に寝返りを画策してる者がおります」
「なんだと!? 一体誰が!?」
ありえない話ではなかった。戦国の世では、寝返り工作は平然と行われていたのである。現代で言えば、企業のヘッドハンティングみたいなものだ。
『七度主君を変えねば武士とは言えぬ』などと豪語した武将もいたほどだった。
豚が身を乗り出してくる。すでに陣触れは出してしまっているのだ、もし出陣中に裏切りが発生したら大事である。
その様子を見て狐は、しめしめとほくそ笑んだ。内心では復讐の炎が巻き起こっていたのである。
頼高には戦場で見捨てられたという恨みがある。
だが、さらに憎むべきは、たいした利用価値もないくせに、小賢しく動き回ってこちらの意のままにならないカラス野郎である。
まずはこの使えないカラスを貶めねば、腹の虫が収まらない。
さあ、八咫の穀潰しめ! 貴様の地獄はここからだ!
「はい、その者の名は――」