第三十一話 下郎と浪人
三郎が振り向くと、若い男が立っていた。いや、少年といった年齢だろうか。
浅黄染の着物を豪快に着崩し、収まりの悪い黒髪を無造作に髷に結っている。腰には刀を下げているが、格好から見て浪人か気取った町民だろうか。
それにしても、整った顔をしている。やや幼さが残るものの、スッキリとした目鼻立ちからは怜悧な印象を受ける。現代日本なら確実にイケメンと持て囃されただろう。
だが、三郎はその射竦めるような眼光にたじろいだ。切れ長の目に浮かぶ黒真珠の瞳には静かな炎が燃え盛っているように思えたのだ。
……おっかないなあ、こういう若くて自信に溢れた陽キャみたいなヤツは苦手なんだよなあ。とっととやり過ごそう。
そう思って、逃げ出そうとすると、
「待て、下郎」
そう言って肩を掴まれたのである。
ああ、もうめんどくさいなあ。
「なんだい、人のことを下郎下郎って」
すると、この陽キャは眉をひそめて言った。
「下郎と言ったら下郎であろう、その身なりを見れば当然ではないか」
三郎は己を改めて見た。
浅染めの着物をだらし無く羽織り、細身に余った帯はだらんと垂れ下がっている。
「めんどくさいからいいや、どうせ公の場でもないし」
と言って髷を結ってこなかったため、頭はボサボサの長髪のままである。
ついでに、
「私が持ってても役に立たないからいらない!」
と言って刀も置いてきたのだ。
「なるほど! 下郎に相応しいな!」
「その下郎がこんなところで何をしている。よもや盗みでも働いているのではあるまいな」
三郎はイラッとした。確かに物乞いみたいな格好はしているが、今は仮にも武家の頭領なのである。それに、こうも一方的に決めつけられるのはなんか腹立つ。
「盗むだなんて人聞きの悪い、それに身なりが悪いのはあんただって一緒じゃないか」
浪人風情の陽キャに三郎が反論する。
すると、その陽キャが笑い出したのである。
「ククク……、アッハッハ……! そうだな、そうであった。おぬしの言うとおりだ、ククク……」
なんだこの気味悪いの、もう帰ってもいいかなあ。
三郎が呆れて後ずさると、陽キャは逃さんとばかりにまたその鋭い目を向けてきた。
「だが、おぬし、金を持っているようには見えんぞ?」
「いやいや、ちゃんと持ってるから」
三郎はやれやれ、と肩をすくめて、懐から銭を取り出してみせた。
ホラ、これで文句ないだろう? わかったら、さっさとあっち行ってくれないかなあ。
「……なんだこれは、悪銭ばかりではないか」
「えっ?」
あっ、しまった! 気吏の街で町人から交換してもらったのをそのまま持ってきてしまった!
「あっ、いや、これは……」
「ふん、幸運だったな。この岐崎湊では悪銭でも許されるのだからな、他の国ではそうはいくまい」
「ああ、それで……」
三郎は納得した。この岐崎湊が盛況になった理由に気付いたのである。
「そうか、ここでは撰銭令を出しているのか」
撰銭とは、悪銭を嫌って取引での使用を断ることである。この時代は質の悪い悪銭が数多く流通していた。このような悪銭を、一般的な貨幣よりも価値の低いものとして、額面通りの金額では取引せず、ひどい時は取引すら応じない風潮があったのだ。
現代で言うなら、「お前の百円玉は傷があるから、十円な。いや、やっぱゼロ円だわ」と言われるようなものである。
「気吏の城下じゃあ撰銭が『公認』されていたからなあ」
南斗家はこの撰銭行為を『公認』していたのである。領内に悪貨が流れ込んできて、正規のレートが壊れることを嫌ったのだ。だが、そのせいで皆が買い渋りを起こしてしまい、領内の商品流通が鈍化しつつあった。
三郎が交換した悪貨は、そうして使えなくなった悪貨を溜め込んでいた町人から貰ったものであった。
「ふん、悪銭が自分たちの懐に入るのを嫌がったのであろう、所詮は頭の凝り固まった低能が考えそうなことだ。奴らには、この岐崎湊がなぜ東国一の港となったかなど、想像もつかぬであろう」
陽キャの台詞に、三郎はうんうんと頷いた。
「撰銭令を出すことで、あえて悪貨を受け入れて、金の回りを良くしたんだな」
撰銭令とは、撰銭という行為を制限する法律である。完全に悪銭を拒絶するのではなく、『価値の劣る貨幣』として公認するということだ。
「傷のある百円玉は、十円として使いなさい」と、レートを定めて使えるようにしたのである。
勢良国内ではただのガラクタだった悪貨が、羽支国内では値打ちが下がるものの、ちゃんと使えるのである。商人たちはこぞって羽支国内で商売をするようになっていた。
もちろん、撰銭令を出すことで多少のインフレは起きてしまうが、それ以上に流通量が増大する効果が大きかったのである。
「気吏城下を見た時におかしいとは思っていたんだ。確かに人の往来はあったけど、どうも市場の取引が鈍っているように見えた。その理由がここにあったとは……」
「ああ、おぬしは勢良国にいたのか。ふん、であればわかるであろう。この人の往来を! 船の出入りを! 銭の回りを! 金は血と同じだ。巡りが悪ければ役に立たん。巡れば巡るほど、力を生み出すのだ!」
へえ、と三郎は感心した。
たしかに、この陽キャは言動こそ傲岸不遜そのものだが、言っている内容自体は正論なのだ。しかも、この時代にしては経済感覚が研ぎ澄まされている。現代日本でも理解している人は半数もいるだろうか。
「すごいな、その発想はどこから来たんだい?」
一介の浪人にしては知識がありすぎる。元はどこかに仕えていたか、それとも。
「ふん……。カンだ、カン」
陽キャが一瞬目を逸らしてはぐらかす。
「そう言うおぬしも、下郎の分際でなかなかに道理をわかってるではないか」
「ああ、私はこれでも研究が趣味だからね」
本当は歴史の研究だけやっていたいのにな、仕事ばかりで嫌になる。もう仕事は前世で散々やったんだから、いい加減解放してくれないかなあ。
「下郎のくせに殊勝なことを言う。どれ、俺が案内してやろう、ここは俺の庭のようなものだからな」
唐突に肩を組んでくる。やや細身ではあるが、鍛え上げられた筋肉質の肉体だった。
「ええ、いいよいいよ、自分で見て回るから」
たしかに知識は認めるけど、こういう押し付けがましい陽キャと一緒にいるの嫌なんだよ、こいつこそ解放しろよな!
「さあ、何が見たい。なんでも好きなものを言え」
まったくもって聞いちゃいない。三郎は観念した。
「はあ、それじゃあ、『鉄砲』を扱っている店に行きたい」
「なに、『鉄砲』だと!?」
陽キャが驚愕の色を見せる。そして、今までとは打って変わった低い声で問うた。
「おぬし……、何者だ?」
「ええ、ただの下郎だよ?」