第三話 開戦前話
「なにが、『貴軍の奮戦に期待する』だ、ふざけやがって!」
三郎は本陣から送られてきた命令書を机に叩きつけた。
「ふざけているのはどちらです! 兵の士気にも関わります、いい加減に腹をお決めください!」
舞耶が腰に手を当ててぷりぷりと怒る。怖いのだかかわいいのだかよくわからない。
「いやいや、向こうはこっちの四倍だぞ? それにこっちの大将は、刀も振れないし弓も引けないし馬だって乗れないんだからな!」
「だから、あれほど武芸の練習をしましょうと言ったでしょう!?」
「二十四年間も逃げ回ってたんだから、いまさらやっても意味ないだろう?」
「そういう屁理屈をこねるのがよろしくないと何度言ったらわかるのですか!?」
まったく、舞耶は融通がきかないんだから。
三郎が肩をすくめると、舞耶は不意に目を落とした。
「それに、この戦は弔い合戦なのですから……」
そう、敵の先陣の大将、拓馬光信は今年の春に八咫家に壊滅的打撃を与えた張本人であった。
拓馬軍の先陣、背丈が高くまさに偉丈夫といった出で立ちの精悍な若武者が声を上げる。
「ハッハッハ! また八咫の連中が負けに来おったのか?」
拓馬光信、二十一歳。拓馬一門の中でも若き獅子、麒麟児、戦の申し子と謳われる若手のホープである。
剣は当代一流とされる剣豪に学び、弓は常人なら二人がかりでなければ引けない大弓を操り、東国一の暴れ馬と称される荒馬をも自らの手足のように従える。
個人の武勇だけではなく、将としても古今東西の軍記を学び、戦術の妙は歴戦の諸将にも優ると言われている。
「見ろ! あの貧相な軍を! あれではまるでひよこに率いられた鶏の群れではないか!」
八咫軍を指して嘲ると、周りの兵たちも釣られて大声で嘲笑った。
「いいか、者共! あのような小勢、ただ勝つだけでは意味がない!」
光信は天下の名剣と謳われた大太刀を抜いて、頭上に掲げた。
「わかるか!? 完璧な勝利だ!! ぬかるでないぞ!!」
オオー! と全軍から雄叫びが咆哮する。
「やだなあ、やっこさんはやる気マンマンじゃないか。なあ、弔いだなんて無意味なことはやめて帰らないか?」
口を尖らせる三郎に、舞耶はついに呆れ返った。
「では、どうぞお一人でお帰りください!」
「おい、舞耶!」
「ええ、三郎様は戦に不慣れですから、ここにおられても足手まといです! あとは我らにお任せ頂いて、お一人で帰るか、それが嫌ならせめてご見物でもなさっていてください!」
舞耶は完全にそっぽを向いてしまった。
嫌われたものだな、と三郎は頭をかいた。当然の報いであるのにまったく懲りていない。
ふと見ると、川向うの敵軍が動いた。
中央の陣から左右双方に軍勢が分かれて出ていったのである。
「やっぱそうくるよねー」
相手から見た場合、八咫軍は自軍のわずか四分の一である。極めて少数の敵に対し、完璧に勝つために取る戦法はアレしかない。
そう、兵法を学んだ一流の将が常識的に考えるなら。
だから、と三郎はずっと考えていた作戦を思い返す。
だから、あそこでああして、そっちとこっちでこうして、ここをこうすれば勝てると思うんだけどなあ。まあ、そのぐらいは皆も考えてるかな。舞耶の言うように私は実戦に関しては初心者だからな、経験に優るものはないと言うし。
そうだ、もっとすごい案を考えているかもしれないから、訊いてみようか!
「なあ、舞耶?」
「なんです、まだいたのですか!?」
三郎は苦笑したものの、続けて問うた。
「こっちはどうやって迎え撃つんだ?」
舞耶は眉をひそめた。さっきまであれほど戦いたくないだの帰ろうだのふざけてばかりいた三郎が戦のことを訊いてきたのだ。どういう風の吹き回しか、あるいはさすがに恐怖に怯えて狂ったのかと思ったが、表情は先刻からの間抜け顔と変わりない。
「……こちらは少数ゆえに、下手に動けば散り散りになってやられてしまいます。ここは、陣から動かず、守りを固めます」
「うんうん、それで?」
「? それだけですが?」
「……え?」
「え?」
「……それで勝てるのか?」
「勝つのは……無理かもしれませんが、負けるようなことは……そんなに……」
「ええ、だって、そんなの包囲殲滅させられる未来しか見えないよ!?」
三郎はこの時に至ってようやく焦り始めた。
自分は戦に関しては門外漢だから専門家に任せようと思ってすっかり安堵しきっていたのである。だからこそ、さんざん悪態もついたし作戦だって一切口を挟まなかった。
だが、どうやらこのままでは負ける、しかも今年の春のように大敗を喫するのが目に見えている。そうなっては、蔵書を増やすどころではない。父や兄同様、死んでもおかしくないのである。
せっかく転生したのに、二十歳そこそこで死んでたまるもんか! 私はまだまだ研究し足りないんだ!!
そして、門外漢であるはずの自分が立てた作戦を改めて思い返す。
……アレ、ひょっとしてこれ、いけんじゃね?
「なあ、もしだよ、もし私に策があると言ったら、どうする?」
「なにを仰るかと思えば、そのような戯言を。戦のど素人が立てた策など聞くに値しませぬ」
「あはは、だよなあ……」
笑いながらごまかしているが、三郎は妙に落胆していた。
どうもさっきまでと様子が違うと思い、舞耶は三郎を正視した。
すると、不意に右手の人差し指で頬をかきだしたのである。
それは、三郎が大事なことを言おうとして戸惑っている時にする癖であった。
舞耶は知っていたのである。十年前と変わらない、その癖を。
「……ですが、そのような愚策であろうと、我らに言い聞かせる方法がございます」
三郎が真顔になって舞耶を向いた。そういうところが、かわいくて放っておけないのだとこの朴念仁は知らないのだ。
「我らにお命じください! ……貴方様は八咫家当主です。主君の命に臣が従うのは当然のことです」
三郎は一瞬うつむいたあと、舞耶に再び目を向けた。今までにない、真剣な眼差しを。
「皆を集めてくれ。それから、用意してもらいたいものがある」
「はっ、ただちに」
動こうとする舞耶を三郎が呼び止めた。
「舞耶。……この戦、勝つぞ!」
敵軍の総大将、拓馬光信は軍を三つに分けていた。
光信の立てた作戦はこうだ。まず軍を三つに分け、中央に四百を残し、右翼と左翼にそれぞれ三百ずつを与える。そして、まず中央の部隊が前進し、弓が届くギリギリの範囲から遠距離攻撃を仕掛ける。堪らなくなった相手が突撃してくれば、中央は戦わずに後退する。そうして相手を誘い込んだら、伏兵の右翼と左翼が左右から挟撃し、さらに反転した中央と合わせて三方から包囲殲滅するのである。
「完璧だ、これこそ完璧な勝利だ!」
光信は高らかに笑った。この戦法には自信があったのだ。
なぜなら、先の戦で八咫軍を壊滅させるという大成功を収めていたのだから。
「親子揃ってあの世へ送ってやるわ! まったく同じようにな!」
「殿、右翼、左翼共に所定の位置についてございます」
使いの者が注進する。
「よかろう! 法螺貝を吹け! 打ち太鼓! 者共、進めェーッ!!」
三次川の戦い、その緒戦がここに幕開ける!
次回、いよいよ開戦です!